(42)ローマ・カトリックを批判したドストエフスキーは美の殿堂・劇場都市ローマに何を思うのだろうか
【ローマ旅行記】(42)ローマ・カトリックを批判したドストエフスキーは美の殿堂・劇場都市ローマに何を思うのだろうか
これまで41回にわたってローマの旅行記を更新してきた。
この旅行記の序文でお伝えしたように、私は「ローマカトリックが嫌いなドストエフスキーではあるが、その本山サンピエトロ大聖堂やローマのベルニーニの舞台芸術に心奪われずにいられるだろうか」という問いを立てローマを巡った。
だがこの旅行記では実際にはほとんどドストエフスキーのドの字も出てこないくらいローマそのものにフォーカスしてお話ししてきた。これまで読んで下さった皆さんの中にはきっとドストエフスキーの存在を忘れていた方もおられるに違いない。
だが、私にとってはこのローマの滞在中、片時もドストエフスキーを忘れたことはなかった。私はこのヨーロッパ滞在中常にドストエフスキーと共にいた。
ではこのローマ滞在においてドストエフスキーは実際にローマをどう思ったのだろうか。
本当のところはドストエフスキーが何も書き残していない以上わからない。だが、そうではあるものの、私は「ドストエフスキーはローマを好きだけども嫌いになったであろう」という結論に至った。
「上田隆弘『劇場都市ローマの美~ドストエフスキーとベルニーニ巡礼』~古代ローマと美の殿堂ローマの魅力を紹介!」の記事でお話ししたように、ドストエフスキーはシェイクスピア的な作家である。つまり、演劇的な手法を好む作家であった。そうであるからこそベルニーニが作り出した劇場都市ローマをドストエフスキーも好きになったかもしれないという仮説を私は立てた。
だが、実際にローマを巡ってみて私はドストフスキーの好みの芸術とは若干距離があるのではないかという思いになった。
それを確かめる上でもまずはドストエフスキーが好んだ建築や絵画、彫刻を見てみることが一つの道筋になるのではないかと思う。
まず、建築としてドストエフスキーが好んでいたのは、ミラノ大聖堂だ。(「(21)ドストエフスキーお気に入りのミラノ大聖堂と夫妻のイタリア滞在の始まり」の記事参照)
ドストエフスキーは建築にしろ絵画にしろ「調和」を好む。ミラノ大聖堂は、まさに調和の極みと言ってもいい。
では、次に絵画も見ていこう。
これらの絵を見てわかるように、ドストエフスキーはラファエロを特に好んだ。この中にミケランジェロやダ・ヴィンチがいないことは気になるところだ。ドストエフスキーは絵画においては激しい色彩やデフォルメされた肉体にはあまり好意を抱かなかったようである。ミラノ大聖堂と同じように、優しい調和的な世界を好んだようだ。
そして彫刻においては、ウィフィツィ美術館のメディチのヴィーナスが言及されていた。
彫刻はベルニーニと比較する際にも非常に大きな意味を持つ。これまで見てきたように、ベルニーニは古代美術から多くのことを学んでいた。だが、この像を好きなドストエフスキーがベルニーニの『聖女テレサの法悦』や『聖ロンギヌス』などの彫刻を好きになるかというとなかなか難しいような気がする。
ベルニーニ彫刻特有の衣の表現や躍動感溢れるドラマチックな構造は、優しい調和を好むドストエフスキーとは方向性が違うように思われる。
ドストエフスキーがいくらシェイクスピア的な演劇的手法を好んだからといってベルニーニその人を好きになるとは限らない。これは実際にドストエフスキーが好んだ作品やローマでベルニーニ作品を見たからこそ改めて感じたことだ。
ベルニーニは彫刻の才能だけではなく演劇的才能を持っていたからことから、その彫刻作品にも劇場的要素を積極的に取り入れた。(「(24)ベルニーニのライモンディ礼拝堂~見事な光のスペクタル!劇作家・演出家としてのベルニーニ」の記事参照)
ベルニーニは彫刻に劇場的メッセージ性をふんだんに盛り込んだ。ベルニーニ彫刻を目にした観客は彼の舞台世界・幻想世界に強制的に取り込まれてしまうのである。
ドストエフスキーも演劇的感性に優れた人物だ。ドストエフスキーもベルニーニが作り上げたローマという都市に感嘆したに違いない。特にサン・ピエトロ大聖堂には圧倒されたはずだ。だがドストエフスキーほどの男ならすぐに気づくはずだ。ベルニーニやバチカンの意図に・・・。
先にも述べたようにドストエフスキーはローマ・カトリックを強く批判していた。ドストエフスキーはロシア正教の立場からカトリックのあり方を批判していく。ここで難しいのはドストエフスキーはロシア正教を信仰していたというものの、どのようなロシア正教を信仰していたかという問題だ。そもそも日本に生きているとキリスト教と言えばローマ・カトリックとプロテスタントのイメージしかないかもしれない。しかしキリスト教世界はそんなに単純な話ではないのだ。この辺りの事情がわからないと、実は『カラマーゾフの兄弟』を読んでも混乱してしまうことになるのである。
日本でも「私は仏教徒です」と言ったとしても宗派によって考え方も作法も全く違うし、日本人の多くは神道ともつながりがあったりクリスマスを祝ったりと複雑だ。ドストエフスキーがどんな信仰を持っていたかというのは非常に重要なポイントである。そのことについて学ぶなら以下の高橋保行著『ギリシャ正教』が入門書として非常におすすめだ。
さて、話は少しそれてしまったが、ドストエフスキーはベルニーニやバチカンの意図を敏感に察知したはずだ。壮大な芸術世界、舞台芸術的な世界は人々を信仰に導く装置である。圧倒的なイリュージョン・陶酔的な世界をベルニーニは作り出した。ドストエフスキーもその惚れ惚れする世界に魅了されたことであろう。しかしその肉体的、感覚的な陶酔でドストエフスキーが終わるはずはない。彼の理性は必ずその奥へ奥へと進んでいく。「この陶酔は作り物だ。カトリックの思うがままになるものか・・・!」そう思ってもおかしくない。
ドストエフスキーのカトリック嫌いは並々ならぬものがある。
現代を生きる私達、特にキリスト教信仰とは距離がある私達はそうした宗教的な対立とは離れていられる。だからこそドストエフスキーのような強い宗教的反感は生まれてこない。そのため純粋にその芸術世界を楽しむことができる。
だが、信仰を背負ったドストエフスキーにとってはこのベルニーニの芸術を認めるか否かは死活問題だったのである。
ん?いやいや、ラファエロだって他の画家だってカトリックの絵ではないのか?
たしかにそうかもしれない。だがラファエロはルネサンス期の画家だ。まだそこまでの宗教的宣伝が行われていない時代の作品だ。ベルニーニのバロック芸術は宗教改革に対抗せねばならぬという明確なメッセージ性があった。宣伝(プロパガンダ)色が強いのがバロックの特徴でもあるのである。(このことについては「(32)イエズス会総本山ジェズ教会と創始者イグナティウス・デ・ロヨラの『霊操』の瞑想法を彫刻に取り入れたベルニーニ」の記事参照)
こういうことからドストエフスキーはベルニーニのローマに最初は好意を持つがやがて嫌悪に変わるであろうという結論に私は至ったのである。
だが、これはあくまで私の想像にすぎないし、個々の作品ごとに見ていけばドストエフスキーも好んだのではないかと思われるものもたくさんある。
例えばベルニーニの傑作建築サンタンドレア・アル・クイリナーレ聖堂はまさに調和の極みだ。
「ベルニーニのパンテオン」と言うべきこの素晴らしい建築を見ていたなら、ドストエフスキーもきっと気に入るに違いないと思う。
彫刻もベルニーニ初期の『アポロとダフネ』あたりはドストエフスキーもきっとお気に召すだろう。この頃の彫刻は古代ローマの神話をモチーフとしているためカトリック色も少なく、彫刻表現も調和そのものだ。
私はこの4年間、ドストエフスキーのことを考え続けた。その集大成として私は2022年にヨーロッパを旅した。その旅の記録を記したのが『秋に記す夏の印象 パリ・ジョージアの旅』と『ドストエフスキーの旅』、そしてこの『劇場都市ローマの美~ドストエフスキーとベルニーニ巡礼』だ。ようやくこの記事をもって私の旅は終わる。ここから私は一直線に仏教へと突き進んでいく。
インドの歴史から仏教の始まり、そこから日本仏教へと進んで親鸞へ・・・。
私は4年前から浄土真宗の開祖親鸞聖人の伝記小説を構想してきた。この4年間の「親鸞とドストエフスキー」の学びはそのための準備として必要なものだったのである。いよいよここから私は仏教に進んでいく。あまりに遠回りをしてしまったかもしれないがこれが仏教を見る新しい視点をもたらすものと信じている。
完
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