上田隆弘、サラエボで強盗に遭う。「まさか自分が」ということは起こりうる。突然の暴力の恐怖を知った日 ボスニア編⑨

ボスニア ボスニア・クロアチア編

上田隆弘、サラエボで強盗に遭う 僧侶上田隆弘の世界一周記―ボスニア編⑨

4月28日、サラエボウォーキングツアーを終えた午後、ぼくは宿に戻りしばしの休憩を取っていた。

そして今日学んだことの復習がてら、旧市街の中心部を散策しに再出発。

サラエボの独特な文化や紛争の爪痕を学んだ今日のツアーを思い返しながら、ゆっくりとその街並みを目に焼き付けていく。

思えばこの旅が始まってからおよそ1か月が経過した。

細かなトラブルはいくつかあったものの、ここまで概ね問題なく過ごすことができている。

特にポーランドやチェコは治安も良く、危険を感じることもほとんどなかった。

そのためリラックスして街歩きを楽しめていたのを覚えている。

そしてここサラエボでもぼくはこれまで通り多少の警戒はしつつも、心穏やかに街歩きを楽しんでいた。

そう。ぼくは旅慣れしつつあった。

当時のことを思い出すと、恥ずかしながら心にほんの少しの緩みがあったことをぼくは認めなければならない。

ここまで無事にやって来れたという自信が、知らないうちに「自分は大丈夫だ」という過信に変わってしまっていたのだ。

そんなぼくが災難に遭うのは必然のことだったのかもしれない。

旧市街中心部の入り口付近にある市庁舎から、川沿いに上流に向かって徒歩5分ほどのところにぼくの宿泊していた宿がある。

人通りも多く旧市街からのアクセスも良いのでぼくはこの宿をとても気に入っていた。

この日もぼくは旧市街散策を終え、川沿いを歩きながら宿へと向かっていたのである。

少し上流へ歩くとちょっとした滝があり、そこには白い橋が架かっている。

前日降った雨の影響で川の流れは激しく、水は茶色く濁っている。

ぼくはこの時なんとなく、この激しい流れを橋の上からぼーっと眺めていたいという気持ちに駆られた。

元来、ぼくは川を眺めるのが好きなのだ。

透明な美しい流れも、荒れ狂う激流もぼくにとっては等しく大好きな景色なのだ。

ぼくはこの橋に吸い寄せられるように、そこへと向かっていく。

宿から見た白い橋

橋の入り口に差し掛かった時、橋の向こう側から若い男が手を振りながらこちらに話しかけてきた。

黒い革ジャンにサングラス。短髪の若い男だ。

「Hello ! Are you student ?」

―No, I’m a tourist

「Really ? Are you tourist?」

―Yes!Yes!

「Where are you from ?」

―I’m from Japan !

「Very good ! Very good ! Enjoy your Stay !」

―Thank you !

そんなやりとりをしてその男は去っていった。

今思えば、ぼくはここで気づかなければならなかったのだ。

「この男は何か怪しい」と。

なぜ執拗に学生か観光客かを聞いてきたのか、そこに気づかなければならなかった。

さらに言えば「海外で話しかけてくる人間にはまず用心すべし」ということすらこの時はすっかり忘れていたのである。

油断とは恐ろしいものだ・・・

そしてぼくは橋を渡り始める。

すると橋の向こうから身長185センチ以上もあろうかというがっちりした大男がこちらに向かって歩いてきた。

そしてさっきの男と同じように手を振り近づいてきた。

「Oh~! Friend !」

彼はそう言うやいなやぼくの方に手を差し出してきた。

てっきり握手でもされるのかと思ったらそのまま上から覆いかぶさるようにぼくの首に腕を巻き込み、完全に抑え込んできたではないか!

まるでヘッドロックをされているかのような体勢。

大男が上からがっちりとぼくの首と肩を絞めている。

ぼくは逃げようにも逃げられなくなり、ただもがくことしかできなかった。

ぼくは小柄な体つきだ。

そんなぼくが185センチ以上もあろう大男にヘッドロックされたらひとたまりもない。

ぼくはまだ自分の身に何が起きているのかまったくわかっていなかった。

ずいぶんとスキンシップが強めなあいさつだなとこのときぼくは本気で思っていたのである。

どこまで能天気なのだと今は笑えるが、その時は本気でそう思っていたのだ。

自分が暴力に巻き込まれることなど、まったく想像もしていなかったのだ。

ついさっきまでミルザさんに「突然暴力に巻き込まれることはありえることなのです」と教えてもらったばかりにも関わらず・・・

紛争の傷跡を見て、暴力について深く考えさせられたと思っていたばかりなのにぼくはこのありさまだったのだ。

今思うと、自分でも情けない限りだ。

すると、目の前にさっき言葉を交わしたサングラスの男が現れ、ぼそっとこう言った。

「Money. Money」

ぼくはここでようやく気付いた。

彼らはグルだったのだと。そして自分が今強盗に遭っているのだと・・・

この状態になるまで気づけなかった自分が信じられなかったが、実際にぼくはこうして完全に抑え込まれてしまっている。

現実としてぼくは暴力に見舞われているのだ。

不注意な自分を呪っていても仕方がない。

なんとかしなければならない。

幸い、彼らは拳銃やナイフを持っていなかった(ように見えた)。

これがぼくにとっては幸運なことだった。

何度かもがいてはみたものの、まったく振りほどくことはできない。

力の差がありすぎる。

ぼくは少しの間おとなしくしていることにした。いや、正確には、どうすることもできなかったので暴れることをあきらめたのだ。

興奮していたので正確な時間はわからないがほんの少しの間だけ膠着状態が続いた。

もうだめか・・・荷物はあきらめるしかないな・・・と腹をくくりかけた時、なぜか一瞬拘束が緩む。

ぼくはその瞬間、とっさに体を小さくした。ほとんどしゃがむくらいの勢いで体をぐっと下げたのだ。

すると幸運なことにヘッドロックから首が開放された。

すかさずぼくは両腕で大男の体をドンと押しのけ、その反動のままぼくは二人の間をくぐり抜ける!

ぼくは脱出に成功したのだ!

この時ほど自分が小柄でよかったと思ったことはない。

ぼくはそのまま橋を引き返し、川沿いの道まで逃げ帰った。

男達はぼくの後を追ってくることはせず、ただこちらを眺めているだけだった。

そしてバッグを見てみるとファスナーが開けられていた。

そうか・・・中身を物色するためにあの男は力を緩めたのか・・・

幸い、荷物は何も取られていなかった。

というのも、ぼくはバッグの中には飲み物とウインドブレーカーしか入れていなかったからだ。

パスポートや貴重品は身に着けて隠していたのでバッグからは盗られないようにしていたのだ。

でも、バッグにないとわかればどの道身に着けているのがばれて盗られていただろう。

逃げられたのは本当に不幸中の幸いだった。

その後たまたま川沿いの道から事の一部始終を見ていたおばさんがぼくを匿ってくれた。

おばさんは英語を話せなかったため、その娘さんが片言で警察に行こうと話してくれた。

だが、物も盗られてなければ体も無事だったので警察には行かないことにした。

きっと手続等で今後の旅程にも影響が出かねないと思ったからだ。

おばさんたちの優しさには本当に救われた。

言葉は通じなかったけど、本気で心配してくれたのがものすごく伝わってきた。

強盗という恐ろしい目にあったパニック状態のぼくには本当にその優しさがありがたかった。

言葉の通じない異国の地で感じた優しさをぼくはこれからもずっと忘れないだろう。

それにしても、この出来事でぼくが最も驚いたのは、人通りの多い所で堂々と強盗に襲われたということだった。

あの白い橋は道からはっきりと見えるし、川沿いには釣りをしていた人もいたのだ。

ぼくを匿ってくれたおばさんも一部始終を見ていた。

「こんなに人がいる場所でそんなことは起こりっこない。」

これがぼくの油断だった。

自分の身は自分で守らなければならない。

そのことが完全に抜け落ちていたのだ。

もっと早くに気づかなければならなかったのだ。

宿のレストランからははっきりと白い橋が見える

こうしてぼくは強盗事件に巻き込まれることになった。

ぼくは自分の身をもってミルザさんの教えを学ぶこととなった。

「平和は当たり前ではありません。暴力は誰の身にも降りかかりうるのです」

まさしくそのことを知ることとなった。

事件直後は興奮とパニックのためかそれほど恐怖心を感じなかったが、宿に戻った途端、急激に恐怖感に襲われた。

助けを呼ぶにもここはボスニア、電波が悪くて電話もつながらない。日本は深夜。話そうにも話せない。

誰にもこの出来事を話すことができないという孤独。

ぼくは部屋の中でただひとり、ベッドに突っ伏してこの恐怖と孤独に襲われることになった。

誰かに話を聞いてもらえるということがどれほどありがたいのか、この時ほど痛感したことはない。

それほど苦しい孤独だった。

だが、ぼくにはすることもやるべきこともない。

物も盗られていなければ体も無傷なのだ。

なら、このまま黙って耐えるしかないではないか・・・

こうしてぼくの恐怖と孤独の一日は終わりを迎えた。

続く

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