比叡山麓の園城寺も親鸞の比叡山時代を考える上では欠かせない

【親鸞伝の旅】比叡山麓の園城寺も親鸞の比叡山時代を考える上では欠かせない

さて、今回やって来たのは日吉大社と同じく比叡山の麓に位置する園城寺(三井寺)です。
このお寺は近江八景「三井の晩鐘」や西国三十三所の札所として知られる名刹です。
ですが、私が今回この三井寺を訪れた最大の目的はそこにはありません。
私が見たかったのは、比叡山延暦寺と壮絶な抗争を繰り広げた「寺門」の本拠地としての三井寺でした。

園城寺も同じ天台の流れを汲む寺ですが、延暦寺とは長い歴史の中で何度も戦いを繰り広げてきました。その戦いはまさに戦争と言ってもよい規模で、互いの坊舎を焼き払い、多くの死者が出るほどの壮絶なものでした。
なぜ同じ天台宗なのにここまで戦わなくてはならないのか。
このことについてお話しするととてつもなく長くなってしまうのでここではお話しできませんが、興味のある方はぜひ村山修一著『比叡山史 闘いと祈りの聖域』という本を読んでみてください。度肝を抜かれること間違いなしです。単に僧兵が乱暴者で、僧侶が悪い企みをしたという話ではないのです。そこにはものすごく複雑な歴史的背景があったのでした。僧兵の裏側を知れば日本史の見え方そのものが変わること間違いなしです。大河ドラマなどでも僧兵は悪役として描かれがちですが、実際はそう単純な存在ではないのです。
「宗教は宗教だけにあらず」
ここ比叡山はまさにそれがはっきりと表れている場であることは間違いありません。
そして何より、この僧兵間の戦争ですが、なんと延暦寺内部でも繰り広げられていたのです。延暦寺対園城寺ならまだわかるのですが、比叡山内でも戦争クラスの大規模戦が行われていたのです。
しかも私たちに重要なのが、そのひとつが1203年に行われたということです。
つまり、親鸞聖人が比叡山を下山した2年後にこうした大規模衝突があったのでした。
もしかすると、親鸞聖人はこうしたきな臭い状況を察して山を下りたという側面もあったのかもしれません。親鸞聖人は何も書き残していませんので真相はわかりませんが、聖人下山後まもなく、比叡山では大規模な軍事衝突があったというのは重要なポイントだと言えましょう。
こうした僧兵による軍事衝突を考える上でもこの園城寺は欠かせません。だからこそ私はこのお寺を訪れたのでありました。
・このお寺についてもっと知りたい方は園城寺の公式ページへどうぞ
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