アメリカ

レーニン・スターリン時代のソ連の歴史

(3)愛妻の自殺を嘆き悲しむスターリン~スターリンの意外な一面とは

スターリンは仕事人間で家庭をまず顧みませんでした。しかしナージャとスターリンは度々喧嘩しながらも心を開いて会話ができる関係でした。スターリンにとって心許せる唯一のパートナーだったのです。

しかしソ連中枢部の異様な状況、つまり政治的策謀やスターリンの奔放な態度にナージャは精神を病んでいきました。そしてとうとう、彼女は自分の心臓を銃で打ち抜き自殺してしまったのです。

さすがのスターリンも妻の自殺にショックを受けたそうです。何百万人もの人を平気で殺した独裁者も妻の死には涙を流し、激しいショックを受けました。

何百万もの人たちの死に対してほんの少しでもそうした死を悼む気持ちがあったとしたら歴史は変わっていたかもしれません。いや、きっとそうならない人だからこそ独裁者になりえたということなのかもしれませんが・・・

レーニン・スターリン時代のソ連の歴史

(2)1932年ウクライナの悲惨な飢饉をもたらしたレーニンボリシェビズムと宗教の関係とは

ソ連社会では宗教はタブーとされていましたがそのソ連の仕組みそのものが宗教的なものの上に成り立っているという何というパラドックス。宗教とは何かということをテーマにこれまでも色々と考えてきましたがこれは非常に示唆に富む場面でした。

そしてスターリン政権下では少なくとも400万から500万にも人が餓死をしたというのです。それも人為的なものによって・・・

スターリン時代にこういうことが起きていたのです。しかもスターリン政権下ではそれすらも「素晴らしい新世界」を作るために正当化されたのでした・・・もはや想像を絶する規模の話と化してきました・・・

レーニン・スターリン時代のソ連の歴史

(1)スターリンとは何者なのか~今私たちがスターリンを学ぶ意義とは 

スターリン自身が「私だってスターリンじゃない」と述べた。

これは非常に重要な言葉だと思います。

スターリンはソ連の独裁者だとされてきました。しかしそのスターリン自身もソヴィエトというシステムを動かす一つの歯車に過ぎなかったのではないか。スターリンが全てを動かしているようで実はそのスターリン自身もシステムに動かされていたのではないかという視点は非常に興味深いものでした。

独裁者とは何かを考える上でこの箇所は非常に重要であると思います。

レーニン・スターリン時代のソ連の歴史

モンテフィオーリ『スターリン 赤い皇帝と廷臣たち』~ソ連の独裁者スターリンとは何者だったかを知るのにおすすめの参考書!

この作品の特徴は何と言っても人間スターリンの実像にこれでもかと迫ろうとする姿勢にあります。スターリンだけでなく彼の家族、周囲の廷臣に至るまで細かく描写されます。

スターリンとは何者だったのか、彼は何を考え、何をしようとしていたのか。そして彼がどのような方法で独裁者へと上り詰めたのかということが語られます。

この本は上下巻合わせて1200ページほどの大作です。ですが読んでいて全く飽きません。小説のような語り口によってどんどん引き込まれます。

読むにもなかなか骨が折れる大作ですがこれは読む価値ありです。面白いです!

レーニン・スターリン時代のソ連の歴史

『やばいデジタル “現実”が飲み込まれる日 』~個人情報が丸裸~情報管理社会の恐怖

友人は「この本はホラー小説を読んでるような気分で一気に読んでしまいました」と薦めてくれましたが、まさにその通り!ホラー小説とはよく言ったもので、ずばりそんな恐怖を感じる本でした。とても面白い本でした。これは今の時代にまさにオススメする1冊です。ぜひ手に取ってみてください。

この本を紹介してくれた友人には大感謝です。

キューバキューバ編

社会主義と資本主義、そして宗教のつながり~ぼくがキューバを選んだ理由 キューバ編⑥

ここまで4本の記事にわたってキューバの歴史をお話ししてきましたが、みなさんの中には次のような疑問をお持ちになった方もおられるかもしれません。

「なぜいきなりキューバの歴史をここまで話し出したのだろう。いや、そもそもなぜキューバ?キューバと宗教って何か関係はあるの?」と。

たしかにキューバは宗教の聖地ではありません。

ですが、私にとっては宗教を学ぶ上で非常に重要な国がキューバだったのです。

今回の記事ではその「なぜ私が宗教の聖地でもないキューバを選んだのか」ということについてお話ししていきます。

キューバ編

カストロの改革とソ連崩壊後のキューバ~キューバの歴史を解説⑷ キューバ編⑤

前回の記事「革命政権とミサイル危機~キューバの歴史を解説⑶ キューバ編④」でお話ししましたが、1962年、キューバ・ミサイル危機で世界は破滅までぎりぎりのところでなんとか踏みとどまることができました。

アメリカはキューバへの軍事侵攻計画を取り止め、ソ連はミサイル基地を撤去するという合意の下それは速やかに実行されました。

世界中の人々は安堵のため息をついたところでしたが、キューバからすれば煮えきらないものが胸の内に残ることとなりました。この記事ではそんなキューバのその後の展開についてお話ししていきます。

キューバキューバ編

革命政権とミサイル危機~キューバの歴史を解説⑶ キューバ編④

この記事ではキューバ革命直後からのキューバ史をざっくりとお話ししていきます。

当然ですが、革命は政権を打倒して終わりではありません。奪取した政権をこれから維持し運用していかなければなりません。指導者カストロはいきなり難しい立場に立たされることになりました。

その結果があのキューバ危機です。この記事ではそのキューバ危機までの流れを見ていきます。

キューバキューバ編

アメリカ植民地時代とキューバ革命~キューバの歴史を解説⑵ キューバ編③

前の記事「キューバの成立とスペイン統治時代~キューバの歴史をざっくり解説⑴ キューバ編②」では1902年にキューバがスペインから独立したものの、アメリカの半植民地と化してしまったところまでお話ししました。

今回の記事ではそこからキューバがアメリカと戦い、真の独立を果たすまでの歴史をお話ししていきます。

キューバ編

キューバの成立とスペイン統治時代~キューバの歴史をざっくり解説⑴ キューバ編②

みなさんはキューバといえばどんなイメージを抱くでしょうか。

おそらく、社会主義だったりキューバ危機だったりカストロの独裁だったりと、どちらかというと恐い国というイメージが浮かんでくるのではないでしょうか。

私もこの国のことを学ぶまではそのようなイメージを抱いていました。しかし、キューバ=危険な国というイメージは正確には正しくありません。キューバが危険な独裁国家であるというのは単なるイメージに過ぎないのです。

その実像は私たちが持つイメージとはかなり異なります。

今回の記事ではざっくりとではあるがキューバの歴史をもとにその実像に迫っていきます。