目次
ヴィクター・セベスチェン『レーニン 権力と愛』を読む(14)
引き続きヴィクター・セベスチェン著『レーニン 権力と愛』の中から印象に残った箇所を紹介していきます。
レーニンの文学観
概して、レーニンの文学やすべての芸術における好みは極めて保守的、功利主義的だった。青春期と早期成人期には娯楽の読書はしたが、その後はほとんど読んでいない。
教育があり、知的に洗練されたあの時代の知識人にしては、驚くほど読書量が少ないーたとえばボリシェヴィキ仲間のスターリンやトロツキー、ブハーリン、ルナチャルスキーらに比べると、確実にそういえるのだ。
絵画その他の視覚芸術については、ほとんど何も知らなかった。音楽は楽しんだーとくにベートーヴェンのピアノソナタと、驚いたことにワーグナーだーけれども、彼がゴーリキーに語ったところによると、音楽が自分を「軟弱」にするといけないので、めったに聞かないというのだ。
ルナチャルスキーはレーニンの好みを婉曲に、「正統派」と表現している。多くの点で彼は凡俗の人だった。
「レーニンは生涯を通じて、芸術の系統的な勉強に打ち込む時間がほとんどなく、これらの問題について自分は無知だと常に考えていた。彼は自分の本性とは異質なあらゆる衒学趣味を嫌ったので、芸術の問題については考えを述べたがらなかった。とはいえ、非常に明確な好みをもっていた。ロシアの古典作品、文学と絵画におけるリアリズムである」
※一部改行しました
白水社、ヴィクター・セベスチェン、三浦元博、横山司訳『レーニン 権力と愛』下巻P239-240
レーニンの文学観、芸術観を考える上で彼が保守的な考えを持っていたというのは意外な気もしました。革命家=既存の秩序の破壊というイメージが私にはありました。ロシアのニヒリストは特にそのような傾向があります。ツルゲーネフの『父と子』に出てくるバザーロフというニヒリスト青年はその典型です。
しかしレーニンはそうではなく、保守的な文化観の持ち主だったのです。
レーニンとツルゲーネフ・トルストイ
例によって、彼はすでに見解を固めてしまっており、たいていの教条的な人びとと同じく、自分が理解できないことを知ろうとすることに、それほど関心がなかった。芸術に関する好奇心は、二五歳前後のときに止まってしまった。
彼が最初に心酔したのはツルゲーネフだった。レーニンは亡命中どこへでもツルゲーネフの浩瀚な選集を持ち歩き、繰り返し読んだ。(中略)
レーニンはふだん、作家を芸術的能力よりも、作家たちの政治的姿勢によって評価した。レーニンはトルストイが「巨人」であることを認めていたが、神秘主義と平和主義をともなうトルストイの世界観を嫌った。
「トルストイにおける矛盾は……れっきとしている。一方には、偉大な芸術家、ロシアの生活の比類なき絵画を描いたばかりか、世界文学に第一級の貢献をした天才がいる。他方には、キリストに取りつかれた地主がいる。
一方には、社会的不正と偽善に対する著しく強力、率直かつ真剣な抗議者が、他方には、ロシア知識人と呼ばれる疲れ切ったヒステリー状態の泣き虫がいて、おおっぴらにおのれの胸をたたき、『わたしは不品行、不道徳な人間だが、道徳的自己完成を実践している。もう肉は食べず、いまは米のカツレツを食べている』と泣き言を言っているのだ。
一方には資本主義の搾取に対する痛烈な批判。他方には服従を説く変わり者……トルストイは労働者運動も、社会主義のための闘争におけるその役割も、ロシア革命も、どうしても理解することができなかったのである」
※一部改行しました
白水社、ヴィクター・セベスチェン、三浦元博、横山司訳『レーニン 権力と愛』下巻P240-241
レーニンはツルゲーネフを愛好していました。亡命中どこへ行っても持ち運ぶほどレーニンは好んでいたようです。
それに対しトルストイに対しては辛辣な意見を加えています。作家として「巨人」であることは認めつつも、その思想はレーニンの革命思想とは相容れず、彼の眼からは不十分な作家と思われていたようです。
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レーニンのドストエフスキー評
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彼はかつて『死の家の記録』を「至上の業績」と表現した。シベリアの流刑施設ばかりか、帝政下に生きる全ロシア人民を見事に描いているからだ。
※一部改行しました
白水社、ヴィクター・セベスチェン、三浦元博、横山司訳『レーニン 権力と愛』下巻P241
レーニンはドストエフスキーを嫌っていたそうです。その理由が「ひどく、危険なほど反動的」というところは注目に価します。レーニンの政治思想とは反対の思想をドストエフスキー作品から読み取っていたようです。
ですが興味深いことに『死の家の記録』は大絶賛しています。
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続く
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