(9)「俺はみじめな男だ!」ジャン・ヴァルジャンの回心を決定づけたプチ・ジェルヴェ事件

(9)「俺はみじめな男だ!」ジャン・ヴァルジャンの回心を決定づけたプチ・ジェルヴェ事件
第一部 ファンチーヌ 第二章 転落 ⑹
19年の徒刑生活で身も心も荒みきっていたジャン・ヴァルジャンはミリエル司教の慈しみに触れ、衝撃を受けます。
ミュージカルでは銀器を贈られたことで彼はこれまでの生き方を悔い、新たな人生を生きることを誓いましたが、原作ではここからさらにもう一つの事件があったのです。ジャン・ヴァルジャンが真に改心したのは実はその事件がきっかけだったのです。
ミュージカル映画では時間の関係上このエピソードはカットされてしまいましたが、原作ではこの事件は非常に大きな意味を持った事件です。(舞台ではセリフのある物語としては語られませんが、この事件を連想させる場面があります)
その事件は次のような場面から始まります。
太陽が西に傾いて、小石の影まで地上に長くのびるころ、ジャン・ヴァルジャンは、人っ子一人いない褐色の広い野原で、藪の陰に坐っていた。地平線にはアルプスが見えるだけだった。
新潮社、ユゴー、佐藤朔訳『レ・ミゼラブル㈠』P202
私がこの描写にとことんまで唸らされました。夕暮れの野原の風景をこんなに見事に表すユゴーに私はひれ伏さざるをえません。なぜこんな表現が思いつくのでしょう!「太陽が西に傾いて、小石の影まで地上に長くのびるころ」です。こんなお洒落な言葉があるでしょうか。プチ・ジェルヴェ事件の本質とは離れるかもしれませんが、こうした美しい言葉がそこかしこに散りばめられているのが『レ・ミゼラブル』であります。このことをぜひお伝えしたいと思い、今ここに引用しました。
さて、肝心のプチ・ジェルヴェ事件ですが、話自体はシンプルです。
ジャン・ヴァルジャンが無意識に子供のお金を盗ってしまったというのがその事件のあらましになります。
原作ではミリエル司教に銀器を贈られた後、ジャン・ヴァルジャンは逃げるように町を出て野原を歩いていました。その野原の風景が上の引用になります。
そして彼はこの時まだ改心どころではありません。ミリエル司教の突然の慈悲に彼はパニックとなっていました。彼の心の中で何かが大きく動き出し、葛藤していたのです。
そんな時に出会ったのがプチ・ジェルヴェという少年だったのでした。
そしてジャン・バルジャンは彼の硬貨を半ば無意識に取り上げてしまうのです。
我に返りプチ・ジェルヴェを探すももう手遅れでした。そこではじめて彼は「おれは、みじめな男だ!」と叫ぶのです。このシーンは原作で読んでも衝撃でした。せっかくですのでこのシーンの一部を原作で見ていきましょう。
彼の心のやましさの重味が、何か目に見えない力となって、いきなり、彼を押しつぶしたかのように、その足が急にへなへなとなった。彼は力つきて、大きな岩の上に倒れ、両手で髪をつかみ、顔を膝にあてて、叫んだ。
「俺はみじめな男だ!」
そのとき、心が裂けて、彼は泣きだした。十九年来、彼が泣くのは、これが初めてだった。
ジャン・ヴァルジャンが司教の家から出たときには、前にも見たように、それまでとはまるで考えが変わっていた。自分の心の中に何が起こったのかわからなかった。老人の天使のような行為と、優しい言葉には、抵抗を感じた。「あなたは正直な人間になることを、わたしに約束した。あなたの魂を、わたしは買います。邪悪な精神から、あなたの魂を引離して、神に捧げます。」この言葉は絶えず思い出された。彼はこうした神のような寛大さにたいして、心の中の悪の要塞のような傲慢さをもって対抗した。あの司祭の許しは、最大の襲撃であり、最も恐ろしい攻撃であって、そのために彼はいまだに動揺しているようであり、あの寛大さに反抗すれば、自分の頑固さは決定的になるだろうし、それに屈服すれば、他人の仕業によって多年自分の心をみたしてきた、自分にも快いと思われた憎しみを捨てなければならないだろう、今度こそは勝つか負けるかしなければならないし、自分の悪意とあの男の善意との間で、戦いが、大きな決定的な戦いがはじまったことを、漠然と感じていた。
新潮社、ユゴー、佐藤朔訳『レ・ミゼラブル㈠』P210-211
ここでわかりますように、司教館を出てしばらくはまだジャン・ヴァルジャンは改心していなかったのです。心の中で善と悪が戦っていたのでした。
この後も原作ではジャン・ヴァルジャンの内面の戦いが描かれます。ユゴーの鮮やかな心理分析は驚くほどです。
ジャン・ヴァルジャンは長いこと泣いていた。熱い涙を流して泣き、泣きじゃくっていた、女よりも弱々しく、子供よりもおびえて。
泣いているうちに、彼の頭脳の中に、ますます明るさができてきた。それは異常な明るさであり、うっとりするような、また恐ろしい明るさだった。過去の生活、最初のあやまち、長い贖罪、外面的な愚鈍化、内面的な頑固化、多くの復讐の計画を楽しみにした釈放、司教の家で起ったこと、最後に彼がしたこと、子供から四十スーを盗んだこと、司教の許しのあとでやっただけに卑怯でふとどきな罪、そうしたことがすべて思い出され、はっきりと、これまで見たこともない明るさであらわれた。彼は自分の生涯を見つめた。それは恐ろしいものに見えた。自分の魂を見つめたが、それはぞっとするようなものに見えた。しかし、その生活とその魂の上には、優しい明るさがあった。天国の光明で、悪魔を見ているような気がした。
こうして彼は、何時間泣いただろうか?泣いたあとでどうしたか?どこへ行ったか?それは誰も知らなかった。ただたしからしいことは、同じ晩、そのころグルノーブル通いをしていて、朝の三時ごろにディーニュに着いた馬車屋が、司教館の通りを抜けたとき、一人の男がビヤンヴニュ閣下(※ミリエル司教 ブログ筆者注)の戸口の前で、闇の中に、敷石の上にひざまずきながら、お祈りをしている格好を見たということだ。
新潮社、ユゴー、佐藤朔訳『レ・ミゼラブル㈠』P215-216
ジャン・ヴァルジャンは司教の慈悲によって直ちに改心したわけではありません。原作ではその後のプチ・ジェルヴェ事件を通し、自らの心と真に向き合うことで新しい人生へと踏み出すことになります。
司教の優しさによって変われるかと思った矢先に無意識に子供のお金を奪ってしまった。あんなに慈悲をかけてもらったのにもう司教を裏切ってしまった。自分はなんとみじめな男なのだろう!とジャン・ヴァルジャンは泣き崩れるのです。
このプチ・ジェルヴェ事件はレミゼ全体を通しても非常に重要な出来事です。そしてジャン・ヴァルジャンの内面を知る大きな手掛かりとなっています。
ミュージカルでも主要テーマとなっている「Who am I ? (私は誰だ?)」もまさにここに繋がっています。
ユゴーはこのプチヴェルヴェ事件についてこう語っています。
簡単に言えば、盗んだのは、彼ではなかった。人間ではなかった、けだものだった。そのけだものが、習慣と本能によって、うっかりあの銀貨の上に足をおいたのだ。一方,知性の方は奇妙な、新しい、多くの執念のただ中で、もがいていたのである。知性が目ざめて、このけだものの働きを見たとき、ジャン・ヴァルジャンは苦悩のあまりあとじさりし、恐ろしくて、叫んだのだ。
新潮社、ユゴー、佐藤朔訳『レ・ミゼラブル㈠』P213
私は誰なのだ。けだものか、みじめな徒刑囚のジャン・ヴァルジャンか、それとも生まれ変わった人間か。
これはジャン・ヴァルジャン一人の問いでありますが、人間存在の根源を問う命題であることも見逃せません。私達人間は一体何なのか。この悲惨な世界で互いに傷つけあう私達は一体何なのか。そしてその反対にミリエル司教のような存在もいる・・・。私は一体何者なのだ!
人間の善悪の問題をユゴー流に問いかけたのがこのプチ・ジェルヴェ事件に他なりません。この記事ではこれ以上詳しくはお話しできませんが、原作ではユゴーの分析が細かく記されています。興味のある方はぜひこの箇所を熟読してみてください。
そして個人的にこのエピソードでもう一つ私が印象に残っている箇所があります。少し長くなりますが以下の引用を読んでいきましょう。
この最後の悪事は、彼に決定的な影響を与えた。(中略)
まず最初は、自分を検討し、反省しないうちから、逃げ出そうとする人のように、夢中になって子供を捜して、金を返そうとした。それから、それが無駄、不可能だとわかったとき、絶望して立ち止った。「俺はみじめな男だ!」と叫んだとき、彼はありのままの自分に気がついたのだ。彼はもう自分自身から離れてしまって、自分が幽霊にすぎないように思われた。そして彼の前には、生身の彼が手に杖を持ち、作業服を着て、盗品をつめた袋をしょい、覚悟を決めた陰気な顔をして、恐ろしい計画にみたされた考えを持った、みにくい囚人ジャン・ヴァルジャンがいるのだった。
あまりにも不幸なことが、前にも書いたように、彼をいわば幻覚者にしてしまった。だからこれも幻覚のようなものだった。彼は、ジャン・ヴァルジャンを、その邪悪な顔を、目前にありありと見たのである。彼は、お前は何者だと、ほとんど問いかけようとして、恐怖を感じた。
新潮社、ユゴー、佐藤朔訳『レ・ミゼラブル㈠』P213-214
ジャン・ヴァルジャンは自分のしでかしたことのショックで幻覚を見てしまいます。それはみじめな徒刑囚ジャン・ヴァルジャンその人でした。彼は幽体離脱して自分の身体を見るかのように、自分のおぞましい姿を眼前に見たのです。
ただ、その幻覚はこのみじめな自分だけではありませんでした。この醜い自分と対面した彼が「あるもの」に気付くのです。それこそ彼の人生を決定づける偉大なる瞬間なのでありました。
そこで彼は、いわば、面と向かったように自分をながめ、この幻覚をとおして、神秘な深みの中に、一種の光明を見たが、最初、それを燭台と思った。彼の良心にあらわれたこの光を、もっと注意してながめていると、それが人間の形をしていて、その燭台は司教であることがわかった。
彼の良心は、こうして自分の前におかれた二人の人間を、司教とジャン・ヴァルジャンとを交互に見つめた。後者を溶かすには、どうしても前者が必要だった。この種の没我状態に特有の奇妙な働きのおかげで、彼の夢想がつづくにつれて、司教は彼の目には、ますます大きくなって光り輝き、ジャン・ヴァルジャンは次第に小さくなって消えていった。しばらくすると、それはもう影にすぎず、急に消えてしまった。司教だけが残った。それがこのみじめな男の魂全体を、すばらしい輝きでみたしたのである。
新潮社、ユゴー、佐藤朔訳『レ・ミゼラブル㈠』P214ー215
「ユゴーは偉大なり!」私は感嘆せずにはいれません!皆さんはお気づきになられましたでしょうか、ここでいかにユゴーが見事なレトリックを用いているかということに。
特に、「後者を溶かすには、どうしても前者が必要だった」、この言葉です。これはまさにジャン・ヴァルジャンを温かく迎えた蝋燭のイメージと完全に重ねられています。
銀の燭台と蜜蝋が彼にどれほど大きな衝撃を与えたかは「(6)ミリエル司教の灯した蝋燭の火にこれほどの意味があったと誰が想像できようか」の記事でもお話しした通りですが、ユゴーはここで巧みにその印象を蘇らせています。そしてそれは私達読者にとっても同じです。まさに、最大級の視覚効果を伴って彼の心理変化をここでユゴーは表現しているのです。これには参りました。ユゴー、偉大すぎます。
プチ・ジェルヴェ事件はジャン・ヴァルジャンの回心が描かれる非常に重要な場面でありますが、そこに懸けたユゴーの意気込みのようなものも感じられます。ここは作中屈指の重要場面です。原作ならではの重厚な心理描写を味わえる実に見事な章でありました。
続く
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