興福寺の国宝・木造千手観音菩薩立像が実にドラマチック!私の大好きな仏像!

【親鸞伝の旅】興福寺の国宝・木造千手観音菩薩立像が実にドラマチック!私の大好きな仏像!
興福寺といえば阿修羅像。
もはや国民的なイメージにまでなったこの大人気の仏像ではありますが、私個人としてはもう一体、おすすめしたい仏像があります。
それがタイトルにも書きました国宝・木造千手観音菩薩立像になります。
この仏像は阿修羅像もいる国宝館の中心にどんと立っておられる仏像で、高さはなんと5メートルを超えます。ものすごい迫力です。
そのお姿はこちらの興福寺公式ホームページで見て頂きたいのですが、私はこの仏様が大好きなのです。
まず、その巨大さにも圧倒されますが、何と言っても、この仏さまはダイナミックです。千手観音の名の通り、多くの手がこの仏様にはあるのですが、そのひとつひとつの手が実に素晴らしい・・・!まるで今にも動き出しそうな、そんな感覚すら受けてしまいます。
そして実際に今そこに降り立ち、これから私たちを救い出しに来そうなドラマチックなお姿のようにも感じられるのです。これはぜひ現場で体感してみてください。ひとつひとつの腕がまさにこちらのほうに伸びてくるような、そんな不思議な感覚になるのです。
仏像といえば静けさがあるというのが多くの方のイメージかもしれませんが、この像は違います。まさに物語性があるのです。見る者を救済のドラマに引き込むような、そんな仏様なのです。これは非常に貴重です。私がこの仏さまに惹かれるのも、そんなドラマ性があるからでありましょう。
そして私がこの仏さまに惹かれるのには、さらなる理由があります。
この仏様は源平争乱の焼き討ちの後に作られた仏像なのです。この焼き討ちについては「(11)1180年の東大寺大仏炎上と重源、運慶ら復興にかけた奈良の僧侶たちの活躍とは」の記事でもお話ししましたが、1180年、平重衡の軍勢によって興福寺と東大寺が焼失するという未曽有の大事件が起きていました。
ただ、この焼き討ちの翌年には早くも興福寺の復興が始まり、東金堂や西金堂を皮切りに、講堂、食堂、南円堂、中金堂、五重塔、北円堂と、長い年月をかけて伽藍がよみがえっていきました。
その復興の中から生まれたのがこの千手観音さまなのです。この仏さまが完成したのは1229年頃ですので興福寺の焼失から実に半世紀ほどの年月が流れています。
興福寺の焼失は、たしかに奈良仏教界においてはとてつもない打撃でありました。ですが、そこからの復興によって今の興福寺があるのも事実です。そしてそれが可能だったのも、このお寺の再建を願い、支えた多くの人がいたからこそでありましょう。失って初めて気づく大切さというものがあります。焼け跡からもう一度この寺をよみがえらせようと、人々は長い年月をかけて復興を続けていったのです。
この千手観音さまも、そうした長い復興の中から生まれています。焼け跡から新たに生み出された仏さまです。だからこそ私は、この仏さまのドラマチックなお姿に、復興にかけた人々の願いまでも重ねて見てしまいます。多くの人の思いが込められた仏さまだからこそ、今を生きる私たちにも何かしら感じられるものがあるのかもしれません。
親鸞聖人が生きた時代、奈良ではこうした復興劇が行われていたのです。聖人がいた比叡山だけでなく、日本全体の動きを見ていくと、また新たな発見があります。
私はこの仏像が大好きです。興福寺に来ると私はいつも、この仏像の前に立ちます。私がこのお寺で一番時間をかけるのは阿修羅像ではなく、この仏さまなのです。それほど私にとって大切な仏さまです。ぜひ、みなさんもこの仏さまとじっくり向き合ってみてはいかがでしょうか。
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