(24)こんな人たちのためにマドレーヌ氏は生きていたのか~逮捕後掌返しをする町の人々に思う

「ユゴーの原作『レ・ミゼラブル』を読む」(24)こんな人たちのためにマドレーヌ氏は生きていたのか~逮捕後掌返しをする町の人々に思う
ファンチーヌの病室でジャヴェールに捕らえられたジャン・ヴァルジャンはそのまま町の監獄に入れられます。
ミュージカル版ではあの場でジャヴェールを振り切り姿を消しますが、原作ではおとなしく逮捕されていたのです。
そしてここからが胸が痛くなる展開へと移っていきます。ぜひ皆さんも心して読んでみてください。
マドレーヌ氏の逮捕は、モントルイユ・シュル・メールにセンセーションをまき起した。むしろ、異常なショックを与えた。
悲しいことに私は、次のことを隠しておくわけにはいかない。すなわち「あいつは懲役人だった」という言葉だけで、すべての人はほとんど彼を見捨ててしまったことである。二時間足らずの問に、彼のなしたすべての善行は忘れられ、彼はもはや「懲役人」にすぎなかった。もっとも、アラスの事件の詳細は、まだ知られていなかった、といった方が正しい。一日じゅう、町のいたるところで、こんな会話が聞かれた。
「知らないのか?あれは放免囚だってよ!」「誰が?」「市長」「へえ!マドレーヌ氏が?」「うん」「本当か?」「あの男はマドレーヌというんじゃなかったんだ。べジャンとか、ボジャンとか、ブージャンとか、恐ろしい名前だよ」「へえー!」「逮捕されたよ」「逮捕された!」「市の監獄にぶちこまれている。そのうち移されるよ」「移される!移されるのか!どこへ移されるんだ?」「重罪裁判所に回されるんだ。昔大道で盗みを働いたというのでね」「ふん!くさいと思っていたよ。あの男は親切すぎた。申分がなさすぎた。聖人ぶっていたよ。勲章は断わる。浮浪児に会えば、金をやる。何かよくない前歴があると思っていたんだ」
社交界では、とりわけこの種の話でもちきりだった。
『ドラポー・ブラン』紙(訳注 王党派の新聞)の購読者のある老婦人は、ほとんど測りしれないほど深い意味の次のような意見を述べた。
「わたしには、お気の毒とは思えませんわ。ブオナパルテ派には、いい見せしめですもの!」
このようにして、マドレーヌ氏と呼ばれた幻影は、モントルイユ・シュル・メールから消え去った。ただ町じゅうで三、四人の人びとだけが、この記憶に忠実だった。彼に仕えた門番の老婆も、その中に入っていた。
新潮社、ユゴー、佐藤朔訳『レ・ミゼラブル㈠』P557-559
何ということでしょう・・・。あれだけ「市長様市長様」とマドレーヌ氏を持ち上げていた人々がこうもあっさりと彼を侮辱するのです。
このシーンを読んでいて私は『カラマーゾフの兄弟』のゾシマ長老を連想してしまいました。ゾシマ長老もその死後心ない人々からあまりにもむごすぎる仕打ちを受けます。ドストエフスキーはそれを「人びとは心正しき者の堕落と恥辱を好む」と表現しています。まさにマドレーヌ氏もこの言葉通りの仕打ちを受けたのでありました。
それにしても、ジャン・ヴァルジャンはこんな人たちのために身を粉にして生きていたのです。私はその事実にやりきれなくなります。
シャンマチウ事件では「私がいなくなれば彼らはどうなる?」と彼は本気で心配していました。
ですが、その彼らは都合の良い時だけジャン・ヴァルジャンを崇め奉り、そうでなくなったらこの有り様なのです。なんと報われないことでしょう!
ただ、ひょっとするとジャン・ヴァルジャンはそんな彼らのことを最初から知っていたかもしれません。なぜなら彼自身、元々貧民(みじめな人々)の出身であり、人々の心の苦しみを痛いほど知っています。さらに監獄での地獄の19年の日々は彼に様々な人間模様を教えたことでしょう。ドストエフスキーもシベリアの監獄生活で人間の深淵を覗いています。また、私達もミリエル司教と出会う前のジャン・ヴァルジャンが受けた仕打ちを覚えています。村の人々は元懲役囚であることがわかった途端、彼を残酷に扱いました。
つまり、彼は人々がこうなることを知っていた可能性が高いのです。だからこそ彼は自分の存在が明るみに出ないよう細心の注意を払ってこれまで生きてきたのです。彼が市長となって善行に励んでいたのたのも単なる慈愛の精神だけでなく、身を守るためでもあったとシャンマチウ事件での葛藤でもたしかに書かれています。
彼が自白するのをあそこまで恐れたのはこうなってしまうことを予見していたからに他なりません。
となると、ここまで悪口を言われているその瞬間、ジャン・ヴァルジャン自身はもうこの侮辱をあまり気にしていない可能性があります。こうなってしまった以上何の驚きもない。そんな境地かもしれません。
そう考えてみると、人々の変節を憎らしく思ってしまう我々の方が当時の人々を理解していないということになるかもしれませんね。悲しいことですが、それが人間世界の現実なのでしょう。
とはいえ、やはりジャン・ヴァルジャンの慈悲の心の偉大さには胸打たれるものがあります。
自分を守るためといっても、それが全てでなかったことは明らかです。フォーシュルヴァンが馬車の下敷きになった時も命がけで彼は救おうとしました。これが保身ではないことは明らかです。それに、苦しんでいる人のために進んで慈善を行っていたのも事実です。彼は人々が恩知らずであろうがなかろうが、愛し、手を差し伸べたのです。人間の闇を知っていながら彼はただ行動したのです。そう、ミリエル司教のようにです。
たしかにジャン・ヴァルジャンは今、町の人々から侮辱を受けています。自分たちが受けた恩を忘れ、悪口の快楽に身を任しています。ですが、それがなんだというのでしょう!ジャン・ヴァルジャンの物語を読んでいる私達は彼の高潔さを知っています。彼への侮辱が不当であることを知っています。それで十分なのです。
ジャン・ヴァルジャンはすべてを知った上で彼らに愛を注ぎました。その偉大なる慈悲を私達は胸に刻むことにしましょう。
そしてこの物語でも数人の人が変わらずジャン・ヴァルジャンを信じ続けています。真に偉大なる人の存在をわかることができるのはたったこれだけの人なのです。ですが、その「たったこれだけの人」でも存在するという事実だけでも私たちには救われるものがあると言えるのではないでしょうか。
ちなみにですが、この町はマドレーヌ氏を失って急速に没落していきます。それぞれが自分の利益や欲望に忠実に生きた結果あっという間にすべてが崩壊してしまったのです。マドレーヌという公正無私な人物が身を粉にしていたからの繁栄だったことがやはり証明されてしまったのです。この事実は後の第二部で明らかにされますが、ここで先に述べておくことにしましょう。
さて、こうしてファンチーヌは死に、ジャン・ヴァルジャンはジャヴェールに捕らわれてしまいました。
ですがそこはさすがジャン・ヴァルジャン。町の監獄を抜け出してこっそりと家へ帰還します。
そして身支度を整え今度こそ姿を消します。
これが『レ・ミゼラブル』第一部のラストになります。
いや~、久々に一気に『レ・ミゼラブル』を読んできましたが面白すぎますね。
今回再読して一番印象に残ったのはジャン・ヴァルジャンの葛藤です。ここまでジャン・ヴァルジャンが長いこと苦しんでいたことに今更ながら驚いたのでありました。フォーシュルヴァン事件とシャンマチウ事件が「葛藤」という点で繋がったのも私にとっての発見でありましたし、ファンチーヌの死には改めて考えさせられるものがありました。
やはり時代を超えて愛される名著というのは何度読んでも良いものですね。読む度毎に新たな味わいがあります。私自身、今1歳になる子供がいるのですが、ファンチーヌの子を想う気持ちというのは本当に胸に刺さるものがあります。
これから私がさらに歳を取ったらその時はその時でまた感じるものがあることでしょう。
やはり『レ・ミゼラブル』はこれから一生付き合うことになる私のバイブルのひとつになりそうです。
では、引き続き第二部へと進んでいくことにしましょう。
続く
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