『戦争は女の顔をしていない』独ソ戦を体験した女性達の声に聴くー現在、日本でコミック化もされている名著

ソ連とドストエフスキー

ノーベル文学賞作家スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの主著『戦争は女の顔をしていない』現在、日本でコミック化もされている名著

今回ご紹介するのは群像社により2008年に出版されたスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ著、三浦みどり訳の『戦争は女の顔をしていない』です。

早速この本について見ていきましょう。私が読んだのは群像社版でしたが、岩波書店版の本紹介がとてもわかりやすかったのでそちらを引用します。

ソ連では第二次世界大戦で100万人をこえる女性が従軍し,看護婦や軍医としてのみならず兵士として武器を手にして戦った.しかし戦後は世間から白い目で見られ,みずからの戦争体験をひた隠しにしなければならなかった――.500人以上の従軍女性から聞き取りをおこない戦争の真実を明らかにした,ノーベル文学賞作家の主著.(解説=澤地久枝)

■内容紹介
 アレクシエーヴィチはこれまで,ソ連の一般市民に対する綿密なインタビューを重ねることによって,大文字の歴史からはこぼれ落ちてしまう市民の生の声をすくいあげ,世界中に衝撃を与えてきました.とりわけチェルノブイリの事故処理を担った一般人など,ともすれば国家権力に圧殺されてしまいがちな弱者の声に耳を傾けるその姿勢は,社会性および人道性の観点から高く評価され,また,市井のさまざまな証言を集め,多声的なドキュメンタリー文学作品に仕上げるその創作手法は,芸術性の点でもきわめて高い到達を示しているとして,これまで数々の文学賞が授与されてきました.それが認められて2015年ノーベル文学賞を受賞しました.
 その創作スタイルがドキュメンタリーの手法であるため,文学賞として認められるか懸念されましたが,スウェーデン・アカデミーは「私たちの時代の苦悩と勇気への記念の碑」と称え,「文学の新しいジャンルを案出した」と評しました.
 本作はアレクシエーヴィチが1984年に発表した最初の作品です.雑誌記者だった30歳代の彼女が1978年から取材を開始して,500人を超える女性から聞き取りをしました.完成後2年間は出版を許されず,ペレストロイカ後に出されました.ベラルーシの独裁者ルカシェンコ大統領は彼女を「外国で著書を出版し祖国を中傷して金をもらっている」と非難し,長い間ベラルーシでは出版禁止にされてきました.
 ソ連では第二次世界大戦で100万人をこえる女性が従軍し,看護婦や軍医としてのみならず兵士として武器を手にして戦ったのですが,しかし戦後は世間から白い目で見られ,みずからの戦争体験をひた隠しにしなければなりませんでした.英雄としてではなく生身の人間としての従軍女性(パルチザンや抵抗運動に参加した女性をふくむ)に本書が初めて光をあてたのです.
 ベラルーシのドキュメンタリー作家アレーシ・アダモーヴィチいわく,
「戦争は女の顔をしていない.しかし,この戦争で我々の母親たちの顔ほど厳しく,すさまじく,また美しい顔として記憶されたものはなかった」

岩波書店HPより

この本はアレクシエーヴィチが独ソ戦に従軍、あるいは戦禍を被った女性にインタビューし、その記録を文章化したものになります。独ソ戦という巨大な歴史の中では個々の人間の声はかき消されてしまいます。特に、女性はその傾向が顕著でした。戦争は男のものだから女は何も語るべきではない。そんな空気が厳然として存在していました。

そんな中アレクシエーヴィチがその暗黙のタブーを破り、立ち上がります。アレクシエーヴィチはひとりひとりに当時のことをインタビューし、歴史の闇からその記憶をすくいあげていきます。

アレクシエーヴィチはこの本についてこう語ります。

二年間というもの、いろいろな人々に会ったが、取材というより、むしろ考えたり、あれこれ読んだりしていた。わたしの本は何についてのものとなるだろうか?戦争についての本がまたもうひとつ出るだけなのか?なんのために?

戦争はもう何千とあった、小さなもの、大きなもの、有名無名のもの。それについて書いたものはさらに多い。しかし、書いていたのは男たちだ。わたしたちが戦争について知っていることは全て「男の言葉」で語られていた。わたしたちは「男の」戦争観、男の感覚にとらわれている。男の言葉の。

女たちは黙っている。わたしをのぞいてだれもおばあちゃんやおかあさんたちにあれこれ問いただした者はいなかった。戦地に行っていた者たちさえ黙っている。もし語り始めても、自分が経験した戦争ではなく、他人が体験した戦争だ。男の規範に合わせて語る。

家で、あるいは戦友たちの集まりのときだけに、ちょっと泣いたり、戦争を思い出す、それは、わたしたちが知っているのとはまったく違う戦争だ。わたしは子供の頃のようにショックを受けた。女たちが語ってくれたことにはとてつもない秘密が牙をむいていた。わたしたちが本で読んだり、話で聴いて慣れていること、英雄的に他の者たちを殺して勝利した、あるいは負けたということはほとんどない。女たちが話すことは別のことだった。「女たちの」戦争にはそれなりの色、臭いがあり、光があり、気持ちが入っていた。そこには英雄もなく信じがたいような手柄もない、人間を越えてしまうようなスケールの事に関わっている人々がいるだけ。そこでは人間たちだけが苦しんでいるのではなく、土も、小鳥たちも、木々も苦しんでいる。地上に生きているもののすべてが。言葉もなく苦しんでいる、だからなお恐ろしい……

それにしても、なぜ?幾度となく自問した。女たちはかつて、男ばかりの世界で自分の地位を主張し、それを獲得したのに、なぜ自分の物語を守りきらなかったのだろうか?自分たちの言葉や気持ちを。自分を信じなかったのだろうか?まるまる一つの世界が知られないままに隠されてきた。女たちの戦争は知られないままになっていた……

その戦争の物語を書きたい。女たちのものがたりを。

群像社、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ、三浦みどり訳『戦争は女の顔をしていない』P14

そして次のようにも語ります。私はこの箇所がとても印象に残っています。

戦争のことを聞いただけで、それを考えただけでむかつくような、そんな本が書けたら。戦争のことを考えることさえぞっとするような、そういう本を。将軍たち自身が吐き気をもよおしてしまうような本を。わたしの友人の男たちは「女の論理」にあきれかえる。またもや「男の理屈」が聞かれる。「あんたは戦争に行ったことがないからな」でも、それってかえっていいことなのかもしれないでしょ。わたしは激しい憎悪を知らないし、わたしの見方は正常な見方、「戦時の見方」ではないのだから。

光学にはレンズの「強度」という概念があるーとらえた画像をより確実に見せるレンズの能力のことだ。そして、女性の戦争についての記憶というのは、その気持ちの強さ、痛みの強さにおいてもっとも「強度」が高い。「女が語る戦争」は「男の」それよりずっと恐ろしいと言える。男たちは歴史の陰に、事実の陰に、身を隠す、戦争で彼らの関心を惹くのは、行為であり、思想や様々な利害の対立だが、女たちは気持ちに支えられて立ち上がる。女たちは男には見えないものを見出す力がある。

群像社、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ、三浦みどり訳『戦争は女の顔をしていない』P19-20

この言葉の最後の箇所ですね。

「男たちは歴史の陰に、事実の陰に、身を隠す、戦争で彼らの関心を惹くのは、行為であり、思想や様々な利害の対立だが、女たちは気持ちに支えられて立ち上がる。女たちは男には見えないものを見出す力がある。」

ここは思わず「なるほど!」と納得してしまいました。

アレクシエーヴィチによれば、本だけではなくそれぞれの人が自分の戦争を語る時、独ソ戦は思想やイデオロギーの対立として語られることが多いと指摘しています。個々の問題においては英雄的な行動や戦闘の激しさ、そしていかにして生き残ったか、悲惨なことがあったかを語ります。それをアレクシエーヴィチは「男たちは歴史の陰に、事実の陰に、身を隠す」と表現します。これはものすごいことだと思います。

思想やイデオロギー、英雄的行為の影に身を隠す。そうしたことで自分を見つめ直す必要がなくなる。

これは恐るべき視点です。

実はこのちょっと前の箇所でアレクシエーヴィチは自身のものの見方についてドストエフスキーが大きな影響を与えたと言っています。それがこちらです。

わたしは視界を広げて、戦争という事実だけではなく、人が生きるとは、死ぬとはどういうことなのか、その真実を書かねばならない。ドストエフスキイの「一人の人間の中で人間の部分はどれだけあるのか?その部分をどうやって守るのだろうか?」というあの問いを。

群像社、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ、三浦みどり訳『戦争は女の顔をしていない』P18

ドストエフスキーから影響を受けたということを聞き、「なるほど、だからこそアレクシエーヴィチはそのような視点を持つ事ができたのだな」と納得してしまいました。

このことについての例としてアレクシエーヴィチは次のようなエピソードを話しています。最後にそちらを見ていきましょう。

ある家庭に行ったときのこと。夫も妻も戦地にいたことがある。二人は戦線で知り合い、そこで結婚した。

「結婚式は塹壕の中で、戦闘に出る前だった。ウエディングドレスはドイツ軍のパラシュートの生地を使って自分で縫ったわ」夫は機関銃兵、妻は通信兵だった。

夫は奥さんをまず厨房に追いやった。「まず、何か食べ物を用意してくれ」やかんが湯気を立て、オープンサンドが用意されて、彼女はわたしたちと一緒に座ろうとすると、夫は直ちに次の注文を出して奥さんを立ち上がらせる。「イチゴはどうした?週末に摘んできたあれは?」わたしがしつこく奥さんに話をききたがるので、夫は「教えたとおり、『きれいでいたかったから、お下げを切ってしまったときは泣いたわ』なんていうお涙頂戴や女々しい説明は抜きで話してあげなさい」と言って、いやいやながら奥さんに席を譲った。

奥さんはこっそり告白した。「一晩中わたしと一緒に『大祖国戦争の歴史』を丹念に読んだんです。わたしのことが心配で心配で。今だって、見当はずれなことを思い出すんじゃないか、ちゃんとした話ができないんじゃないかって気をもんでるの」

こんなことは一度ならずあった。
※適宜改行しました

群像社、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ、三浦みどり訳『戦争は女の顔をしていない』P21

歴史には正解があって、それを語ることで自分は正しい存在になる。少なくとも、自分が責められるようなことにはならない。

「教えたとおり、『きれいでいたかったから、お下げを切ってしまったときは泣いたわ』なんていうお涙頂戴や女々しい説明は抜きで話してあげなさい」と夫が言ったのは象徴的ですよね。「人間一人一人」の記憶や感性、感情はこうしたことの積み重ねで成り立っているはずです。私たちが何を思い、何を感じたかこそ「私たちの生のありのまま」なのではないでしょうか。それを「大祖国戦争」の偉大な歴史と自らを同化することで心の底に隠そうとする。こうした傾向をアレクシエーヴィチは指摘するのでありました。

この本は衝撃的です。かなり生々しい物語が語られます。そして本のタイトルにありますように独ソ戦を女性の目線から見ていきます。これまで語られた「男らしい」戦争のイメージをひっくり返すような話がたくさん出てきます。読んでいると胸が締め付けられるような語りが次々と出てきます。戦争の実態をこれ以上なく私たちの前に突きつけます。

そして今この本は漫画化もされているそうです。

この記事で原作を含め、漫画の内容も詳しく解説されていますのでぜひご覧になってみてください。

非常におすすめな1冊となっています。

以上、「『戦争は女の顔をしていない』独ソ戦を体験した女性達の声に聴くー現在、日本でコミック化もされている名著」でした。

次の記事はこちら

関連記事

HOME