(52)マリユスとABCの友との出会い~何をしてもダメな男ボシュエの大手柄

「ユゴーの原作『レ・ミゼラブル』を読む」(52)マリユスとABCの友との出会い~何をしてもダメな男ボシュエの大手柄
第三部 マリユス 第四章 ABCの友 ⑵
さて、前章でABCの友について語られましたが、肝心のマリユスはどうなったのでしょうか。ジルノルマン氏の家を飛び出たはよいものの、行く当てもありません。そんな彼がどういう成り行きでABCの友たちと仲間になっていったのでしょうか。
実はこれも毎度おなじみの「偉大なるたまたま」の連続になります。
そしてその鍵はABCの会のメンバーのひとり、レーグル(ボシュエ)にあります。前回の記事でもさらっと紹介しましたが、ここで改めて彼について詳しく見ていくことにしましょう。
ボシュエは陽気な青年だったが、運の悪い男だった。何をやってもうまくいかなかった。それでかえって、なんでも笑いとばした。二十五歳で、禿げになった。父親は最後に家と畑を手に入れたが、息子は、投機に失敗して、たちまちその畑と家をなくしてしまった。何も残らなかった。
学問もあり、才知もあったが、やりそこないばかりだった。すべてに失敗し、すべてに期待を裏切られた。土台を築いても、それが頭上にくずれかかるのだった。
木を割れば、指を切った。恋人ができても、すぐに男があるのがわかった。しょっちゅうなんらかの不運が降りかかったが、それだからこそ陽気だったのだ。「俺は瓦が落ちてくる屋根の下に住んでるのさ」と言うのだった。ものに驚かなかったのも、災難のあることは前もってわかっていたからで、平然と不運を受入れ、冗談を聞き流すように、運命の意地悪さを笑った。
貧乏だったが、上機嫌の持ち合せは無尽蔵であった。すぐに最後の一スーまで使い果してしまうのに、爆笑が種切れになることは決してなかった。災いが舞いこむと、丁寧にこの古馴染みに敬礼し、破局を親密に扱い、宿命には、愛称で呼びかけるほど親しくしていた。「こんにちは、ギニヨン君(訳注 不運君の意)」と彼は言うのであった。
新潮社、ユゴー、佐藤朔訳『レ・ミゼラブル㈢』P145-146
「ボシュエは陽気な青年だったが、運の悪い男だった。何をやってもうまくいかなかった。」
これが彼の大きな特徴になります。そして同時に、この不運を笑い飛ばす陽気さを持っているのが彼の長所と言えるでしょう。
さて、そんなボシュエでありましたが、彼はある日、サン・ミッシェル広場を眺めながらぼーっとしていました。そうです、この時も例によって大失敗を先日にしでかし、そのことについて考え事をしていたのです。
どんな大失敗をしでかしたかはこの後語られるのですが、そんなボシュエの目の前を一台の馬車がゆっくりと通りかかります。そしてその馬車にはひとりの青年が乗っていたのですが、その彼の大きな旅行バッグに縫い付けられた名札を見て、ボシュエは思わず飛び上がったのでした。
「マリユス・ポンメルシー君!」
呼びかけられて、馬車は止った。
青年もやはり何か深く考えこんでいたようだったが、目をあげた。
「えっ?」と彼は言った。
「君はマリユス・ポンメルシー君ですね?」
「そのとおり」
「僕は君を捜してたですよ」とレーグル・ド・モーはつづけた。
「どうしてです?」とマリユスは尋ねたが、それというのも、彼は祖父の家を飛び出したところだったし、目の前の顔は今初めて見る顔だったからである。「僕は君を知らないんですが」
「僕だって、君を知らないんですよ」とレーグルは答えた。
マリユスは、こいつは、道化者で、これから往来の真ん中で人をたぶらかそうとしているのだなと思った。そのとき彼は機嫌がよくなかった。眉をひそめた。レーグル・ド・モーは平気でつづけた。
「君は一昨日学校に来なかったでしょう?」
「そうかもしれない」
「たしかにそうですよ」
「君も学生?」とマリユスは尋ねた。
「そう、君とおんなじように。一昨日ひょっこり学校に行ってみた。ときどきそんな気を起すことがあるだろう。教師がちょうど、出席をとってるところだった。君だって知らんことはないだろうが、奴らはそんなとき実に馬鹿げたことをするんですね。三回呼んで返事がないと、名簿から消されちまうんだ。六十フラン、ふいになる」
マリユスは耳を傾けはじめた。レーグルはつづけた。
「ブロンドーが出席をとってたんだ。君もブロンドー知ってるだろう。とんがった、ごく意地悪そうな鼻をして、欠席者をかぎだすのが、大好きな奴さ。奴は陰険にPから始めやがった。そんな字とは関係ないから、僕は聞いてなかった。出席は無事に進んで、抹殺は一人もなし。全員出席。ブロンドーは悲しんだ。僕はそっと言ってやった、ブロンドー君、今日はちっともくびにできないねえ。いきなり、ブロンドーは、マリユス・ポンメルシーと呼びやがった。返事がない。ブロンドーは希望にあふれますます声をはりあげて、マリユス・ポンメルシーと繰返してから、ペンを取上げた。君、僕には人情があるんでね、すばやく考えたもんだ、さあ善良な青年が名を消されるぞ。待てよ。ずぼらな面白い奴らしい。よい学生ではないな、くそ真面目な奴でもないし、がっつき屋でもないし、科学、文学、神学、哲学だのをつめこんで自慢する青二才でもない。やたらに資格をとって、勿体をつける馬鹿者でもない。尊敬すべき怠け者で、そこらをぶらついているか、田舎へ行っているか、そこらの女の子といちゃついているか、美人に言い寄っているか、ひょっとすると今ごろ俺の恋人のところにいるかもしれぬ。奴を助けてやろう。ブロンドーなんかくたばれだ!その、ブロンドーは抹殺用の黒ぺンをインクにひたして、けだもののような目で講堂を見まわすと、三度目に、マリユス・ポンメルシー!を繰返しやがった。僕は、〈はい〉、と返事をしてやった。それで君は消されなかったのさ」
「君!………」とマリエスは言った。
「そして、僕の方が消されちゃった」とレーグル・ド・モーはつけ加えた。
新潮社、ユゴー、佐藤朔訳『レ・ミゼラブル㈢』P153-155
あっぱれボシュエ!
彼は見知らぬマリユスのために自分を投げ捨て、代わりに返事をしたのでありました。そのおかげでマリユスはこの後も弁護士の勉強を続けることができたのです。
またしてもマリユスは何も知らぬ間に誰かに守ってもらっていたのです。彼はもうこういう星の下に生まれているのでしょう。ボシュエが何をやってもうまくいかない星の下に生まれたように、マリユスは知らぬ間に誰かに助けてもらう人生なのです。
それにしても、このボシュエという男は気持ちの良い男です。「よくぞマリユスを救ったぞ!」と大喝采したい所ですが、よくよく考えてみると彼が「ブロンドー君、今日はちっともくびにできないねえ」なんてことを言わなければもしかしたら、マリユスの名前がそもそも呼ばれなかった可能性があったのです。
そう考えると、やはり彼は何をやってもうまくいかない男だというのもさらに頷けてきます。
とはいえ、見知らぬ誰かのために代返を引き受けたというのはやはりあっぱれな心意気です。彼の大手柄と言ってよいでしょう。しかも、彼はこうして弁護士の道が絶たれたことを恨むでもなく、むしろ笑い飛ばしてしまいます。これにはマリユスもたじたじでした。
そんなこんなで二人が道で立ち話をしていると、ちょうどカフェからクールフェラックが出てきました。皆の人気者クールフェラックですね。このクールフェラックも清々しい男で、マリユスに会うやいなや「僕のうちに来たまえ」と声を掛けます。う~む、男前!
こうしてマリユスはボシュエ、クールフェラックというABCの友のメンバーと出会ったのでありました。
マリユスが休んだ授業でたまたま点呼が行われ、たまたまその日に出席していたボシュエが代返し、そのボシュエの前をたまたまマリユスが通りかかり、さらにたまたまクールフェラックがカフェから出てきた。まさに「たまたま」の連続でマリユスはレミゼの舞台の中心へと引き込まれていきます。ユゴー得意の「偉大なる偶然」がここでも大いに炸裂しています。
さて、こうしてABCの会のメンバーと繋がったマリユスはいよいよABCの会へと本格的に足を踏み入れていくことになります。
続く
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