ゾラ『大地』あらすじ解説―農村の陰鬱な世界をありのままに書きすぎて物議を呼んだ問題作

エミール・ゾラとドストエフスキー

「ルーゴン・マッカール叢書」第15巻『大地』の概要とあらすじ

『大地』はエミール・ゾラが24年かけて完成させた「ルーゴン・マッカール叢書」の第15巻目にあたり、1887年に出版されました。

私が読んだのは論創社出版の小田光雄訳の『大地』です。

今回も帯記載のあらすじを見ていきましょう。

ゾラが問う 田園が孕む 老いと相続の邂逅

土地相続をめぐるフーアン爺さんと三家族、その姪姉妹とジャン=マッカールの殺意に充ちた物語

論創社出版 小田光雄訳『大地』

今作の主人公ジャンは『パリの胃袋』のリザ、『居酒屋』のジェルヴェーズの弟に当たります。

https://shakuryukou.com/wp-content/uploads/2020/06/Rougonmacquart.pdf

家系図では右側のマッカール家に位置します。

この作品について訳者あとがきでは次のように書かれています。

主人公ジャン・マッカールの位置づけからすれば、第十九巻『壊滅』が後編で、この『大地』は前編になります。

しかも両書の執筆に五年ほどの歳月が流れ、その間にまったくテーマの異なる『夢想』『獣人』『金』の三巻が書かれているのですが、『大地』のクロージングはそのまま『壊滅』の最初のシーンにつながっていて、タイムラグを感じさせません。

そしてこの二冊の物語を通じて、ゾラはジャンを叢書中で最も重要な人物として描き、フランスの大地から立ち上がった人間として、叢書のクライマックスである普仏戦争とパリ・コミューンに赴かせることになるのです。その前史がこの『大地』に他なりません。
※適宜改行しました

論創社出版 小田光雄訳『大地』P618

第一巻以来、ジャンは長らく叢書の中に姿を見せていませんでした。そのジャンが畑に種麦を播いている場面から、この『大地』は始まります。

プラッサンでの生い立ちと出奔後の軍隊生活が第2部第1章で簡潔に語られています。ジャンは二十九歳のフランス軍元伍長で、イタリアのソルフェリーノ戦役の後に除隊になり、同じ木工職人の戦友に誘われ、ボース平野の町に流れつき、それから近隣のローニュという村にあるボルドリー農場の作男になった事情がそこに記されています。
※適宜改行しました

論創社出版 小田光雄訳『大地』P618-619

今作の『大地』は農村を舞台にし、没落していく貧しい農民たちが遺産の土地を奪い合い、土地に対する異様なほどの執着を見せあう物語になっています。

そしてこの作品を前編とし、第19巻の『壊滅』へと繋がっていくのです。

ジャンは確かに帰ってきた男であるのですが、木工職人、兵士といった前歴も明らかになっている農民として姿を現わし、さらに帰ってきた場所は故郷ではないのです。だから彼はストレンジャーとして農村に出現したのであり、その姿は故郷喪失者の面影を有しています。

ストレンジャーにして故郷喪失者のイメージは第二帝政下の様々な社会を動き回るルーゴン=マッカール一族の表象と言えるでしょうし、『大地』に至って叢書はようやくその背景にある農耕社会にたどりついたのです。

流浪してきたジャンには理解できない世界の出現です。大地とともに生き続け、土地に執着し、所有するという欲望につき動かされ、決してストレンジャーを受け入れようとしない農村の奥深い論理はジャンを翻弄し、田園における戦士の休息が幻想でしかなく、念願のフランソワーズとの結婚も村の論理、土地をめぐる一族の暗黙の了解を乗り越えられません。

村の娘と結婚しても土地を所有しないジャンはどこまでいってもストレンジャーであり、結局のところ村から追われるようにして出ていくことになります。

そうでありながらも、ゾラの思いはジャンに強く反映され、都市化されていく近代社会の中にあって、農耕社会と大地こそがよって立つ基盤であるかのようで、実際にジャンは『壊滅』の後に再び帰農し、最終巻『パスカル博士』において、ルーゴン=マッカール一族の希望を担う一人として描かれることになります。
※適宜改行しました

論創社出版 小田光雄訳『大地』P619-620

ジャンはよそ者としてこの村にやってきました。そのためこの村の考え方や慣習がわかりません。だからこそジャンは読者である私たちと一緒にこの村の現実をひとつひとつ知っていくことになるのです。

感想―ドストエフスキー的見地から

『大地』はフランスの地方農民の生活を描いた作品です。そしてこれまで見てきた作品からわかりますように、フランスは急速な経済発展を迎え、『ボヌール・デ・ダム百貨店』で描かれたように人々のライフスタイルが変わっていく時代でした。

それはパリの都市部だけの現象ではなく、その影響は農村にも確実に大きなダメージを与えていたのでありました。訳者あとがきには次のように述べられています。

この二作は叢書が消費社会と農耕社会を並立させていることを示しています。

すなわち「ルーゴン=マッカール叢書」は近代化の過程で農耕社会から消費社会めがけて上昇していこうとする民衆の欲望を描いているのではないでしょうか。他の十八編の物語もすべてがそれらの過程での欲望のせめぎ合いのドラマを形成しているように思われてなりません。

そのドラマは近代社会の装置の整備、第二帝政期特有の出来事が叢書の物語の両輪として作動し、ルーゴン=マッカール一族が様々に横断していきます。

鉄道網の急激な発展、百貨店の誕生、オスマンのパリ改造計画、中央市場の建築、万国博覧会の開催、自由貿易への移行、銀行設立などの金融制度改革、普仏戦争とパリコミューンなどを背景にし、叢書中のパリを舞台とする作品群はそれらを生々しく露出させています。

しかし叢書の半数近くはプラッサンなどの地方で起きる物語であり、その地方とはローニュに示された農村に囲まれた場所だと推測できます。したがって「ルーゴン・マッカール叢書」はパリだけでなく、地方の町や村も内包する十九世紀フランスの社会構造を浮き上がらせます。
※適宜改行しました

論創社出版 小田光雄訳『大地』P620-621

鉄道網の普及は都市と農村をつなぎ、ものの動きが急激に加速し、それこそ文化が変わってしまうほどの衝撃がありました。

そしてそれと同時にデパートが登場し、地方が大都市の経済圏に組み込まれます。

さらにはアメリカとの自由貿易が地方農民を苦しめます。

フランスは小規模農家が大半を占めていて、生活するだけでぎりぎりでした。

それに対し広大な土地を持つアメリカ農業は大規模生産や化学を用いた先進農業によってフランスとは比べ物にならないほどの生産量を誇っていました。

そのため、それらはフランス産の農産物よりもずっと安かったのです。

その安い農産物が自由貿易によってフランスに大量に流れ込みます。

そうすると、当然国産の野菜は売れなくなり、安売りせざるを得なくなります。

となると、そもそも生活ぎりぎりだった農家は破産を避けられなくなってしまうのです。

こうした背景の中、『大地』の物語は進行していきます。

大都市パリの華やかな発展の裏で地方がどんな生活をしていたのか。当時そこでは何が起こっていたのかがこの物語で明らかにされます。

これはドストエフスキーの暮らすロシアも例外ではありません。ロシアも貧しい農奴が国民の大半を占める農業国家でありました。その農民たちの悲惨から目を背けずには文学もあり得なかったのです。

そしてよくよく考えてみればこれは日本にも当てはまります。それは昔のことだけではなく、私の住む北海道でもまさに同じことが今も起きています。

自由貿易は「自由」という耳ざわりのよい言葉が含まれていますが、もしこれが実現されればどうなっていくのか、それはよく考えていかなければならないことだと思います。

消費者からすれば安いのはありがたいことです。ですが、それを作っている人にとって「安い」ということが何を意味しているのか。

それがこの物語は身を切るほどの切実さでもって伝えています。

代々守ってきた土地をめぐる農民たちの土地への愛。そして農村という閉鎖環境でのどろどろした生活。人間の生々しいものが現実以上にリアルに描かれています。

そしてあまりに悲惨な内容を露骨に書きすぎたが故に、ゾラはこの作品で多くの批判を浴びることになってしまいました。

この小説は読んでいて辛かったです。あまりの生々しさ、そして悲惨さ、救いのなさに何度ため息をつかされたことか…

ですが第二帝政期後半のフランス農村社会を学ぶには素晴らしい小説です。パリの華やかな生活の裏でその悲惨さを描き続けたゾラの手腕がここでも遺憾なく発揮されています。

たしかに批判は浴びたのも事実かもしれませんが、作品から受ける印象は凄まじいものがあります。ゾラはそれだけ農村が抱える問題を真摯に、ストレートに表現したかったということなのでしょう。名作と言われるだけの価値は十分すぎるほどあると思います。

以上、「ゾラ『大地』農村の陰鬱な世界をありのままに書きすぎて物議を読んだ問題作」でした。

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