(15)噂好きな善人がファンチーヌを破滅させた~ある種の人々はただおしゃべりをしたいために意地悪になる

「ユゴーの原作『レ・ミゼラブル』を読む」(15)ある種の人々はただおしゃべりをしたいために意地悪になる~噂好きの善人の残酷さがファンチーヌを破滅させた
第一部 ファンチーヌ 第五章 堕落 ⑷
コゼットを養うためにモントルイユ・シュル・メールに帰って来たファンチーヌ。
彼女はマドレーヌ氏の工場で勤務することになり、一応は養育費の目途が立つようになります。こうしてテナルディエに定期的に金と手紙を送りながら日々を過ごしていたのですが、これが彼女の破滅の入り口になろうとは想像もしていませんでした。
ミュージカルでは手紙を同僚に奪われた結果ケンカに発展して事態は急速に悪化していきますが、原作ではもっともっと緩慢に彼女の立場が悪化していきます。これがすこぶるリアルですので、ぜひ皆さんに紹介したいと思います。
彼女はよく手紙を書いた。これが人の目についた。女子工場では、ファンチーヌが、「よく手紙を出す」とか、「態度がおかしい」とか、こそこそ話がはじまっていた。
人の行動を探るのに、何もかかわりのない連中ほどうるさいものはない。
紳士はなぜ夕方にしか来ないのだろう?なんとかさんはなぜ木曜日に外出しないのだろう?なぜいつも横町を通るのだろう?あの奥さんはなぜ自宅の手前で馬車から降りるのだろう?レター・ぺーパーが「文箱にいっぱい」あるのに、なぜもう一冊買わせにやるのか?といったふうである。
こういう謎を解くために、しかもその謎が自分とは全く無関係なくせに、たくさんの善行をするときに必要以上の金を費い、時間を無駄にし、苦労をいとわない人たちがいるものだ。そしてこれが、理由もなく、楽しみのために、好奇心をただ好奇心でみたすだけなのだ。
彼らは、ある男やある女のあとを何日もつけ回し、町角や軒下で、夜でも、寒くても、雨でも、見張りをつづけ、ご用聞きを買収したり、馬車屋や下男に一杯飲ませたり、小間使に金を握らせたり、門番をまるめこんだりするだろう。なぜか?なんのためでもない。ただどうしても見たり、知ったり、探りたいだけなのだ。ただおしゃべりがしたいだけなのだ。
そしてしばしばこれらの秘密が知られ、神秘があばかれ、謎が明るみに出されると、破局、決闘、破産、家庭の没落、生活の破壊が起り、利害関係もなく、単なる本能によって「すべてをあばいた」人たちが、大喜びするのである。悲しいことだ。
ある種の人びとはただおしゃべりをしたいために意地悪になる。彼らの会話、サロンでの雑談や、控え室での無駄話は、薪がすぐ燃えてしまう暖炉のようなものだ。彼らには燃料がたくさんいる。その燃料とは、近くにいる人なのだ。
だから、みんながファンチーヌを観察した。
そのうえ、その金髪と白い歯を嫉妬する女たちも何人かいた。
新潮社、ユゴー、佐藤朔訳『レ・ミゼラブル㈠』P333-335
※スマホ等でも読みやすいように一部改行した
いかがでしょうか。
まるで現代の我々の世界のことを言っているかのようですよね。特に、ネットやSNSが発達した昨今ではそれが特に強烈になっているように思います。
そしてこうした人々の中でも最悪の人間がこの後出てきます。彼女こそファンチーヌを直接的に破滅させた人物になります。
彼女が少なくとも月に二回、いつも同じ宛名のところに手紙を書き、その料金を払っていることが、目についた。その宛名もわかってしまった。「モンフェルメイユ、旅館主テナルディエ様」である。人びとは居酒屋で、代書人にしゃべらせた。この老人は、ポケットの中の秘密をぶちまける以外には、胃袋を赤葡萄酒でみたすことができなかった。要するに、人びとはファンチーヌに子供があることを知った。「あの子はきっと売春みたいなことをやってたのよ」モンフェルメイユまで遠出して、テナルディエ夫婦に会ってきたおばさんまでいた。帰ってきてから、彼女はこう言った、「三十五フラン使ったおかげで、はっきりしたわ。子供を見てきたのよ!」
こんなことをしたおばさんは、ヴィクチュルニャン夫人という怪物のような女で、万人の美徳の守護者であり、門番であった。ヴィクチュルニャン夫人は五十六歳で、みにくい顔に老婆の顔を積み重ねていた。ふるえ声で、気まぐれ。こんな老婆も若いときがあったのが、不思議なくらいだ。
新潮社、ユゴー、佐藤朔訳『レ・ミゼラブル㈠』P335-336
「万人の美徳の守護者であり、門番」たるヴィクチュルニャン夫人。
彼女がファンチーヌを破滅させたのです。
この人間の厄介なところは、自分の好奇心を満たすことを正義の名の下に全て正当化しているところです。本人からすれば「自分は社会を守っている」と満ち足りた正義心に陶酔していることでしょう。ですが、やっていることは極めて残酷です。自分は安全なところにいながら他人の生活を破壊しているだけなのです。
このヴィクチュルニャン夫人によって「ファンチーヌは不貞の女」という噂が決定的になってしまいます。そして女工場長にも知られファンチーヌは解雇されてしまいます。この工場の掟は「正しい人であること」です。不貞の女は働かせられない。これで終わりでした。
ミュージカルでは同僚とのケンカと工場長のセクハラまがいの暴言であっという間に放り出されるファンチーヌでしたが、原作ではこうして徐々に彼女は蝕まれていたのでありました。
そしてこの後貧困に苦しむファンチーヌの姿が描写されていくのですが、このヴィクチュルニャン夫人のくずっぷりは半端ではありません。
ヴィクチュルニャン夫人は、彼女が通るのを自分の窓からときどき見かけ、自分のおかげで「しかるべき場所に帰った女」の貧苦の姿を見てとり、喜びを感じた。意地悪な人たちも、暗い幸福を持っている。
新潮社、ユゴー、佐藤朔訳『レ・ミゼラブル㈠』P341-342
レミゼの30年前に書かれた『ノートル=・ダム・ド・パリ』もそうだったのですが、ユゴーは胸糞悪いシーンを描くのもとんでもなく巧みです。私の中で『ノートル=ダム・ド・パリ』は世界キングオブ胸糞小説のひとつにランクインしている作品なのですが、さすがにレミゼではその胸糞悪さはある程度抑えられています。あまりにどぎつすぎるのも考えものです。もちろん、『ノートル=ダム・ド・パリ』も名作ですので興味のある方はぜひ読んでみてください。あのドストエフスキーも若き日にこれをロシアで翻訳出版したほどの作品です。ただ、胸糞なのはお伝えしておきます。ディズニーはよくこれを『ノートルダムの鐘』としてアニメ化したなと今でも不思議に思っています。
さて、話は少し反れてしまいましたが、このヴィクチュルニャン夫人の胸糞ぶりはぜひ皆さんにも知って頂きたいです。そしてこうした人間は物語だけの存在ではなく、まさに私たちの生活の中で氾濫している事実なのだということも確認したいと思います。私たちの世界にも大なり小なりヴィクチュルニャン夫人が必ず存在しています。
ああ、世知辛い世界ですよね・・・。
ファンチーヌの破滅は読んでいて本当につらいです。
「噂好きの善人」がファンチーヌを地獄に堕とした。原作でのみ語られるこの事実は、実に重いものがありましょう。
続く
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