目次
「ユゴーの原作『レ・ミゼラブル』を読む」(5)「お前」ではなく「あなた」と呼んでくれた司教…ジャン・ヴァルジャンの人生を変えた一言について
第一部 ファンチーヌ 第二章 転落 ⑵
老婦人に勧められて司教の下を訪ねたジャン・ヴァルジャン。
その登場シーンは前回の記事でお話ししましたように、実に演劇的です。
そして彼は自らの境遇を語り、なんとか止めてくれるよう懇願します。これまで町の人々から散々な扱いを受けてきたジャン・ヴァルジャンです。「どうせここでも・・・」と半ばあきらめ半分の気持ちもあったことでしょう。
ですが、ここでの対応はジャン・ヴァルジャンが想像すらしていないものでありました。
ミリエル司教はジャン・ヴァルジャンの罪歴など全く気にする素振りも見せず、実に親切に彼を迎えたのです。そして極めつけが次の言葉でした。
「さあ、おかけなさい。火にあたりなさい。すぐに夕飯にします。あなたが食事している間に、ベッドの用意ができるでしょう。」
新潮社、ユゴー、佐藤朔訳『レ・ミゼラブル』P142
文字面だけを見ますと何の変哲もない、平凡な言葉であります。ですが、これこそジャン・ヴァルジャンの人生を根底から覆した重大な言葉であったのです。せっかくですので彼の言葉を聞いていきましょう。
ほんとですか?驚いた!わたしを泊めてくれる?追っ払わない?徒刑囚を?わたしを〈あなた〉と呼んでくれる!お前と言わない!わたしはいつも〈出て行け、犬め〉と言われている。あんたにもてっきり追い出されるだろうと思っていましたよ。だから、先に素性をあかしたんです!
新潮社、ユゴー、佐藤朔訳『レ・ミゼラブル』P142-143
「わたしを〈あなた〉と呼んでくれる!お前と言わない!」
これは『レ・ミゼラブル』の物語にとって極めて重要なポイントになります。先回りになってしまいますが、ジャベールとの関係性もまさにこの言葉が鍵となってきますし、ジャン・ヴァルジャン自身が「Who am I ?」つまり私は何者なのかと問い続ける物語こそ『レ・ミゼラブル』になります。
まさにジャン・ヴァルジャンが司教に「あなた」と呼ばれたことは、彼自身が「あなた」という人間であったことに気付かされた瞬間でもあったのです。「お前」でも「24601番」でも「犬」でもない。人間としての尊厳を持った「あなた」なのだと。そしてそれは同時に「あなた」としての人生をこれからは生きねばならぬという大いなる十字架でもありました。
この時点ではまだジャン・ヴァルジャンもそれを自覚していません。彼の中で完全なる変化が起きるにはこの後のいくつかの事件が必要でした。ですが、司教に「あなた」と呼ばれた時点で彼の人生はすでに動き始めています。このことはぜひ注目したいポイントであると私は考えています。
続く
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