(35)ブッダ来島の聖地ナーガディーパ島を訪ねて~スリランカ北部ジャフナ沖の仏教聖地へ
ジャフナで内戦のことを考えながら市内を見学をした私は次なる目的地ナーガディーパ島へと向かいました。
ナーガディーパ島はスリランカ仏教の伝承ではブッダが来島した聖地として信仰されています。史実としては難しいものがありますが、シンハラ人の文脈においては今も重要視されている聖地です。
ジャフナで内戦のことを考えながら市内を見学をした私は次なる目的地ナーガディーパ島へと向かいました。
ナーガディーパ島はスリランカ仏教の伝承ではブッダが来島した聖地として信仰されています。史実としては難しいものがありますが、シンハラ人の文脈においては今も重要視されている聖地です。
今回の記事では内戦への大まかな流れとシンハラ仏教ナショナリズムと聖地復興についてお話ししていきます。ここ数回の記事は皆さんにとって驚くことが多かったのではないでしょうか。私自身、スリランカを学んで驚愕し通しでした。スリランカという国が実に興味深いことにきっと皆さんも気付かれたのではないでしょうか。
今回の記事でスリランカの超重要人物ダルマパーラについてお話ししていきます。 このダルマパーラこそ、スリランカ内戦に繋がる「シンハラ仏教ナショナリズム」を提唱した人物です。
スリランカにおいては仏教がナショナリズムと一体化し、民族紛争の火種となってしまいます。そのシンハラ仏教ナショナリズムについても見ていきます。
スリランカ内戦に決定的な影響を与えたダルマパーラ。
その彼も無から突然現れたわけではありません。当時のスリランカの時代背景があったからこそ生まれてきた存在です。
今回の記事ではダルマパーラやスリランカ仏教の歴史を知る上でも重要なスリランカの植民地時代についてざっくりとお話ししていきます。
1983年から2009年という26年にわたって続いたスリランカの内戦・・・
この内戦は人口の多数を占めるシンハラ仏教徒と少数派タミルヒンドゥー教徒の内戦でした。もちろん宗教だけが主要因というわけではありませんが、仏教が内戦に絡むことになってしまったことに私は大きなショックを受けたのでした。
日本人には日本人の文脈があるようにスリランカの人達にもそれぞれ文脈があります。そしてその文脈の違いが宗教や文化の違いに必ず影響してきます。
今回の記事では一旦旅行記も一休みしてここでそもそもスリランカの仏教がどのような仏教なのかということをお話ししていきます。日本との違いを考えるのも非常に興味深いです。
「なぜ私はこうもスリランカで無感覚になってしまったのか」
これは実は「自分にとって宗教とは何なのか」という問題と直結していたのでした。
それはこの後アヌラーダプラの聖地中の聖地、「スリーマハー菩提樹」を訪ねた時に私の中で完全に姿を現すこととなります。
この記事でこの菩提樹を通して私の「宗教的無感覚」についてお話ししていきます。これは私だけの問題ではありません。人間にとって避けては通れない問題がそこに横たわっていたのでした。
聖地ミヒンタレーはスリランカ仏教伝来の地とされています。目の前に広がるジャングルの中にぽつんと立つ岩山。この岩の存在感たるや!私もこの景色を見て感動しました。なんと神話的な世界でしょう。スリランカ仏教の始まりという神話的場面がこれほど似合う場所はありません!個人的にスリランカのベストスポットの一つです。
これから私が向かうのはサッセールワ大仏とアウカナ大仏という、知る人ぞ知るスリランカの傑作仏像です。
これらの大仏はミヒンタレーやアヌラーダプラなどの主要聖地から離れたジャングルの中にあり、普通の観光客はなかなまず立ち寄りません。ですが、私はスリランカの仏教芸術をぜひ自分の目で見てみたかったのでした。
この記事ではスリランカの気候についてお話ししていきます。
熱帯の南国スリランカには大きく分けて二つの気候帯があります。雨量の多いウエットゾーンと雨の少ないドライゾーンがこの小さな島国に存在し、これがスリランカの歴史に大きな影響を与えました。そしてこの気候と宗教の関係についてもこの記事では考えていきます。