MENU

(28)美しき天女像から見るインドの性愛文化と宗教~世界遺産カジュラーホーの驚異の彫刻群

目次

【シン日本仏教史】(28)美しき天女像から見るインドの性愛文化と宗教~世界遺産カジュラーホーの驚異の彫刻群

2023年10月某日、私はインド中部のカジュラーホー空港に降り立ちました。

私が現地に着いたのはすっかり夜も暮れてからのことでありましたが、周囲に大きな建物もない田舎だからでしょうか、月の光が実に美しく感じられました。

私がここカジュラーホーにやって来たのは理由があります。私はここで「あるもの」を見たかったのです。

それがこちらです。

カジュラーホーのミトナ(交合)像 Wikipediaより

皆さんを驚かせてしまったかもしれませんが、私はこれを見にはるばるカジュラーホーまでやって来たのです。

このカジュラーホーにはミトナ像と呼ばれる性的な彫刻が数多く残されています。私がこれに関心を持ったのは以前当ブログでも紹介した辛島昇・奈良康明共著『生活の世界歴史5 インドの顔』でこの彫刻が紹介されていたのがきっかけでした。

あわせて読みたい
辛島昇・奈良康明『生活の世界歴史5 インドの顔』あらすじと感想~インド人の本音と建て前。生活レベル... 本書では宗教面だけでなく、カーストや芸術、カレーをはじめとした食べ物、政治、言語、都市と農村、性愛などなどとにかく多岐にわたって「インドの生活」が説かれます。仏教が生まれ、そしてヒンドゥー教世界に吸収されていったその流れを考える上でもこの本は非常に興味深い作品でした。

お気づきの方もおられるかもしれませんが、この本の表紙もまさにカジュラーホーの彫刻です。それほどインド文化において重要な存在ということができるでしょう。

解説によれば、ミトナ像はヒンドゥー教における幸福を考える上で非常に大きな意味を持つといいます。なぜならば、ヒンドゥー教において性愛(カーマ)は人生の三大目的のひとつとして公式に認められたものだったからです。著者は次のように語っています。

ヒンドゥー教徒は直接的な性愛を、しかもオープンに認めている。明るい性の謳歌は大なり小なり古代社会の特徴だが、インドではそれ以上に性愛への偏見は少なかった。ダルマ(宗教)とアルタ(理財)とならんでカーマが人生の三目的にあげられていることでもそれは判る。直接的な性愛は率直に明るく語られていたし、文学や美術をみてもうかがい知ることができる。

河出書房新社、辛島昇・奈良康明『生活の世界史5 インドの顔』P234

なるほど。これは興味深いですよね。そしてこの性愛を象徴する場所としてこのカジュラーホーが紹介されていたのでありました。

そして定方晟著『インド性愛文化論』で次のように説かれていたのも大きなきっかけとなりました。

仏教は堅くるしいもの、真面目くさったものと考えられている。しかし、膨大な仏教文献のなかに、エロ的、グロ的、サド的要素を見出すことは不可能ではない。(中略)

仏典のエロティシズムに焦点を絞ろう。仏教は性には無関心であるように見える。しかし、それは表面上のことであって、その底には抑圧された性が潜んでいる。性欲の克服を重視する仏教は、それだけ大きなそれへの関心を前提にしているはずである。(中略)

わたしはいま仏教の裏街道を示そうとしている。仏教学者のなかにはこれを好まない人がいるかもしれない。しかし、人間にとって大事な性の問題を避けて、仏教のなにがわかるだろうか。性愛(カーマ)はインドでは人生の三大目的の一つにあげられているくらいである。人間のすべての面を知ってこそ仏教の意義が正しく理解できると、わたしは考える。

春秋社、定方晟著『インド性愛文化論』P1-6

「人間にとって大事な性の問題を避けて、仏教のなにがわかるだろうか」

たしかにそうなのです。そもそも、なぜ仏教は禁欲を説くようになったのでしょうか。なぜ女性との接触をひたすら避けようとしたのでしょうか。「煩悩を断つため」と言えば話は簡単かもしれませんが、なぜ性愛を煩悩と断定できるのでしょうか。性愛がなければ愛の喜びもないではないか、子孫も生まれないではないか、そんなことも思ってしまいます。

そして仏教とは反対にヒンドゥー教では性愛は幸福そのものとして称えられ、さらには神秘体験にまで昇華されることになっていきます。「(6)祈れば祈るほどありがたい!日本的信仰とも共通点?」の記事でもお話ししましたが、ヒンドゥー教は人間の欲望を肯定する傾向が特に強いです。欲望否定の仏教のストイックさとは真逆です。

はて、これはどうしたものでしょう。ここで改めて仏教における性愛について考えてみるのも一興。そのためにカジュラーホー寺院でヒンドゥー教の性愛文化を見てみようではないかと思い、私はここを訪れることを決めたのでありました。

つまり、単にエロティックな彫刻を見に行きたいわけではないのです。

では、早速現地での様子をお伝えしていきましょう。

カジュラーホーは人口5000人ほどの小さな農村です。1986年にここの寺院群が世界遺産に登録されたことから近年観光地化が進むことになりましたが、未だに田舎の雰囲気を残したままです。

カジュラーホーの寺院群は大まかに東群、西群、南群の三つのエリアに分かれています。私が最初に訪れたのはそれらの中でも最大規模を誇る西群のエリアです。

こちらがカジュラーホー寺院になります。たしかにこれは遠くから見ても美しい!写真では伝わりにくいかもしれませんが現地で見たこの姿に私は感動してしまいました。

ちなみにでありますが、カジュラーホーはあくまで地名であり寺院の名前ではありません。なので正式には一つ一つの寺院の名前を言っていかなければならないのですが、このエリア全体について述べるときには便宜上これからもカジュラーホーと呼ぶことにします。

入り口から奥に向かって徐々に高くなっていく独特の構造。こちらは11世紀前半に作られたカンダーリヤ・マハーデーヴィ寺院。カジュラーホー全体における最大の寺院です。インド建築史においても最高傑作のひとつとして知られています。

目を凝らしてみると、壁面にびっしり細かな彫刻がなされていることがわかります。

こちらがカジュラーホーの彫刻群です。たしかにものすごく細かく作られています。一体一体のクオリティが凄まじい。

ですが不思議なことに、私の求めていたミトナ像がどうも見当たりません。カジュラーホーといえばミトナ像というイメージがあった私にとってこれは意外でした。

ガイドさんにそのことを話してみるとこう答えてくれました。

「カジュラーホーではミトナ像は全体の10%もありません。ミトナ像ばかり有名になってしまいましたが、実際は違うのです」

ほお!そうだったのか!これは意外でした。

そして私はガイドさんに案内されミトナ像のある場所へと歩いていきました。

たしかに歩きながら壁面を見てもほとんどミトナは見られません。では、周りに彫られたミトナ以外の90%の彫刻は何の像なのでしょう。

だいたい半分以上がシヴァ神やヴィシュヌ神、その他多くの化身であり、あとは美しい天女がこの空間を彩っています。この天女たちのプロポーションがこれまた鮮烈。突き出た胸と尻、長い脚にくねる腰つき。ある像は鏡を手にし化粧をし、ある天女はサリーを脱ぐ仕草をしています。写真で見たミトナ像よりこちらの方がずっとセクシーです。

ですが、何はともあれ、ミトナ自体は全体の内ごく少数というのがよくわかりました。

そして寺院の中心ほどに来た時、その像が私の前に現れました。

拡大しましょう。

生で観ると立体感があって写真で見るのとはまるで違います。生々しさ、肉感をとてつもなく感じます。もはや石ではありません。挿入された男根まで緻密に作られているのにはさすがに笑いましたが、これらのミトナ像からはいやらしさを全く感じませんでした。欲にまみれた不純さはそこにはありません。もはや崇高さすら感じられました。これは明らかにヨーガであり、単なる性的快楽を超えたものを志向しています。

反対側には有名なミトナ像が。写真などで紹介されるのもこちらの方が多いかもしれません。

真下からのアングルで見てみましょう。本などの写真はだいたい正面のカットになってしまいますが、これは現地に行ったからこその特権です。やはり立体感、肉体の丸みを感じられて非常に面白い。

そしてこれらの像を見ていて思うのですが、リアルを超えたリアルっぽさがあります。これぞ芸術家の腕の見せ所です。単に現実そのものを模写するだけでは超一流とは言えないのです。

先程とは反対側からの写真。まるでヒマラヤのようにそびえ立つ構造。この建築様式はまさにシヴァ神の住むヒマラヤの山をイメージして作られているそうです。

それにしても、ミトナ像は露骨すぎてなんとも言えないものがありますがここカジュラーホーを歩いていると、ふとものすごく目に留まる天女像があるのも事実。皆姿も顔つきも違います。その中でたまに強烈に惹かれてしまうものがあるわけです。

ですが、それは性的なものが由来ではありません。そうではなくポーっと見入ってしまう、まさにそんな感じです。これはバチカンのサン・ピエトロ大聖堂やパリのルーブル美術館で感じた美の力とまさに同じです。

サン・ピエトロ大聖堂、ミケランジェロ作『ピエタ』 筆者撮影
ルーブル美術館、『サモトラケのニケ』、筆者撮影

私はこれらの像を見た時、完全に恍惚状態になり意識を奪われてしまいました。気づけば15分以上の時間が過ぎていたのです。目の前の完全な美に夢中になり、思考が全て止まってしまったのです。(詳しくは「ローマカトリック総本山サンピエトロ大聖堂~想像を超える美しさに圧倒される イタリア・バチカン編④」、「ルーブル美術館の『サモトラケのニケ』が美しすぎた件について」の記事を参照)

そして私がカジュラーホーの中で最も強烈なインパクトを受けたのがこの彫刻です。これはチトラグプタ寺院に施された彫刻なのですが、左脚がくっと前に出てひねり出されるこのラインに私は痺れました。腰回りと太ももの肉感の表現も群を抜いています。

私はこの優美な彫刻にすっかり魅了され、照り付ける灼熱の太陽の下しばらく動けなくなってしまいました。

そしてふと気付きました。

あぁ、この像も顔と腕が欠損しているではないか・・・と。

そう、まさに『サモトラケのニケ』と同じです。欠損しているからこその美というものがあります。これは言うは易しですがなかなか伝えにくい感覚ではあります。ですが、私はそれを知っています。そして現にここでも感じています。間違いありません。

そして、ここで一応の補足でありますが、私がこうした美しい彫刻に惹かれてしまうことに対してこう思われた方もおられるかもしれません。

「それはあなたが男だからでしょう。だから美しい女性の彫刻が好きなのではないか」と。

たしかに私自身、このカジュラーホーでそう思いギクッとしたものでありました。

しかしよくよく考えてみるとそうではないことに思い当たりました。

なぜなら私は仏像も大好きだからです。

特に奈良の安倍文珠院の快慶作『文殊菩薩像』はその最たるものです。

私はこの仏像の前に立つといつも意識を持っていかれそうになります。そして恍惚として数十分があっという間に経ってしまいます。

また、運慶の仏像にもいつも圧倒され、東寺や三十三間堂の仏像もたまらなく好きです。

そう考えると、私が美しい彫刻に惹かれるというのは単に男女の問題というわけでもなさそうです。

これには正直、ほっとしました。

ラクシュマナ寺院
ラクシュマナ寺院のミトナ像
ラクシュマナ寺院内部
ラクシュマナ寺院内部の天女像

さて、ここまでカジュラーホー寺院群についてお話ししてきましたがいかがだったでしょうか。強烈な写真に驚かれた方もおられるかもしれません。

ヒンドゥー教は仏教に比べ圧倒的に性に対してオープンだと言えます。

これは仏教とヒンドゥー教の大きな違いと言うことができるでしょう。

そして次の記事ではこのカジュラーホーに際して、インドのシヴァ・リンガ崇拝についてお話ししていきます。

カンダーリヤ・マハーデーヴィ寺院内のシヴァ・リンガ

シヴァ・リンガとは何ぞや。

これはインドの男根崇拝の象徴です。しかもこれがヒンドゥー教の三主神の一人、シヴァ神と強い結びつきがあり、インド人の信仰に非常に重要な意味を持つのです。

せっかくカジュラーホーに来てヒンドゥー教と性愛について考えたのです。であるならばさらに進んでヒンドゥー教において非常に重んじられるシヴァ・リンガについて学ぶのもよい機会だと思います。

インド人の信仰においてこのシヴァ・リンガはあまりに重要です。インドのどこに行ってもほとんど必ずこのシヴァ・リンガがあるほどこの信仰は生活に根ざしています。

「男根崇拝といっても昔の話でしょ?」と侮るなかれ。現代インドでも若い男女がごく当たり前のようにこのシヴァ・リンガにお祈りするのです。

インドを知るためにはシヴァ・リンガは避けて通れません。では、引き続き見ていきましょう。

続く

主要参考文献一覧

〇インドの歴史・宗教・文化について知るのにおすすめの参考書一覧
〇インド仏教をもっと知りたい方へのおすすめ本一覧
〇仏教国スリランカを知るためのおすすめ本一覧
〇中国仏教・中国思想のおすすめ解説本一覧
〇親鸞聖人や日本仏教を学ぶためのおすすめ参考書一覧

『シン日本仏教史』の目次と記事一覧はこちら

あわせて読みたい
シン日本仏教史 これまで当ブログで『現地写真で学ぶブッダの生涯』『親鸞伝』を連載してきましたが、本連載はその第三弾となります。 この連載ではそのタイトル通り、日本仏教の歴史を...

前の記事はこちら

あわせて読みたい
(27)静謐な仏教とダイナミックなヒンドゥー教~エローラの仏像や巨大彫刻から見る両者の特徴とは 仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教の石窟寺院が一堂に会するエローラ遺跡。静謐で穏やかな仏教窟と、生命のエネルギーが爆発するかのようなヒンドゥー教窟は驚くほど対照的です。全身に電気が走るほど感動した第10窟の仏像、そして100年近くかけて巨大な岩山を彫り抜いたカイラーサナータ寺院――。実際に現地を歩いた体験から、仏教とヒンドゥー教の世界観や人間観の違いを考えます。

関連記事

あわせて読みたい
『カーマ・スートラ』あらすじと感想~古代インドの性愛の法典。カジュラーホー寺院やタントリズム、密... 『カーマ・スートラ』は単なる好色文献というわけではありません。どぎつい性的表現ばかりと誤解されていますが、それもあくまで男女間の生活の一部分です。男女の出会い、そして共に歩む人生、その全体を含んでの『カーマ・スートラ』です。この法典を読んで男女間における生活規範がびっしり説かれていることに私も驚きました。 まさに当時の文化、生活を知れる第一級の資料であることに間違いありません。
あわせて読みたい
【旅行記】インド・スリランカ仏跡紀行 私はこれまで、世界各地を旅しながら様々な宗教や文化について学んできました。 2019年には「宗教とは何か」をテーマに世界13か国を巡り、2022年には「親鸞とドストエフ...

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

2019年「宗教とは何か」をテーマに80日間で13カ国を巡り、その旅をもとにした世界一周記を全国9紙で連載。
現在は北海道新聞「みなみ風」で『インド・スリランカ仏跡紀行』を連載中。

目次