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ホロコーストはアウシュヴィッツだけではない。ナチスの絶滅収容所の惨劇を赤軍ユダヤ人記者が告発。ワシーリー・グロスマン『トレブリンカの地獄』概要と感想
今回ご紹介するのは2017年にみすず書房より出版されたワシーリー・グロスマン著、赤尾光春・中村唯史訳『トレブリンカの地獄 ワシーリー・グロスマン前期短編集』所収の『トレブリンカの地獄』という作品です。
この作品はグロスマンが従軍記者として独ソ戦の前線に従軍し、ナチスの絶滅収容所を発見した際に書かれた報道記事です。この作品についてグロスマンのプロフィールと共に紹介します。
ワシーリー・グロースマン(1905-1964)Wikipediaより
ヴァシーリィ・グロースマン
Vasily Grossman
1905年、ウクライナのユダヤ人家庭に生まれ、ロシア革命に共感。モスクワ大学で化学を専攻、ドンバスて炭坑技師として数年をすごしたのも文学創作の道に入り、32年から初期の短編や長編を発表。ブルガーコフやゴーリキイらから賞賛を受けた。農業集団化の結果としてのウクライナ大飢饉、身辺に迫るスターリンの大粛清の脅威を見聞しながらも、新社会建設の理想にたいする信頼感はもちつづける。
41年独ソ戦勃発とともに愛国心に燃えて従軍志願。赤軍機関紙『クラースナヤ・ズヴェズダー』記者として前線に派遣、緒戦期のみじめな敗走から45年のべルリン攻略にいたるまでの一部始終をつぶさに取材。とくに42~43年のスタリングラート攻防戦の記録は絶賛を博しそのー部は戦後いちはやく日本にも翻訳紹介された。やがて母親や親族が独軍占領下で最初のユダヤ人虐殺の犠牲になったことを知り、44年にはトレブリーンカ絶滅収容所跡を訪れてホロコーストの実態をまっさきに報道した記者の一人となる。
一方では名もない兵士や一般民衆の英雄的抗戦ぶりに感動し、反ファシズム闘争での赤軍の解放者としての役割を理想化しながらも、その「解放軍」の略奪暴行をまのあたりにし、「戦争の非情な真実」を知るにつれて、グロースマンの作品はしだいに体制側の「大祖国戦争」史観と衝突するようになり、『人民は不死』はいったんスターリン賞候補にノミネートされながらスターリン自身の手でリストから抹消され、その他の作品もいわれのない非難を浴びるようになる。とくにユダヤ人受難の記録と証言を集めて『黒書』にまとめようとするグロースマンらの努力が、戦後反ユダヤ主義の旗幟を鮮明にした当局の忌憚にふれるが、スターリン死去によってあやうく収容所送りは免れる。
いまやヒトラーのナチズムもスターリン主義も本質において大差はないとの結論に達したグロースマンは50年代後半から60年にかけて畢生の大作『人生と運命』を執筆したが、原稿をKGBに押収され、失意と窮乏のうちに64年ガンで他界。82年奇跡的に隠匿保管されていた原稿のコピーがマイクロフィルムで国外に持ち出され、スイスで出版された。ロシアでは88年にようやく日の目を見る。
白水社、アントニー・ビーヴァー、リューバ・ヴィノグラードヴァ編、川上洸訳『赤軍記者グロースマン 独ソ戦取材ノート1941-45』表紙裏
ホロコーストというと、私たちはアウシュヴィッツを想像してしまいますが、トレブリンカという絶滅収容所についてこの作品では語られていきます。そこでは80万人以上の人が殺害されています。その凄惨な殺害の手法は読んでいて寒気がするほどです。それを現地で取材したグロースマンはどれほど衝撃を受けたのか想像することもできません。
実際、グロスマン自身この作品の中でトレブリンカの惨状を語りながら次のように述べています。
こうしたことは、読むだけでさえ限りなくつらい。だが、読者には信じてほしい。書くことはそれにもましてつらいのだ。誰かがこう尋ねるかもしれない。「なぜ書かなければならないのか?なぜこうしたこと一切合切を思い出さなければならないのか?」
恐ろしい真実を書くのが作家の義務であり、それを知るのは読者の市民的義務である。顔を背ける者、目をつぶって黙殺する者はみな、殺された人びとの記憶を冒漬するだろう。
みすず書房、ワシーリー・グロスマン著、赤尾光春・中村唯史訳『トレブリンカの地獄 ワシーリー・グロスマン前期短編集』所収『トレブリンカの地獄』P45-46
この作品を書いたグロスマン本人がこの惨劇に打ちひしがれていたのでした。彼もユダヤ人です。彼の母もナチスによって殺されています。
目を反らしたくなりそうな現実をそれでもグロスマンは書き続けました。
その迫力は鬼気迫るものがあります。読んでいてあまりの恐ろしさに心臓の鼓動が早まり、呼吸が浅くなっていくのが自分でもわかりました。この本を読む時の精神的負荷はかなりのものになります。私はこの作品はフランクルの『夜と霧』に匹敵するのではないかと思いました。それほどこの作品が発する力は強力です。
フランクルは『夜と霧』の冒頭でこう述べています。
これは事実の報告ではない。体験記だ。ここに語られるのは、何百万人が何百万通りに味わった経験、生身の体験者の立場にたって「内側から見た」強制収容所である。だから、壮大な地獄絵図は描かれない。それはこれまでにも(とうてい信じられないとされながらも)いくたびとなく描かれてきた。そうではなく、わたしはおびただしい小さな苦しみを描写しようと思う。強制収容所の日常はごくふつうの被収容者の魂にどのように映ったかを問おうと思うのだ。
あらかじめ断っておくが、以下につづられる経験は、あの有名な大規模強制収容所、アウシュヴィッツ強制収容所ではなく、その悪名高い支所にまつわるものだ。けれども今では、こうした小規模の強制収容所こそがいわゆる絶滅収容所だったことが知られている。
みすず書房、ヴィクトール・E・フランクル、池田香代子訳『夜と霧』P1-2
『夜と霧』では強制収容所で生き延びたフランクルの経験が基になっています。そしてその本ではどのようにして人は極限状態を生き抜くことができるのかということを感動的に語っています。
フランクルがいたのは強制収容所です。劣悪な環境で死者が多数出たものの、働ける限り殺されはしませんでした。
しかしグロスマンの描いたトレブリンカは絶滅収容所といわれる収容所です。ここはそもそも大勢の人を殺害するために作られた場所です。そこに移送された者で生存者はほとんどいません。移送された人々は騙され、強制され、追い立てられ、次第に自分の運命を悟ることになります。そして圧倒的な暴力の前で無力なまま殺害されていきます。これはまさにフランクルの言う地獄絵図です。グロスマンはフランクルの描かなかった地獄を圧倒的な筆で再現していきます。『夜と霧』と一緒に読むと、よりホロコーストの恐ろしさを体感することになります。
ホロコーストを学ぶ上でこの本がもっとフォーカスされてもいいのではないかと心から思います。ワシーリー・グロスマンは日本ではあまり知られていません。これは非常に残念なことです。フランクルの『夜と霧』と並んで評価されてもおかしくないほどの作品です。この本がもっと世に知られることを願っています。ホロコーストの実態を知る上で非常に重要な資料です。ぜひ手に取って頂きたい作品です。
以上、「ワシーリー・グロスマン『トレブリンカの地獄』ナチスの絶滅収容所の惨劇を赤軍ユダヤ人記者が告発」でした。
※追記
私は2019年にアウシュヴィッツを訪れました。その時に感じた思いは今でも忘れられません。その時の体験を以下の記事でまとめていますので、ご覧頂けますと幸いです。
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トレブリンカの地獄――ワシーリー・グロスマン前期作品集
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