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(30)中国への仏教伝播の本格化とインド仏教の密教化

シン日本仏教史
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【シン日本仏教史】(30)中国への仏教伝播の本格化とインド仏教の密教化

さて、これまでグプタ朝における仏教とヒンドゥー教について見てきましたが、ここで一息ついて中国へと目を向けてみることにしましょう。

4~5世紀になってくるとインドから中国へ多数の経典が持ち込まれ、一気に漢訳が進むことになりました。そしてさらに時を経て6世紀になるとインドでは起こらなかった新たな展開が生まれてきます。

それが大乗経典をベースにした仏教宗派の誕生でした。

実はインドではこの時まで大乗仏教がそれほど主流になった形跡がほとんど見られず、むしろ従来の上座部と共存する形で信仰されていたのです。(※この辺りの事情はグレゴリー・ショペン『大乗仏教興起時代 インドの僧院生活』を参照)

これまで見てきましたように、グプタ朝においてたしかに大乗仏教は大いに発展したのでありますが、それはあくまで初期と比べればの話です。たしかに思想や芸術は飛躍的に発展しましたが、教団としての中心はやはり従来の上座部仏教にあったのです。そしてその教団と共存しながら大乗仏教の教えを実践していたというのが実際のところだったようです。つまり、宗派というよりも学派という存在にとどまっていたということになります。

というわけで仏教発祥の地インドで成立することのなかった大乗仏教の宗派でありましたが、それが遠く離れた中国で花開いたのです。

ここから中国では大乗仏教の経典をベースにした宗派たる天台宗や法相宗、浄土教信仰が盛んになっていきます。その詳しい流れについては後の中国仏教の章でじっくり見ていきますので、ここでは4、5世紀にインドから中国へ盛んに仏教が伝わっていったということを知って頂けましたら十分です。

仏教の日本伝来

そしてこの中国での盛んな仏教受容からさらに時代が下りまして、日本にもようやく仏教が伝わってきます。

日本の仏教伝来は従来538年説と552年説がありますが、いずれにせよ中国から朝鮮経由で伝来したのは間違いありません。

この辺りの事情も後の日本仏教のパートで詳しくお話ししていきますのでお楽しみに。

玄奘三蔵のインドへの求法の旅

そして忘れてはならないのが玄奘三蔵の存在です。

玄奘(602~664)Wikipediaより

彼は「三蔵法師=玄奘」というくらい日本でも有名な高僧ですが、彼が世界的に有名になったのは三蔵(経、律、論という経典群)を求めて中国からはるばるインドへ旅し、大量の経典を無事中国へもたらし翻訳したという偉業にあります。

ただ、この玄奘三蔵の求法の旅も実は当時の大唐帝国の政治事情と大きな関係があるということは意外と知られていません。

誰もが知る玄奘三蔵の意外なエピソードについても、この後の中国仏教パートではお話ししていきます。

インドにおける密教の流行と中国への波及。最澄と空海の入唐も

また、インドでは7世紀中頃より密教が盛んになっていきます。密教とはその名の通り、秘密の教えのことです。さらに具体的に言いますと火を使った儀式や呪文を唱えることで悟りの境地へと向かおうとする仏教になります。奈良康明著『仏教史Ⅰ』ではこの密教について次のように述べられています。

グプタ末期のおおよそ六世紀ごろより、元来が現世利益的な諸儀礼や呪的な要素が涅槃、成仏のための行法として昇華され、純化される現象が顕著になってくる。つまり世間レヴェルの要素が出世間レヴェルの行法としてやき直され昇華される面が出てきたのである。その結果として生じたのがいわゆる密教であって、これは大乗仏教の中観や唯識の思想と行法に、マントラやダーラニー、諸儀礼、印、マンダラなどが混然一体となったきわめて神秘主義的な新しい実践修道体系といっていい。その中核をなす経典が七世紀から八世紀にかけて成立した『大日経』と『金剛頂経』(正しくは『一切如来真実摂経』という)である。

密教の基本を要約すれば、真実の具現者である大日如来を教主とし、その身、口、意に表わされている真実―これを三密という―に修行者の身、口、意を一致せしめて成仏を目指す実践といっていい。そのために修行者はイニシエーション儀礼として灌頂を受け、手に印を結び、マントラやマンダラを用いて精神を集中し、仏と一体になることにつとめる。これが「加持」である。よく「加持祈祷」というが、本来加持と祈祷は別ものである。宇宙の真理(すなわち大日如来)と一体になり(加持)、その力によって現世利益の祈祷を行なうものである。

山川出版社、奈良康明『仏教史Ⅰ』P391-392

グプタ朝統治によって仏教がヒンドゥー化していったことはこれまでお話ししてきましたが、それはあくまで仏教における「自然な同化」であり「手段」でもあったわけです。しかしこの時代になってくるとそれがさらに変化していきます。

世界の真理と個たる人間が一体化するというのはまさにインド宗教の伝統たるウパニシャッド哲学の奥義「梵我一如」の思想と重なってくるとも言えるかもしれません。

とはいえ、こうなってくるといよいよ仏教とヒンドゥー教の違いが見えにくくなってきますが、これは逆に言えばインドの一般民衆から好かれやすくなったと言うこともできましょう。というわけでこれ以後インドの仏教は一気に密教化していったとされています。

こうした動きの中密教は急成長し、インドやスリランカ、東南アジアの仏教徒の間にも浸透していきました。インドネシアのジャワ島にある世界最大級の仏教遺跡ボロブドゥールはまさにこの流れの中で生まれています。

ボロブドゥール遺跡 Wikipediaより

やがて密教は東南アジアだけでなく中国にも進出し、最新の仏教思想として流行することになりました。そしてくしくもそのタイミングで中国にやって来たのがあの最澄と空海なのです。特に空海は密教の師匠である恵果けいかからその全てを伝授され日本で真言宗を大成します。

この密教の導入に関しては〈中国ー日本〉の関係性だけでなく、東南アジアの国際情勢まで網羅した仏教コミュニティに参入することも意味しています。かつての日本は私の想像よりもはるかに国際的な情報を掴んでいたようです。これには私も驚きました。

日本仏教も国際政治の流れの中で考えていく必要があります。こうした大きな動きも後の日本仏教パートでお話ししていきます。

そして最後にひとつ、今回の内容についての補足です。

仏教はたしかにヒンドゥー化し、それが密教へと繋がりましたが、やはりそうは言っても仏教は仏教です。ヒンドゥー教化したと言っても、全てヒンドゥー教と同じというわけではありません。

当時のインドの人々にとっては密教とヒンドゥー教の違いが見えにくかったかもしれませんが、修行僧たちは違います。やはり彼らは仏教古来の教義や修行をベースにヒンドゥー教の教えを取り込んでいます。そこで用いられる思想や実践法、最終目的などは仏教由来のものであり、「ヒンドゥー教化したから仏教ではない」と一概に言えるようなものではありません。言うならば弁証法のように仏教とヒンドゥー教が融合して出来上がった最終形態といったところでしょうか。つまり密教には密教の奥深さがあり、それがあったからこそインドのみならず中国や東南アジアで広まったと言えるでしょう。

続く

主要参考文献一覧

〇インドの歴史・宗教・文化について知るのにおすすめの参考書一覧
〇インド仏教をもっと知りたい方へのおすすめ本一覧
〇仏教国スリランカを知るためのおすすめ本一覧
〇中国仏教・中国思想のおすすめ解説本一覧
〇親鸞聖人や日本仏教を学ぶためのおすすめ参考書一覧

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シン日本仏教史

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この記事を書いた人

2019年「宗教とは何か」をテーマに80日間で13カ国を巡り、その旅をもとにした世界一周記を全国9紙で連載。
現在は北海道新聞「みなみ風」で『インド・スリランカ仏跡紀行』を連載中。

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