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(54)ナポレオン礼讃の大演説をしたマリユス、ABCの友に論破され意気消沈、距離を置くことに・・・

ユゴーの原作『レ・ミゼラブル』を読む
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「ユゴーの原作『レ・ミゼラブル』を読む」(54)ナポレオン礼讃の大演説をしたマリユス、ABCの友に論破され意気消沈、距離を置くことに・・・

第三部 マリユス 第四章 ABCの友 ⑷

さて、前回の記事ではABCの友に微妙に馴染めないマリユスを見ていきましたが、今回の記事ではそこからさらに進んでいくことにしましょう。

マリユスはクールフェラックのよしみで何度もこの会に顔を出していたのですが、いつも彼は黙って聞いているだけ・・・。目の前の言葉の応酬にすっかり混乱してしまっていたのは前回も述べた通りです。

ですが、ある日の集まりのこと。

彼は宿命的な言葉を耳にし、突然大演説をぶち始めます。無口に見えたマリユスがいきなり語り始めたのでありました。

ちょっとした言葉のぶつかり合いから、変な具合に飛び出した厳粛な思想が、グランテール、バオレル、プルーヴェール、ボシュエ、コンブフェール、クールフェラックなどが雑然とかわす大舌戦の中を、突然つき抜けた。

どうしてある言葉が会話の中に急に飛び出すのか?なぜその言葉が、それを耳にした人たちの注意を突然ひきつけるのか?さっきも言ったとおり、何もわからない。大騒ぎの最中に、ボシュエは、コンブフェールに何か言いかけて、次の日付を言うと急に口をつぐんだ。

「一八一五年六月十八日、ワーテルロー」

このワーテルローという名前に、水の入ったコップのそばで、テーブルに肱をついていたマリユスは、手首を顎から離してじっとみんなを見つめた。(中略)

アンジョルラスはそれまで黙っていたが、沈黙を破って、クールフェラックにこんな言葉をかけた。

「君は罪悪を贖罪と言いたいのだろう」

マリユスは、ワーテルローがいきなり飛び出したために、ひどく興奮していた。この「罪悪」という言葉で、もう我慢できなくなった。

彼は立ち上がると、壁にかけてあるフランスの地図の方にゆっくり歩いて行った。

その地図の下の方に島が別の囲いに書いてあった。彼は指をその囲いにあてて言った。

「コルシカ島。フランスを偉大にした小さな島だ」

新潮社、ユゴー、佐藤朔訳『レ・ミゼラブル㈢』P176-177

今や父と一体化したナポレオンを崇拝するマリユスにとって「ワーテルロー」というのは宿命的な言葉であります。その言葉にマリユスは反応せずにはいられません。

ちなみに、この「ワーテルロー」という言葉を発したのがボシュエだったというのは注目に値します。あの何をやってもうまくいかない男がここでもやらかしているのです。つまり、この場において「ワーテルロー」という言葉が出ること自体本来ふさわしくないのです。ですが、ボシュエだったら言いかねない。実際、彼はすぐに口をつぐんでいます。自分でも「あ、やってしまった」とわかっているのです。ただ、この失言があったからこそマリユスが反応し、その後の大演説に繋がっていきます。ここでもボシュエはマリユスを意図せずアシストしたのでありました。

そう考えると、ユゴーはボシュエを物語を進行させるための便利な役柄として利用しているのが見えてきます。意図せぬ偶然を導くのに、ボシュエの失敗が自然さをもたらしてくれるのです。作者にとってこんなに便利な存在はいないことでしょう。ユゴーもこのキャラを生み出した時、きっとしめしめと思っていたのではないでしょうか。

さて、話は戻りますが、「ワーテルロー」と「罪悪」という言葉に我慢できなくなったマリユス。ここから彼の大演説がスタートしていきます。

ただ、突然熱く語り出したマリユスに一同は総ポカンです。つまり「こいつは一体何を言っているんだ?」状態になってしまったのです。

それはそうです。彼ら学生たちは皆共和主義者で、ナポレオン主義者ではありません。ナポレオンはすでに過去の遺物として彼らに受け止められていました。だからこそ、「何をそんなに熱くなって古臭いことを言っているんだ?」と困惑したのです。

そんなこともつゆ知らずマリユスは大演説を続けます。皆が黙っているのを見て自分の演説が効果を発揮していると思い込んでいるのです。やはり彼は周りが見えていません。こういうところも祖父ジルノルマンと似ています。

そしてその演説のラストをこう締めくくります。

「ナポレオンの偉業ほど偉大なものがあるだろうか!」と。マリユスは「さあ、言うべきことは言ったぞ!どうだ!!」という思いでこの締めの言葉を述べたことでしょう。

ですが、これに間髪入れずとんでもないカウンターが浴びせられます。

「自由になることだ」とコンブフェールが言った。

今度はマリユスが顔を伏せた。この簡単で冷静な言葉が、鋼鉄の刃のように、彼の叙事詩的な言葉の激流を断ち切り、心からその激流が消えて行くのを感じた。彼が目をあげたとき、コンブフェールはもういなかった。きっとこの度はずれの礼讃をやりかえしたことに満足して、立ち去ったのだろう。アンジョルラス以外はみんなあとについて行ってしまい、部屋はからっぽだった。アンジョルラスだけは、マリユスと一緒に残って、きびしい目で彼を見つめていた。それでも、マリユスは自分の考えを少し立て直したので、負けたとは思わなかった。心には興奮のほとぼりが残っており、それを三段論法にしてアンジョルラスに繰りひろげようとしたときに、誰かが立ち去りながら階段で歌うのが聞えた。それはコンブフェールだったが、その歌はこうだった。

もしもカエサルが、この俺に
誉れと戦を与えるから、
いとしい母はおいて行け
と、言うならば、大カエサルに、
王杖も戦車も返します。
そんなものより、ああ!母の方が、
ずっと好きだと言ってやろ、
母の方がずっと好きだと言ってやろ。
(訳注 モリエールの「人間ぎらい」の中のシャンソンのもじり)

コンブフェールが歌う優しく、荒っぽい調子が、この対句に、一種不思議な偉大さを与えていた。マリユスは考え深げに、目を天井に向けて、ほとんど無意識に繰り返した、「母?」

そのとき、肩にアンジョルラスの手がおかれたのを感じた。

「市民シトワイヤン」と彼にアンジョルラスは言った。「母とは、共和国のことさ」

新潮社、ユゴー、佐藤朔訳『レ・ミゼラブル㈢』P181-183

完全にマリユスの敗北です。アンジョルラスを残して皆去っていったというのもきついですよね。マリユスは完全にそっぽを向かれてしまったのです。

ただ、アンジョルラスだけはまだ彼を見捨てていませんでした。もしかすると、マリユスのカリスマ性を見抜いていたのかもしれません。これだけ真っすぐで知的な熱血漢というのはそうそういません。その熱量に彼も感じるところがあったのではないでしょうか。

こうしてアンジョルラスに少し慰められたものの、マリユスはがっくり来てしまいます。その様子もユゴーは赤裸々に描いてくれてます。

その一夜は、マリユスに深い動揺を与え、心に悲しい暗影を残した。鍬で掘り起され、麦の種をまかれるとき、大地が受けるような感じをいだいた。大地は痛みを感じるだけで、芽ばえのおののきと、実りの喜びは、あとになってしか訪れない。

マリユスはふさいでいた。やっと信仰を得たばかりなのに、もうそれを投げ捨てねばならないのか?そんなことはないと自分に言いきかせた。

疑いを持つまいとわが身に誓ったが、やはりわれにもあらず疑いが湧きはじめた。二つの宗教にはさまれて、一方からまだ抜けきれず、他方にもまだ入れないというのは、耐えがたいことであり、そんな薄暗い状態を喜ぶのは、コウモリのような心だけである。

マリユスはすなおな瞳を持っていたから、真の光が必要だった。疑いの薄明は彼を苦しめた。今いるところにとどまりたい、しがみつきたいと思っても、打ちかてぬ力にひかれて、歩みつづけ、前進し、検討し、思索し、さらに先へ進まずにはいられなかった。

それは彼をどこに導こうとしているか?これほど父に歩み寄ったのに、今また父から遠ざかるのが恐ろしかった。新たに反省してみるたびに不安は大きくなっていった。断崖が四方にあらわれた。

祖父とも友人とも意見が合わなかった。祖父には軽はずみに思われ、友人には遅れていると思われた。自分は、老人からも、青年からも、二重に孤立していると覚った彼は、キャフェ・ミュザンに行かなくなった。
※スマホ等でも読みやすいように一部改行しました

新潮社、ユゴー、佐藤朔訳『レ・ミゼラブル㈢』P183-184

マリユスがいかに混乱していたかがよくわかりますよね。せっかく王党派を捨ててナポレオン主義者になったのに、今度は共和派が彼の全身を揺さぶるのです。これが普通の人であれば通り一遍の悩みで済むのですが、ほどほどを許さない真っすぐ人間であるマリユスにはこれがとてつもない重荷となってしまったのでありました。

そして「キャフェ・ミュザンに行かなくなった」というのは驚きですよね。なんと、彼はABCの友と距離を置くようになったのです。ミュージカルでは当たり前のようにABCの友の中心人物として姿を現すマリユスですが、原作ではこのような紆余曲折があったのです。最初から彼ら若者たちの仲間というわけではなかったのです。

では、どのようにして彼らと共に歩むようになったのか、それはこれからの展開を追っていくしかありません。先回りしてお伝えすると、少なくともここから数年はABCの友のメンバーにはなりません。若者の数年というのはとてつもなく長い期間です。その期間ABCの友の会員にはならなかったというのは重要です。彼には他にやることがあったのです。

ここから先、ユゴーはそんなマリユスの生活を語っていきます。そしてここでようやくマリユスとコゼットが出会うことになります。

では、ここから先もじっくり読んでいくことにしましょう。

続く

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ユゴーの原作『レ・ミゼラブル』を読む

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この記事を書いた人

2019年「宗教とは何か」をテーマに80日間で13カ国を巡り、その旅をもとにした世界一周記を全国9紙で連載。
現在は北海道新聞「みなみ風」で『インド・スリランカ仏跡紀行』を連載中。

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