玄奘『大唐西域記』~『西遊記』のモデルになった玄奘三蔵のインド求法の旅!

大唐西域記 インドにおける仏教

玄奘『大唐西域記』概要と感想~『西遊記』のモデルになった玄奘三蔵のインド求法の旅!

今回ご紹介するのは1999年に平凡社より発行された玄奘著、水谷真成訳の『大唐西域記』です。

早速この本について見ていきましょう。

7世紀前葉、唐の僧・玄奘法師はインドへの求法の旅に出、遊歴・伝聞する国百数十、艱難の末、大部の経典を携え帰国した。世界旅行記中の白眉たるこの書を綿密な注釈で読む。

玄奘三蔵の求法の旅。百数十ヵ国を経巡り、仏の故地を訪ね、地理・民族・言語・風俗・物産を記す。世界旅行記の白眉にして7世紀アジアの貴重な記録の第1巻はガンダーラまで。

世界旅行文学中の白眉にして7世紀アジアの貴重な記録の第2巻は北インドへ、多彩な仏跡を訪ね、豊かな伝承を記す。

第3巻はいよいよクライマックス。 ブッダ成道の地マカダに至ってゆかりの地を歴訪、そして帰還へ。

Amazon商品紹介ページより
玄奘(602~664)Wikipediaより

今作『大唐西域記』はあの『西遊記』のモデルとなった作品です。中国からインドに渡った僧としては前回の記事「『高僧法顕伝(仏国記)』~中国僧による最古のインド旅行記録!スリランカにも来島した法顕の過酷な求法の旅とは」で紹介した法顕も有名ですが、やはり玄奘の知名度は圧倒的です。

彼は「三蔵法師=玄奘」というくらい日本でも有名な高僧ですが、彼が世界的に有名になったのは三蔵(経、律、論という経典群)を求めて中国からはるばるインドへ旅し、大量の経典を無事中国へもたらし翻訳したという偉業にありました。

本作『大唐西域記』はそうした玄奘の旅路が記された書物になります。

ただ、この本を読み始めてすぐに気づくのですが、その語りがあまりに淡白・・・

私達がイメージする刺激的な冒険譚とはかなり趣が異なるのです。

一例を挙げてみましょう。

七 跋禄迦国

跋禄迦バールカー国は東西六百余里、南北三百余里ある。国の大都城は周囲五、六里である。産物・気候・人情・風俗・文字の法則は屈支国と同じであるが、言語は少しく異なっている。細糸の毛氈もうせん・細糸の毛織物は隣国に重んぜられている。伽藍は数十カ所、僧徒は千余人おり、小乗の説一切有部を学習している。

平凡社、玄奘著、水谷真成訳『大唐西域記』第一巻、P50

基本的に『大唐西域記』は最後までこの調子で語られます。国の名前、大きさ、風土、そこでの宗教事情などなど、旅行記というよりは情報誌のような雰囲気です。ブッダガヤやクシナガラなどの仏教徒憧れの聖地ですら玄奘の個人的な感慨などはほとんど語られません。至ってクールな語り口です。

これはどうしたものか。あのワクワク波乱万丈な『西遊記』とはえらい違いではないかと不思議に思ったのですがこれにはやはり理由があったのでした。

講談社刊『玄奘三蔵』という本ではこのことについて次のように述べられていました。

一般に、玄奘法師の西域旅行に関する書としては、『大唐西域記』がつとに有名であるが、この書は、法師が帰国後、太宗の命によって編纂したインド・西域の地理書であり、旅行記そのものではない。法師がどのように西域を旅行し、いかなる順序で西域・天竺を遍歴したかは、法師の伝記『大慈恩寺三蔵法師伝』の前半部分(巻一―巻五)にくわしい。

講談社、慧立/彦悰、長澤和俊訳『玄奘三蔵』P6

なるほど、そういうことだったのですね!

太宗とは唐の皇帝のことです。つまり『大唐西域記』は唐の皇帝の命令によって作られた「地理書」だったのでした。唐はシルクロードの管理や防衛に神経を尖らせていましたので、西域の地理や情報は喉から手が出るほど欲しかったはずです。こういう事情があったからこそ、玄奘の個人的な感想やエピソードは省かれ、淡々とした情報がこの書に書かれることになったようです。

そして上の引用にありますように、もし玄奘の旅のエピソードを知りたければ『大唐西域記』ではなく『大慈恩寺三蔵法師伝』の1~5巻にそれらが記されているとのこと。

講談社の『玄奘三蔵』はまさにこの『大慈恩寺三蔵法師伝』の1~5巻を和訳したものになります。

私も『大唐西域記』を読んだ後すぐにこちらを読んだのですが、やはり旅のエピソードや心情も知れて圧倒的に面白かったです。

正直、『大唐西域記』自体は読んでいてなかなか苦しい読書になりました。

しかし、読んでいる最中にふと思ったこともありました。

それは「なぜこんなにも淡々と地理情報を並べた本がこれだけ多くの人たちに影響を与えたのだろうか」という疑問がきっかけだったのですが、現代のように移動手段もなく、写真はおろか現地の情報すらほとんどない中で実際に現地を訪れ、さらに大量の情報を持ち帰ったということそれ自体が当時の人々にとってとてつもないことだったのだということに思い至ったのです。

私達現代人はスマホでちょっと検索すれば玄奘が旅したシルクロードの情報や写真、映像まで見ることができます。

ですがかつてはそんな情報に触れることすらはほとんどできません。

「遥か彼方にお釈迦様がおられたインドがある。聖地がある。素晴らしいお経がたくさんある!」

そうした漠然としたイメージが膨らんでいたことでしょう。

しかもインドへの道はあまりに過酷。死を覚悟の旅です。さらに玄奘が旅に出た時代は中国からの出国も禁じられていました。入出国が極めて困難な時代に玄奘は法を犯してインドへと旅立ちました。

そうした背景を考えると、たとえ淡々とした記述であっても玄奘が一つ一つ未知の世界を切り開いていった過程が何となく感じられてくるようでした。情報そのものの価値が今とは比べられないほど高かったのだなと想像してしまいます。

中国人たる玄奘が法を求めて命を懸けて旅をした。そのひとつひとつの国がここに記されている。

中国や日本の僧侶からすると行きたくても到底行けない憧れの地、見たこともない謎の国が淡々とした記述の中にもしっかり描かれているのです。淡々とした記述だからこそ謎の国への憧れや想像がさらにかき立てられたのではないでしょうか。

「あぁ、私も玄奘三蔵のようにインドを旅してみたい。聖地を巡礼したい」

「玄奘はこう書いているがはたして本当にそうなのだろうか。私も見てみたい」

そう思った僧侶はきっと数知れないのではないのでしょうか。

情報がない時代だからこそ玄奘の偉業はなおさら際立ったのではないか、そんなことを感じながらの読書になりました。

『大唐西域記』自体はかなり淡白で読むのにもなかなか苦戦しましたが、この本を読みながらインドへの旅を想像するのはとても刺激になりました。『玄奘三蔵』とセットでおすすめしたい作品です。

以上、「玄奘『大唐西域記』~『西遊記』のモデルになった玄奘三蔵のインド求法の旅!」でした。

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