MENU

ツルゲーネフ『初恋』あらすじと感想~自伝的な性格を持ったツルゲーネフの代表作。父が子の初恋を・・・

初恋
目次

ツルゲーネフの自伝的代表作『初恋』あらすじ解説

ツルゲーネフ(1818-1883)Wikipediaより

『初恋』は1860年ツルゲーネフによって書かれた中編小説です。

私が読んだのは岩波文庫、米川正夫訳の『初恋』です。

では早速文庫表紙のあらすじを見ていきましょう。

16歳の少年が初めて恋した年上の女性ジナイーダにはすでに恋人があった。その相手がほかならぬ自分の父であることを知った時の驚きと悲しみ……。人生の曙「初恋」を歌うリリシズムに貫かれたこの自伝的物語は、哀愁の詩人としてのツルゲーネフ(1818-83)の真髄をよく伝え、またジナイーダは彼の創り出したもっともユニークな女性像といわれる。

岩波文庫、米川正夫訳『初恋』

あらすじにもありますようにこの小説はツルゲーネフの実際の体験をもとにして書かれています。自分が恋した女性が実は父の愛人だったという、もし実際にそういう場面に直面したらかなりショックを受けそうな内容です。

巻末解説ではこの作品について次のように述べられています。

『初恋』は、イヴァン・セルゲーヴィチ・ツルゲーネフの、一八六〇年の作である。この時には既に『猟人日記』『ルーヂン』『貴族の巣』『その前夜』など、多くの作品が書き上げられていたことであるから、この中篇が円熟した巨匠の筆にふさわしいものであることは、いうまでもないことであるが、しかし特に強調しなければならないのは、これがツルゲーネフの全創作中で、芸術的にもっとも渾然とした完璧なものとして、評家に許されていることである。

それは、ツルゲーネフが人間として、詩人として、もっともインチメートな、尊い思出を、この中篇の中に表現しようと努めたからである、といっても誤りではないと信ずる。

したがって、これが自伝的要素を含んでいることは、読者も察しられることと思う。そこで、その自伝的性質を明らかにするためには、作者の父母について一言しなければならぬ。というのは、『初恋』の主人公は少年ツルゲーネフであると同時に、彼の父ででもあるからである。いな、むしろ父の方が真の主人公である、といった方がより正しいのである。
※適宜改行しました

岩波文庫、米川正夫訳『初恋』P111

訳者の米川正夫によると『初恋』はツルゲーネフ作品中でも芸術的に非常に優れた作品であるとしています。

そしてこの作品を読むにあたってツルゲーネフの父母について知ることがその読書の手助けになることを述べています。

この点について以前紹介したドストエフスキーのライバル・ツルゲーネフの生涯と代表作を紹介―『あいびき』や『初恋』『父と子』の作者ツルゲーネフの人間像の中から再び引用します。

母は権勢欲の強い、わがままで、ヒステリックな婦人で、農奴にたいする仕打ちは苛酷であった。元来、彼女は孤児としてみじめな青春をすごしたのであったが、すでに老嬢となってから、はからずも莫大な資産の相続人となったのである。

そこへ、古い家柄の出ではあるが、零落した士族であるツルゲーネフの父があらわれて、二人は結婚をした。夫から見て、いわば金が目当てであるこの結婚は、妻にとって幸福であり得なかった。

二人の間にはとかく風波が絶えず、その家庭生活がどんなに味気ないものであったかは、ツルゲーネフの自伝的短篇小説『初恋』(一八六〇)に描かれているところである。
※一部改行しました

岩波書店 佐々木彰訳『猟人日記 下』P299

ツルゲーネフの母ヴァルヴァーラははからずも莫大な遺産を相続し、一躍大地主になりました。そしてその財力を目的に父セルゲイは求婚し結婚したのでした。美男子で華やかな雰囲気をまとうセルゲイに母は惚れ込んだのでしたが、セルゲイはそうではありません。そのため二人の夫婦生活はとても幸福とはいえるようなものではありませんでした。

巻末解説を引用します。

セルゲイは若くして世を去るまで、絶えず家庭外の情事をくり返した。良人を限りなく愛していたヴァルヴァーラは、おおむね無言でそれを忍んでいた。時たま嫉妬を制しかねて、当てこすりめいたことを口走っても、良人の方は慇懃な冷たい態度を崩すことがなかった。まれに妻が前後を忘れるような場合には、鋭い一喝で沈黙せしめる要領も心得ていたらしい。

岩波文庫、米川正夫訳『初恋』P112

この家庭外の情事のひとつが『初恋』で語られることになるのです。

感想―ドストエフスキー的見地から

『初恋』はツルゲーネフの代表作でありますが、実際に読んでみてやはりその面白さを感じることになりました。

訳者解説でも次のように賛辞を送っています。

十六歳の少年が、生涯ではじめての清純な、激しい熱情を燃やして、身も心も捧げつくしている「女王」が、他の男性への恋に悩んでいることを察し、やがてその対象がほかならぬ自身の父であると知った時の、驚きと悲しみ、その間の微妙な心の動揺が、いかに繊細にまた深く描かれていることか。

また物語の中にはまれにしか現われない父親の特異な性格が、簡潔なタッチによって、如何に美事に彫り上げられていることか。

最後に、女主人公ジナイーダの暴君と女奴隷の両面を内部に秘めた、驕慢であると同時にあくまで女性的な人間像の完璧さ、―これらすべてが、少年の若々しい感覚を通して描かれているために、そこはかとなき甘美な感傷につつまれていると同時に、生活経験を積んだ中年男の手記という形式で書かれているために、行間に自然と現われて来る観察の精密さも的確さも、読者にとって不自然に感じられない。

このような意味で、『初恋』はまさに天衣無縫の芸術作品であって、ボリス・ザイツェフの言葉によれば、「トルストイ、ドストエーフスキイさえ羨望を感ずる」ほどである。
※一部改行しました

岩波文庫、米川正夫訳『初恋』P112

最後の「トルストイ、ドストエーフスキイすら羨望を感ずる」と言われるほどの完成度がこの作品にはあります。

主人公が恋するジナイーダという女性はまさしく女王というべき存在です。

その美貌と才智、立ち振る舞いの魅力に、多くの男が寵愛を受けるためにいつも彼女の周りを取り巻いています。主人公もその一人でした。

彼女は男たちを軽くあしらいますが、その高飛車さが男たちの情熱にさらに火をつけます。このジナイーダの女王っぷりはどこかドストエフスキーの作品に出てくる女性に似ています。高慢で移り気でしかも人を惹き付けてやまない不思議な魅力を持つ女性像。『白痴』『賭博者』あたりがそれに近いかもしれません。

そして主人公もそんな彼女に夢中になり、その熱情に苦しむことになります。

しかし、そんな日々を過ごす主人公ですが、最近どうも彼女の様子がおかしい。

そこで主人公がこっそりと調べるとなんと、そこには父の姿が・・・

女王のようだった彼女が父の前ではまるで奴隷のように屈し、恋をしている。それを彼は知ることになるのです。

この父というのがまたすごいのです。

ツルゲーネフの父がモデルのこの人物ですが、尋常ではないほどの男としての強さが描かれています。派手な描写はありません。ですがその落ち着いた迫力、圧倒的な力がその描写からにじみ出ています。

女性を有無を言わせぬ力で押さえつけ、虜にしてしまう強さが彼にはあるのです。

マッチョ的な強さや、軽薄な話術でたぶらかす魅力とは全く異質なものです。

少年ツルゲーネフが感じた父の圧倒的な力をこの小説では感じることになります。

優しさとか親切とか温かみとか、そういう感性を持つツルゲーネフとは全く真逆の何か冷たい暴君的なまでの力。男としての力。この謎ながら強大な力を持つ父が彼の初恋の相手をいとも簡単に奪い取っていくのです。

父にかかればあの女王も奴隷のように恋してしまう。自分があれだけ敬い恋していた女王が、自分を奴隷のように扱う女王があっさりと父の前にひれ伏す。

これはきついです。

繊細な感性を持つツルゲーネフにはやりきれないものがあったことでしょう。

いやいや、小説なんだしそこまで考えても仕方がないと思う方もいるかもしれません。

しかし、これが実際にあった話をもとにして描かれているからまた強烈なのです。この記事の前半にもお話ししましたがツルゲーネフは少年の時にこれとまったく同じ体験をしているのです。

ツルゲーネフの恋愛観を形成した上でこの出来事は非常に大きな比重を占めているものと思われます。

物語としても非常に面白い『初恋』ですが、ツルゲーネフの恋愛観を知る上でも非常に興味深い作品となっています。

分量も文庫で100ページ少々と気軽に読めるものとなっています。

ツルゲーネフの代表作『初恋』、とてもおすすめな作品です。

以上、「ツルゲーネフの自伝的代表作『初恋』あらすじ解説」でした。

Amazon商品ページはこちら↓

初恋 (岩波文庫 赤 608-4)

初恋 (岩波文庫 赤 608-4)

次の記事はこちら

あわせて読みたい
ツルゲーネフ『父と子』あらすじと感想~世代間の断絶をリアルに描いた名作!あまりに強烈! ツルゲーネフがバザーロフというニヒリストを生み出すと、それ以降現実世界においてそのような人は「バザーロフ的人間」とか「ニヒリスト」と呼ばれることになりました。 この影響力たるやすさまじいものがあります。 これをやってのけたツルゲーネフの観察者、芸術家としての能力はやはりずば抜けています。

前の記事はこちら

あわせて読みたい
ツルゲーネフ『その前夜』あらすじと感想~農奴解放直前のロシアを描いた長編小説 この作品が発表された1860年はまさしく1861年の農奴解放令の前夜でした。 世の中の流れが農奴解放へと向かって行く中で、青年たちはどのようなことを思い、何をしようとしているのか。それをツルゲーネフは凝視します。

ツルゲーネフのおすすめ作品一覧はこちら

あわせて読みたい
ロシアの文豪ツルゲーネフのおすすめ作品8選~言葉の芸術を堪能できる名作揃いです 芸術家ツルゲーネフのすごさを感じることができたのはとてもいい経験になりました。 これからトルストイを読んでいく時にもこの経験はきっと生きてくるのではないかと思います。 ツルゲーネフはドストエフスキーとはまた違った魅力を持つ作家です。ぜひ皆さんも手に取ってみてはいかがでしょうか。

関連記事

あわせて読みたい
ロシアの文豪ツルゲーネフの生涯と代表作を紹介―『あいびき』や『初恋』『父と子』の作者ツルゲーネフの... ドストエフスキーのライバル、ツルゲーネフ。彼を知ることでドストエフスキーが何に対して批判していたのか、彼がどのようなことに怒り、ロシアについてどのように考えていたかがよりはっきりしてくると思われます。 また、ツルゲーネフの文学は芸術作品として世界中で非常に高い評価を得ています。 文学としての芸術とは何か、そしてそれを補ってやまないドストエフスキーの思想力とは何かというのもツルゲーネフを読むことで見えてくるのではないかと感じています。 芸術家ツルゲーネフの凄みをこれから見ていくことになりそうです。
あわせて読みたい
アンリ・トロワイヤ『トゥルゲーネフ伝』あらすじと感想~ツルゲーネフの意外な素顔を知れるおすすめ伝記! トロワイヤは彼の他の伝記作品と同じく、この作品でも物語的な語り口でツルゲーネフの生涯を綴ります。 特に、ドストエフスキーをもっと知りたいという方には必見です。ドストエフスキーがなぜ彼をこんなにも毛嫌いしたかがよくわかります。そして、そんなツルゲーネフがなぜそのようになっていったのかも幼少期から遡って知ることができます。
あわせて読みたい
ツルゲーネフの農奴制嫌悪のはじまりと暴君のごとき母ードストエフスキーとの比較 ツルゲーネフの母ヴァルヴァーラはまるで専制君主のような暴君ぶりで農奴に恐れられていました。 ツルゲーネフは間近で虐待される農奴の姿を同情の目で見ていました。そしてそのまなざしは単なる他人事ではなく、彼自身が感じる恐怖と憎しみと一体化したものでした。 ツルゲーネフの幼少期はそうした非常に気の毒なものでした・・・
あわせて読みたい
ツルゲーネフとヴィアルドー夫人の宿命の恋~ツルゲーネフの運命を決めたオペラ女優の存在 ツルゲーネフには生涯にわたって愛し続けた一人の女性がいました。 それがポーリーヌ・ヴィアルドーというオペラの歌姫です。 この記事ではそんなツルゲーネフの恋についてお話ししていきます。
あわせて読みたい
ツルゲーネフの代表作『猟人日記』あらすじと解説~ツルゲーネフの名を一躍文壇に知らしめた傑作 『猟人日記』ではツルゲーネフの芸術性がいかんなく発揮されています。彼の自然に対する美的センスは並外れたものがあるようです。 また、この作品は彼の幼少期、虐げられた農奴の姿を目の当たりにしていたことも執筆の大きな要因となっています。
あわせて読みたい
二葉亭四迷で有名『あいびき』あらすじと感想~ツルゲーネフの『猟人日記』に収録された名作 『あいびき』は二葉亭四迷によって日本に紹介され、日本文学界に大きな影響を与えました。当時はドストエフスキーやトルストイよりも、ツルゲーネフがまずロシア第一の作家として日本では流行していました。 おそらく日本において最も知られているツルゲーネフ作品のひとつがこの『あいびき』であるのではないでしょうか。
あわせて読みたい
ツルゲーネフ『ファウスト』あらすじと感想~ゲーテの『ファウスト』に影響を受けた恋愛物語 ツルゲーネフの後半生の作品は憂鬱な気分にさせるものが多いです。そのきっかけとなった時期がまさにこの頃であると言われています。 ここから「あきらめなければ」という諦念がツルゲーネフを強く覆っていくことになります。
あわせて読みたい
ツルゲーネフ『ルーヂン』あらすじと感想~ロシアのハムレット「余計者」を生み出した名作! この作品の主人公ルーヂンは洗練された立ち振る舞いや圧倒的な弁舌の才によって田舎の人々をあっという間に魅了してしまう魅力的な好男子です。 しかしその正体はなんと悲しきかなや、単なる空っぽな人間だったのです。彼には確固たる意志もなく、社会のどこにいてもうまくやっていけない社会不適合者だったのです。
あわせて読みたい
ツルゲーネフ『貴族の巣』あらすじと感想~ロシアで大絶賛されたツルゲーネフの傑作長編 ツルゲーネフを学ぶまで『貴族の巣』という小説はまったく知らなかったのですが、この作品がツルゲーネフの作品中屈指の人気があるというのは驚きでした。 ロシア中から大喝采をもって迎えられるほどこの作品はロシアで大人気となり、ドストエフスキーもこの作品に対して賛辞を送っています。
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

コメント

コメントする

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

目次