恐怖や孤独に打ち勝つ心の強さとは―紛争経験者ミルザさんとの対話 ボスニア編⑫

ボスニア編

恐怖や孤独に打ち勝つ心の強さとは―紛争経験者ミルザさんとの対話 僧侶上田隆弘の世界一周記-ボスニア編⑫

スレブレニツァメモリアルホールの見学を終え、ぼくたちは一路サラエボへの道を引き返していく。

スレブレニツァからサラエボまでの道のりは片道およそ3時間ほど。

ぼくはその間、ミルザさんと様々な話をした。

ボスニアの文化のことやミルザさんのイタリア時代のこと、コーヒーのことやサッカーのことなど、ここでは話しきれないほどたくさんのお話をした。

そしてスレブレニツァでの衝撃的な体験の後に、ぼくの中にどうしてもミルザさんに聞いてみたいことが生まれてきた。

ぼくはこの帰り道、思い切ってそれをミルザさんに打ち明けてみることにしたのだった。

―ぼくは昨日強盗に遭いました。(もちろん、ミルザさんはすでに知っている)

本当にショックでした。まさか自分が暴力に遭うとは思っていなかったのです。

そして昨日の夜、ぼくは恐怖と孤独に苦しみました。

自分の心の弱さをつくづく感じました。

ぼくの心は動揺していました。

たったひとつの予期せぬ災難で打ちのめされてしまいました。

何事にも動じない心なんて程遠いものだと痛感しました。自分が情けないです。

ミルザさんは軍にも在籍し、紛争も生き抜きました。

その体験はぼくの想像もつかないほど困難なものだったと思います。

ミルザさんはどうやってその困難を乗り切ったのですか?

何か心の支えになるようなものがあったのでしょうか?

「・・・心の支え・・・すみません・・・私にはわかりません・・・

・・・ただ、warを通してhow to strive (努力の仕方、生き抜き方)ということを考え続けました。

水もない。食べ物もない。電気もない。お金もない。仕事もない。

ゼロからのスタート。

そういう時に頭が動き出します。フルに。

生き抜くために頭がフル回転します。

warの最中は、30分先のことすら考えることができません。

銃弾や砲弾がいつ飛んでくるかわかりません。目の前のことしかわかりません。

しかし、warを通して how to strive を身に付けたことで強くなりました。

それは言えると思います。」

ぼくはこの答えを聞いたときにドキッとした。

そして同時に自分の甘えた考えを痛烈に恥じた。

・・・告白しよう。

ぼくは期待していたのだ。

「宗教が支えになりました」という答えを・・・

ミルザさんはイスラム教徒。

だから困難なときにもイスラームの教えや何らかの信念が胸にあったのではないか。

そう期待していたのだ。

ぼくはお坊さんだ。宗教家だ。

だから宗教に価値があると言ってくれることを願っていたのだ。こんな時にさえ。

自分が情けなくて仕方がなかった。反省するしかない。

自分は甘かったのだ・・・

車は郊外の道を走り続ける

ミルザさんは、how to strive を身に付けたことで生き抜く強さを得た。

そしてそれが心の強さにつながっていったとお話ししてくれた。

では、その生き抜く力というのは具体的にどういうことなのだろうか。

「それは2000年、3000年前と同じ生活です。

だから私は子供を連れてキャンプに行きます。

そこで火を焚き、飲み水を作り、生き抜く訓練をさせます。

ライターも使ってはいけません。水も持ち込んではなりません。ライトもです。

すると自然は私達に応えてくれます。自然は私達に多くのことを教えてくれます。

都市に住み、文明に囲まれた私達はもはや生き抜く力を失ってしまいました。

インフラが止まれば終わりです。道具がなければ何もできません。

何があっても生き抜くことができる。

それは人間にとって大きな力になります。

私はそうしてwarの時代を生き抜きました。

何が起こるかわからないこの世界。でももしこれからまた戦争が起ころうと、私は心構えができています。」

たしかにミルザさんの言う通りだ。ぼくには生き抜く力がない。

インフラがなければ何もできない。道具に頼りっぱなしだ。

何かあったらぼくは生きていけはしないだろう・・・

自然じゃないのだ・・・ぼくたちの生き方は。

そしてもう一つ、気づいたこと。

ぼくは生きていることが当たり前になっている。

でもミルザさんの前提は、そこにはない。

死ぬのが当たり前の世界で生き抜く力を必死に身に付けようとしていた。

生きることそのものが目的であり、喜びだった。

これが決定的に違うところなのではないだろうか。

でも、平和な日本に生きていて、それを急に実感しようと思ってもなかなか難しい。

「生きているだけで幸せだ。」そう思って生きていけるならどんなに人生が変わるのだろうか。

ミルザさんのお話を聞いて、ぼくはふとあることが頭をよぎった。

日本では今皆がつらい思いをして働いている。よりよい生活のために。

でも、それも「生き抜くため」なのではないだろうかと。

「生き抜くためには辛くても働かなければならないのだ」

これはよく耳にする言葉ではないだろうか。

日本人だって生き抜くために必死で働いている。

しかし、ミルザさんの言う「生き抜くため」とは何か違いがあるように感じてしまう。

同じ「生き抜くため」なのにどうしてこんなに違いが生まれてくるのだろうか。

「それは、生き抜くということの重みが違います。

紛争は巻き込まれてしまったこと。選んだことではありません。

その中で生き抜くということと、平和な時の生き抜くは違います。

生き抜くというのは何かを考えなければなりません。

平和な時でも生き抜くためには考えなければならないのです。

自分はどう生きたいのか、何をしたいのかを考えなければなりません。

あなたにとって本当に必要なものは何ですか?

それが一番大切なことなのです。

あるもので満足するということ。

シンプルなことなのです。

10あれば10、100あれば100。それ以上求めない。

100欲しがれば次は必ず200欲しくなります。絶対にそれは終わりません。

―本来10ある状態で100を求めたり、10あることを当然のこととみなして生きるから苦しむということでしょうか。

「そうです。自分にとって本当に必要なものは何かを考えなければなりません。

私が学んだのは「それで十分」という生き方です。

今の世の中はみんなもっともっとと求めています。でも、そんなの人生じゃない。

私は高級時計をつけません。そんなものを持っていても盗られるだけだからです。時間が見たければ100円の時計でいいのです。

高級車もいりません。悪い人はそれを私から奪おうとするでしょう。

必要な分だけあれば十分。あとは与えればよいのです。

持っていないからこそ、人は私から何も奪おうとしないのです。

マテリアルを追い求めていくことは、私にとっては人生ではありません。人間性を奪っていくものです。

warを通して私はそれを学びました。」

宿に着き、ミルザさんの言葉を思い返す。

水もない。電気もない。お金も、仕事も失った。

そしていつ銃弾や砲弾が飛んでくるかもわからない日々。

ミルザさんはその中で必死に how to strive を身に付けた。

頭をフル回転させて生き抜いた。

そこで得た知恵がミルザさんの力になり、心の支え、生きる姿勢につながっていったのだ。

生き抜こうとする中で自らの心と体を通して得た知恵。

それははじめからあったのではない。生き抜く過程で生まれてきたものだ。

何か自分の外に救いとなるようなものがあったのではない。

「これさえあれば自分の心が救われる。強く生きていける。」

そんな単純なものではないのだ。

ぼくは現実の厳しさを知った。ミルザさんはそれを教えてくれた。

ぼくは宗教の役割を無条件に信じ込みすぎていた。

いや、願っていたのだ。

宗教はすばらしいものであってほしいと。

宗教は人の役に立つものであってほしいと。

でも、宗教は万能ではなかった。

宗教は誰にとってもいつだって役に立つものであるというのはぼくの思い上がりだった。

もちろん、宗教の役割の大きさはぼくにとって捨てられるようなものではないし、その重要性も信じている。

宗教に救われた人が無数にいることも知っている。

しかし現実はそれだけではない。

それさえあれば何でも解決なんて魔法の道具のようなものはない。

自分の心と体で体験したこと。そしてそこから生まれてきたものが人を支えていく。

思えばお釈迦様もそうして仏教の教えを世に広めていったではないか。

偉大な宗教家や思想家も、皆それぞれが自分の体験から心と体を通して教えを世に説き広めていった。

自分の心と体を通して生まれてきたもの。

そして how to strive 。

ぼくはミルザさんから本当に大切なことを教えてもらったと思う。

心からの感謝しかない。

スレブレニツァを訪ねたぼくの長い一日はこうして幕を閉じたのであった。

続く

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