クラクフ旧市街のシンボル、聖マリア教会~聖母マリア信仰と一神教 ポーランド編②
旧市街の中央広場にはこの街のシンボルたる聖マリア教会があります。
この教会は1222年に建てられ、聖母マリアの祭壇が中央に飾られていることで有名です。
さて、聖マリア教会に入場してみましょう。
外から見ても圧倒的な大きさでしたが、中の様子は一体どのようになっているのでしょうか。
旧市街の中央広場にはこの街のシンボルたる聖マリア教会があります。
この教会は1222年に建てられ、聖母マリアの祭壇が中央に飾られていることで有名です。
さて、聖マリア教会に入場してみましょう。
外から見ても圧倒的な大きさでしたが、中の様子は一体どのようになっているのでしょうか。
クラクフはポーランド南部の都市で、聖マリア教会を中心とする旧市街はコンパクトにまとまって非常に観光しやすい街として知られています。
クラクフは11世紀中ごろから16世紀末までポーランド王国の首都として栄え、プラハやウィーンと並ぶ文化の中心だった街。
そして、ポーランドの首都ワルシャワが東京に例えられるのに対して、このクラクフは京都に例えられます。
第二次世界大戦ではワルシャワがナチスによって壊滅させられたのに対し、クラクフは奇跡的に破壊を免れました。そのため中世からの古い町並みが現在も残っています。
これからエルサレムの街を出発し、イスラエルの首都テルアビブに向かいます。
テルアビブと言えば首都移転問題で日本でも大きなニュースになった街。
そして事前に調べてみると、ここテルアビブは中東で最もヨーロッパを感じさせる一大ビーチリゾートなのだそう。
中東と言えば砂漠。そんなイメージがあったのですが、どうやらテルアビブは地中海に面した一大ビーチリゾートらしいのです。
宗教の聖地エルサレム、そして中東の砂漠。
そんなイメージを覆す世界がおそらくここにはあるのだろう。
ベツレヘム近郊の断崖絶壁に立つマルサバ修道院。
まるでグランドキャニオンのような絶景が目の前に広がります。
そしてこの記事では教会と修道院の違いについて考えていきます。
難民キャンプを後にすると、いよいよイエス・キリストが生まれたという、生誕教会へと私は向かいました。
この記事ではベツレヘムの生誕教会での体験を通してイエス・キリスト、ムハンマド、ブッダの生誕についても考えていきます。
この記事ではイスラエルの砂漠にある世界遺産マサダ要塞を紹介していきます。
マサダ要塞はエルサレムから車で1時間半弱、エルサレムの南側にある要塞です。そのすぐそばには死海があり、エルサレムからの道はこの死海に沿って進むことになります。
ユダヤ教の聖地であるこのマサダ要塞、ここはユダヤ人とローマ帝国の歴史を知る上でも非常に重要な地です。
エルサレムは時間によって見せる顔がまったく異なります。
私がこの日の早朝に見た聖墳墓教会は厳かなる祈りの世界でした。
エルサレムに長い期間滞在することにして本当によかったと思います。この街は様々な顔を私に見せてくれました。
エリコからさらに車で20分ほど東に向かうとそこにはヨルダン川が流れています。
ヨルダン川は洗礼者ヨハネによってイエス・キリストが洗礼を受けた地として知られています。
そのため世界中からこの聖地を目指して多くの巡礼者が集まります。
私もそのキリスト教世界における重要な聖地を訪れたのでありました。
エリコ観光の大きな目的の一つである城壁跡の散策を終えた私が次に向かうのは誘惑の山と呼ばれる場所。
ここはイエス・キリストが40日間の断食修行をしていた時に悪魔から3つの誘惑を受け、それを見事に跳ね返したという『新約聖書』の記述に基づいた場所です。
そしてこの誘惑の山はドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』とも重大なつながりがある地としても知られています。
エルサレムの旧市街散策を終えた私は新市街へと歩き始めました。
そこで私は衝撃を受けることになります。
これまで異国情緒たっぷり、歴史を感じる聖地を歩いていた私にとってそこで目にした街並みはかなりショッキングなものがありました。聖地と観光についてこの記事では考えていきます。