ヴォルテール『寛容論』~狂信、宗教対立に対するヴォルテールの告発とは!今こそ読みたい名著!

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ヴォルテール『寛容論』概要と感想~狂信、宗教対立に対するヴォルテールの告発とは!今こそ読みたい名著!

ヴォルテール(1694-1778)Wikipediaより

今回ご紹介するのは1863年にヴォルテールによって発表された『寛容論』です。

私が読んだのは中公公論新社より2011年に発行された中川信訳『寛容論』(2016年第4刷版)です。

早速この本について見ていきましょう。

新教徒が冤罪で処刑された「カラス事件」を契機に、宇宙の創造主として神の存在を認める理神論者の立場から、歴史的考察、聖書検討などにより、自然法と人定法が不寛容に対して法的根拠を与えないことを立証し、宗教や国境や民族の相異を超えて、「寛容(トレランス)」を賛美した不朽の名著。

Amazon商品紹介ページより 

この作品は「カラス事件」という、フランスで起きたある事件がきっかけで生まれた作品です。

冤罪であるにも関わらず住民や判事らの狂信によって父が死刑を執行され、家族共々悲惨な目に遭ってしまったカラス一家。その一報を知ったヴォルテールは激しく心を揺さぶられこの事件に介入することを決意します。

前々回の記事で紹介した『ヴォルテールの世紀 精神の自由への軌跡』ではこのことについて次のように解説しています。

かれは運命が自分を事件に結びつけたのだといっているけれど、かれを動かした本当の動機はきわめて明快なものであって、それは自分は人間であるという感情だった。事実、ヴォルテールは事件を知ってから数日して、ダルジャンタルに「なぜわたしがこれほど強くあの車刑になったカラスに関心を寄せているかといえば、それはわたしが人間だからです」(Ⅵ-八四五頁)と書いている。

「わたしが人間だからです」というこの単純な言葉は、どんな動機の説明よりも強く、美しい言葉である。なぜなら自分は人間であるという自覚は、同時にどういう他人をも自分と同じ人間として認めずにはおかないからである。

しかしこの人間であるという感情は、誰にでもあるはずの普遍の感情でありながら、誰もがつねにこれを思考と行動の基準にしているとは限らない。むしろ多くの場合、この感情を故意に無視するか、あるいは気づかずに行動するのが実情なのであって、そうなれば、もうその人間にとって自分も他人もあったものでなく、われわれはそのときどきの利害と情念に踊らされて、狂奔に走ることを免れない。かつての宗教戦争の歴史に限らず、いまもつづく人間の血なまぐさい諍いの歴史がそれを物語っている。

しかし、晩年のヴォルテールが狂信の犠牲になったものたちを救うために行った精力的な活動を支えたものは、この普遍の感情だったのである。かれがカラス事件にこれほど深く関わるようになったのも、この事件がわれわれの人間としての存在、またその尊厳を辱めるものだったからにほかならない。

かれは一六世紀に旧教徒による新教徒の大虐殺が行われた日を想起して、手紙のなかで「聖バルテルミーの日以来、これほど人間性を辱めたものはない」(Ⅵ-八五八頁)と書き、これは「人間性を辱める恐るべき事件だ」(Ⅵ-八四六頁)とくりかえし書いている。新教徒のカラスはカトリックから見れば憎むべき異端者であっても、その人間性を偏見に基づく、それゆえ不正な裁判で踏みにじったことが、ヴォルテールには許しがたい罪悪だったのである。
※一部改行しました

岩波書店、保苅瑞穂『ヴォルテールの世紀 精神の自由への軌跡』P206-207

ヴォルテールがいかにこの事件に対して強い思いを抱いたかがわかるのではないかと思います。カラス事件については『寛容論』の巻末にも詳しい解説がありますので、本文に入る前にその解説を読んでその流れを把握しておくことをお勧めします。

ではこの『寛容論』の中から印象に残った箇所をいくつか紹介していきたいと思います。

唯一絶対の正しい教えは存在するのだろうか

われわれの住む狭い地域を離れ、この地球のほかの部分を検討してみよう。トルコの皇帝は宗教を異にするニ〇の民族を太平無事に統治しているではないか。ニ〇万のギリシア人がコンスタンチノープルで平穏な生活を営んでいる。回教の高僧までがギリシア人の総大主教を任命し、皇帝に推薦の労をとっているのである。ここではラテン系出身の総大主教が認められている。皇帝はギリシアの若干の島々に対してラテン系の主教を任命している。そしていつも決まって皇帝は次のようなお言葉を賜わる。「島民古来の慣習と虚礼とに則り、余は汝にキオス島に行き、主教として駐在するよう命ずる」と。この帝国にはヤコボ派やネストリウス教派、キリスト単意説信奉者などがやたらといる。コプト派、ヨハネ教徒、ユダヤ教徒、ペルシア系拝火教徒、婆羅門宗教徒にもこと欠かない。トルコの年代史は、これら諸宗派のどの一派によってもなにか反乱が企てられたなどとはいささかも書き記してはいない。

中公公論新社、ヴォルテール、中川信訳『寛容論』P40-41

ヴォルテールは自分の住むヨーロッパだけでなく、世界へと視野を広げます。西欧中心主義、キリスト教こそ絶対であるという時代においてこの視野の広さは驚くしかありません。

トルコでは多くの宗教、宗派が共存している。

それなのにフランスでは同じキリスト教の中でカトリックとプロテスタントが殺し合いをしている。それをヴォルテールは嘆くのでありました。

狂信を減らすのは理性の力である

狂人の数を減少させるにいちばんの手段は、この精神の病の治療を理性の手に委ねることである。理性は緩慢ではあるが、間違いなしに人間の蒙を啓いてくれる。この理性は柔和で、人間味に富み、寛容へと人を向かわせ、不和を解消させ、徳をゆるぎないものにするのである。法が強権によって維持されるにもまして、法への服従が好ましいとして受け入れられるのはこの理性の力によるのである。すべての良識ある人々によって今日神がかり的熱狂に浴びせられている嘲笑をつまらぬことと人は考えているのであろうか。この嘲笑は、一切の狂信の徒の乱暴狼藉に対する強力な防壁である。過ぎさった年月は、いわばまったく存在しなかったものといえる。現在の時点から、また諸国民が到達しえた時点から常に第一歩を踏み出さなければならない。

中公公論新社、ヴォルテール、中川信訳『寛容論』P48

ヴォルテールは理性こそ狂信から人々を目覚めさせると信じていました。

これは過去の時代に限ったことではありません。現代を生きる私たちにも関わる問題です。特に世界中が大混乱の今、不寛容は猛威を振るっているように思います。今こそ冷静に理性を働かさなければならないのではないかと私は感じています。これは全く他人事ではないのです。狂信は時代を問わず、誰しもが陥ってしまいうるものなのです。

「自分にしてほしくないことは自分もしてはならない」

普遍的原理は地球のどこであろうと、「自分にしてほしくないことは自分もしてはならない」ということである。さて、この原理に従うなら、ある一人の人間が別の人間に向かって、「私が信じているが、お前には信じられないことを信じるのだ。そうでなければお前の生命はないぞ」などとどうして言えるか理解に苦しむ。これがポルトガル、スぺイン、ゴアで言われた言葉である。ほかのいくつかの国々では、現在次のように言うだけで満足している。「信じるのだ、さもなければ私はお前を憎悪する。信じるのだ、さもなければ、できるかぎりのひどい目に会わせてやるぞ。このできそこないめ、私の宗派が信じられないのなら、お前には信心などひとかけらもないのだ。お前なんぞ近所、町内、国内の鼻つまみになってしまえ。」

このような振舞が人定法で許されているのであれば、そのとき日本人はシナ人を憎み、シナ人はタイ国人を憎悪しなければならなくなるだろう。タイ国人はガンジス河流域の住民を迫害し、迫害された連中は今度はインダス河流域の住民に襲いかかることになろう。モンゴル人はマラバール人(インド半島西南部の住民)に出会い次第その心臓をえぐりとるかも知れない。マラバール人がぺルシア人を締め殺せば、ペルシア人のほうではトルコ人を虐殺するかも知れない。そして全民族が一丸となってキリスト教徒に飛びかかってくるかも知れないのだが、当のキリスト教徒はたいへん長いあいだお互い同士殺し合いに明け暮れしていたのである。

中公公論新社、ヴォルテール、中川信訳『寛容論』P51-52

「自分にしてほしくないことは自分もしてはならない」

当たり前のように思えるかもしれませんがこれがなかなか実践されないのが世の実相です。

しかも西欧第一主義、自分たちのキリスト教こそ絶対に正しいというのが当たり前の社会において、世界規模に視野を広げてこれに反論するヴォルテールの驚くべき勇気には脱帽するしかありません。

不寛容の法は残忍であり、虎の法である

不寛容の法はしたがって道理に反し、残忍なものである。それは虎の法であり、しかもそれははなはだ恐ろしいのである。なぜなら、虎が相手を八つ裂きにするのは、もっぱらこれを餌食とするためである。そしてわれわれ人間のほうは、わずか数章節の文句のために、お互いに相手を一人残らず殺してしまおうとしていたのである。

中公公論新社、ヴォルテール、中川信訳『寛容論』P52

この箇所も特に印象に残っている箇所です。

「われわれ人間のほうは、わずか数章節の文句のために、お互いに相手を一人残らず殺してしまおうとしていたのである」

これを表立って言ってしまったらどういうことになるかヴォルテールはわかっていました。それでも彼は言わずにはいれないのです。実際ヴォルテールは生涯のほとんどを迫害下で過ごしています。幸い、彼は資産家、起業家としての才もあり十分な財力を持ちながら生活することができていました。しかし、長年文化の中心パリからは離れて暮らさざるをえなかったのです。

それにしても宗教が絶対的な力を持っていた中でここまで声にさせるヴォルテールには驚くしかありません。

おわりに

この本は「カラス事件」をきっかけに書かれ、当時の狂信に対するヴォルテールの激しい反発が込められています。

しかし、全体を読んでみると厳しい言葉や攻撃的な言葉が意外と少ないことに気づきます。彼は一線を越えないのです。この辺のバランス感覚の絶妙さがヴォルテールのヴォルテールたる所以であるように感じました。

彼はこの本で宗教的不寛容の実例をいくつも紹介し、その弊害を説きます。

あくまで実例を淡々と提示していくだけですので、宗教に対するあからさまな攻撃という形には形式上はなっていないのです。

ですがその言わんとしていることは読者の私たちにも伝わってきます。

現代の感覚からすれば攻撃の手が思ったより緩いのではないかと思われるかもしれません。ですが、この時代においてこれだけのことを言うのがどれだけ危険なことであったのか。そのことを思うとヴォルテールの勇気には驚くしかありません。そしてその絶妙なバランス感覚にも圧倒されます。

『寛容論』は現代にも通じる名著です。寛容さが失われつつある現代こそ、この本は非常に大きな意味を持つのではないでしょうか。ぜひおすすめしたい1冊です。

以上、「ヴォルテール『寛容論』今こそ読みたい名著!狂信に対するヴォルテールの告発」でした。

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