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カラムジン『ロシア人の見た十八世紀パリ』あらすじと感想~憧れの都パリを見たロシア人文学者が受けた衝撃とは

カラムジン
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カラムジン『ロシア人の見た十八世紀パリ』概要と感想~憧れの都パリを見たロシア人文学者が受けた衝撃とは

一七九〇年三月二十七日、パリ

パリに近づいているのに、「パリはまだか」と、絶えず私は道連れに尋ねるのだった。ついに広々とした平原が開け、遠くにパリが見えた!……われわれは貪るようにこの無限の巨大な建築群を見た―そして目が建物の濃い陰に釘づけになった。心臓がどきどきした。「ほら、パリだ。これこそ何世紀にもわたって全ヨーロッパの手本であった都市、趣味と流行の源泉だ。ヨーロッパ、アジア、アメリカ、アフリカにおいて、学問のある人もない人も、哲学者も洒落者も、芸術家も教養のない人も、うやうやしくその名を言う。私はパリの名前を、自分の名前とほとんど一緒に知った。パリについては小説の中でたくさん読んだし、旅行者から聞いたし、夢みたし、考えもした!……ほら、パリだ!……目に見える、これからその中に入るのだ!」―おお、わが友よ!この瞬間は、私の旅の中で最も楽しい瞬間の一つだった!これほど生き生きした気持ちと好奇心をもって、待ちこがれながら近づいた都市はかつてなかった!

彩流社出版、福住誠訳、ニコライ・カラムジン『ロシア人の見た十八世紀パリ』P11

華の都、パリ。

そのパリを初めて見た時の感動、驚き。

それを表す言葉でこの文章を超えるものはなかなかありません。

この文章の作者はロシアの文学者カラムジン(1765-1826)。

ニコライ・ミハイロヴィチ・カラムジン(1766-1826)Wikipediaより

ロシアを代表する文学者で歴史家としても有名で、19世紀ロシア文学の全盛期を導いた偉大な人物であります。ドストエフスキーにも当然、大きな影響を与えています。

本日はこのニコライ・カラムジン『ロシア人の見た十八世紀パリ』をご紹介します。

冒頭の文章は若きカラムジンがロシアからヨーロッパへ旅立ち、ついに憧れの都市パリに着いた瞬間を描いたものです。この文章だけでもロシア人にとって、どれほどパリが憧れの対象であったかを想像することができます。

プロローグには当時のフランスとロシア事情が述べられています。

十八世紀はフランス文化が全ヨーロッパに君臨していた時代であった。各国の君主や貴族は、プロイセンのフリードリヒ大王やロシアのエカチェリーナ女帝に代表されるように、フランス語を話し、フランス風の礼儀作法や教養を身につけようと努めた。フランス語がラテン語に取って代わって教養人の共通語になっていたのである。そしてフランスの思想家や文学者の作品を読むことは教養人とての証しであった。

フランス文化の中心地であり、当時のヨーロッパの首都ともいうべきパリは、誰でも一度は行ってみたい憧れの都市であった。遠く離れたヨーロッパの辺境に位置するロシアから、馬車に乗ってはるばるとやって来た若きカラムジンも、初めて訪れるパリに胸が躍るのだった。

彩流社出版、福住誠訳、ニコライ・カラムジン『ロシア人の見た十八世紀パリ』P5-6

前回の記事「ドストエフスキーとフランス―ロシアとフランスの深い関係」でもお話ししましたように、ロシアの上流階級ではフランス文化が席捲しており、フランス語で話すことはステータスですらありました。

私はパリにいる!この思いは私の心の中に、ある特別な、素速い、説明のできない、快い動きを呼び起こす……。私はパリにいる!私はひとり言をいい、通りから通りへ、チュイルリーからシャンゼリゼへ走って行く。突然私は立ち止まり、並々ならぬ好奇心を持ってすべてを見る。建物を、箱馬車を、人々を。書物によって知っていたものを、私は今自分の目で見る―楽しみ、そしていろいろな現象が見られるまたとない、素晴らしい、この世で最も偉大な、最も輝かしい都市の生き生きした様を喜ぶ。

私にとって五日間が五時間のように過ぎ去った。騒音の中で、雑踏の中で、観劇の中で、パレ・ロワイヤルの魅惑的な宮殿の中で。私の心は強烈な印象に満ちている。

彩流社出版、福住誠訳、ニコライ・カラムジン『ロシア人の見た十八世紀パリ』P16-17

巨大な建築物、華麗なる街並み、活気ある雑踏、うっとりするようなオペラ、カラムジンはすぐにパリに魅了されます。

しかし彼は同時に、想像もしていなかったものも目にすることになります。

大きなテラスに登りなさい。右を、左を、あたりを見まわしなさい。到る所に巨大な建物が、宮殿が、教会がある美しいセーヌ河岸、花崗岩の橋、そこに数千の人々が群がり、たくさんの箱馬車が音を立てている―(中略)パリを世界で一番の都市、華麗さと魅力の中心地と呼んだくらいでは、十分ではない。(中略)さらに進むと、狭い通り、貧しさと豊かさの侮辱的な混合物が見えてくる……宝石商の豪華な店のすぐそばには、腐ったリンゴとニシンの山がある。どこもごみだらけで、並べられた肉からは、血がどくどく流れている。―鼻をつまみ、目を閉じなさい。華やかな都市の様相は薄れ、世界中のすべての都市から地下のパイプを通って、パリの不潔なものや汚穢が流れ込んでるように思われるでしょう。もう一歩進みなさい。すると突然、良いアラビアの香りか少なくともプロヴァンス地方の花咲く野の芳香が、あなたがたの方へ漂って来るでしょう。つまり香水やポマードを売っているたくさんある小さな店のひとつにさしかかったということです。要するに一歩ごとに雰囲気が変わり、新しい贅沢品か最も嫌悪すべき汚物が現れる―だからあなたがたはパリを最も素晴らしくて最も嫌な、最も芳ばしく最も悪臭のひどい都市と呼ぶべきでしょう。

彩流社出版、福住誠訳、ニコライ・カラムジン『ロシア人の見た十八世紀パリ』P18-19

華やかで美しい都パリのもうひとつの姿、それが悪臭と汚物まみれのパリなのです。

パリは当時最も繁栄していたものの、同時にその繁栄による負の側面も尋常ではなかったのです。

これは意外と知られていない事実であります。

圧倒的な繁栄の裏には圧倒的な悲惨も隠されていたのです。いや、隠すことができないほど表にあふれ出ている。それがパリの現実でした。

しかしそれでもなおパリは人を惹き付けてやまない魅力を放ちます。

カラムジンのこの本ではロシア人から見た憧れの都パリの圧倒的な魅力と負の側面、そして彼の見たパリの人々についての印象が率直に語られています。

これから先の私の記事ではこのパリの圧倒的な繁栄とそこから生み出されたフランス文化、そして負の側面についてもお話ししていきます。

以上、「カラムジン『ロシア人の見た十八世紀パリ』憧れの都パリを見たロシア人文学者が受けた衝撃とは」でした。

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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