(36)ベルニーニ作『スカラ・レジア』~サン・ピエトロ大聖堂横にある魔法の階段。ベルニーニのイリュージョンが躍動!

『ローマ旅行記』~劇場都市ローマの魅力とベルニーニ巡礼

【ローマ旅行記】(36)ベルニーニ作『スカラ・レジア』~サン・ピエトロ大聖堂横にある魔法の階段。ベルニーニのイリュージョンが躍動!

前回の記事「(35)サンピエトロ広場の柱廊は未完成!?知れば見え方が変わるベルニーニの本来の設計案とその意図とは」で紹介したサン・ピエトロ広場と並行してベルニーニはある重要な仕事を任されていた。それが今回ご紹介する『スカラ・レジア』という階段だ。

『スカラ・レジア』 Wikipediaより

では、この作品についての解説を見ていくことにしよう。

この広場の整備と関連して、べルニーニは広場右手のパラッツォ・アポストリコとサン・ピエトロを結ぶ階段の改装をも手がけている。この階段は教皇の住居アパルタメンティと教会を結ぶ唯一の通路だったので、「正面階段スカラ・レージア」(直訳すると王の階段)と呼ばれた(この階段はベルニーニが作った北側の通廊コロドーレにつながっており、そこを通って柱廊にも出られるようになっている。ミケランジェロがデザインしたとされる衣装をつけた名物のスイス衛兵が見られるのは、この北側の通廊の人口である)。

けれども階段は狭くて暗く、高齢の教皇には生命の危険さえあった。そこでアレクサンデル七世は一六六三年に、この階段を安全でかつ立派なものに改修するようべルニーニに命じたのである。この正面階段スカラ・レージアの工事について伝記作者は、おそらくベルニーニ自身の言葉を伝えて、最もむずかしい工事だったと記している。ベルニーニに与えられた条件と課題は確かに困難だった。

階段はシスティナ礼拝堂とパラッツォの外壁に挟まれていた。両者の壁が平行ではなく、壁と壁との間隔が階下では四・八メートルあるのに対し、階上では三・四メートルしかなかったからである。この狭くかつ不規則な空間に、その名にふさわしい階段を築くことがべルニーニに課された課題であった。

「人がどのようなことができるかを知りたかったら、その人を難局に立たせなければならない」と語り、悪条件を克服して美しい作品を作り出すことに喜びを感じていた彼は、ここでもすばらしい解決策を見出している。つまり彼は、階段の両脇に円柱を立て、天井は下から上まで筒形に貫く丸天井ヴォールトで構成し、下の方は円柱を壁から離し、上にのぼるに従って壁に少しずつ付けてゆき、同時に丸天井の高さも少しずつ低くする、という方法で課題を解決したのである。

この解決策は二つの発想から成り立っている。一つは、上に行くに従って幅が狭くなる空間は遠近法的錯覚を生むから、むしろそれを階段が実際よりも立派に見えるように利用しようという発想である。こうしたイリュージョンの発想は、パルラーディオの名高いテアトロ・オリンピコの舞台背景やブラマンテのサン・サティーロ(ミラノ)の聖歌隊席コーロにすでに見られ、またべルニーニより少し前に、ボㇽロミーニもパラッツォ・スパーダの庭に急激な虚偽のパースペクティヴを用いた小さな柱廊コロンナートを作っている(ただし最近の研究によれば、このプランはもともとボㇽロミーニに発するものではないという)。これらはいずれも、実際は、ごく浅いものだが遠くまであるように見える、という遠近法的錯覚を生むように作られている。べルニーニもこのアイディアを用いたのである。

しかしながら彼の正面階段スカラ・レージアには、この効果が余りに急激にならないよう抑制する、という第三の発想が認められる。この発想は、円柱を下方は壁から離し、上方は壁につけている点に現われている。つまり円柱の列が生む遠近法的錯覚は、実際の壁が生むそれよりも抑制されているのである。こうした工夫をしたのは、壁の間隔の減少に合わせると上部の天井をあまりに低くしなければならず、実用上具合が悪かったためであろう。またそれとともに、この工夫によって狭い階段が広く見えることも事実である。さらに、この円柱と天井が作り出すアーチは階段を凱旋門のように見せる効果があり、それによって階段の意義と美しさは一層高められているといえるだろう。まったくもってベルニーニの解決策は卓抜という他ない。べルニーニ自身もそれに満足していたと見え、自分が手がけた中でも最も大胆な仕事だ、とシャントルーに誇らし気に語っている。なお、彼はここでイリュージョンを用いているが、それが他の美術家の場合のように遊戯的性格のものではなく、与えられた困難な条件を克服する手段だったことを忘れてはならないだろう。
※一部改行した

吉川弘文館、石鍋真澄『ベルニーニ バロック芸術の巨星』P157-159
『スカラ・レジア』の平面図と立体図 Wikipediaより

『スカラ・レジア』は単なる階段ではない。上の平面図を見て頂ければわかるように、上に行くごとに幅が狭くなっている。そして解説にあったように、柱の位置や高さを調整することで遠近法的イリュージョンを実現しているのだ。

では、私もこの『スカラ・レジア』を実際に見ていくことにしよう。

こちらはサンピエトロ大聖堂の入り口。写真左側の大きな扉を通ればそこは大聖堂内部。『スカラ・レジア』はこの入り口の右手側、この写真で言えば正面奥にある。

この扉の向こうにあるのが『スカラ・レジア』だ。そして扉の向こうに見える像もベルニーニによる作品。この像もこの後じっくり見ていきたい。

そして、この写真を見て気づかれた方もおられるかもしれない。

そう、この扉の前にはフェンスがあって一般参拝者は立ち入り禁止になっているのである。

だが私は11月30日に特別にバチカン市国内の見学をすることができた。私はその日関係者以外立ち入り禁止のエリアを案内してもらったのである。このことについては「(13)関係者以外立入禁止のバチカン市国内部を特別に見学!サン・ピエトロ大聖堂の貴重な裏側も!」の記事で詳しくお話ししたのでそちらをご参照頂きたい。

というわけで私はフェンスの先の『スカラ・レジア』に特別に入場することになったのである。

扉を出てすぐに出迎えてくれるのがこちらのベルニーニ作『コンスタンティヌス帝の騎馬像』だ。

石鍋真澄はこの像について「この騎馬像は聖女テレサなどと同じく壁につけられているため、丸彫とも浮彫とも判じ難い。この工夫によって、かつてレオナルド・ダ・ヴィンチをあれほど悩ませた後ろ脚で立つ騎馬像という課題が、難なく解決されている点は注目に値しよう。(P160)」という興味深い解説を述べている。

たしかに、圧倒的に質量がある騎馬像を後ろ脚で立たせるとなるとその重心をどう作っていくのかという大問題が生じる。よくよく考えてみるとそもそも彫刻がそのバランスで折れずに形を保っているなんて奇跡に他ならない。

だがベルニーニは後ろの壁にくっつけて彫刻を作ったことでその困難を難なく克服してしまった。さすがとしか言いようがない。悪条件を工夫で克服するベルニーニの真骨頂である。

これが『スカラ・レジア』だ。たしかに階段の上が遥か彼方のように見える。まるで神殿のよう。あの向こう側に何か高貴で偉大なものがあると感じてしまうような独特の雰囲気がある。演劇的効果を演出するのに長けたベルニーニの得意技だ。ここを歩く教皇はまさに世界の長たる存在に昇華する。

壁沿いから柱の列を覗いてみると、たしかに先に行くにつれ廊下が狭まっているのがわかる。狭くて不規則な空間という悪条件を逆に活用してベルニーニはこの見事な階段を作り上げたのだ。まさに天才。

階段を下り出口へ向かう。この右手側にはサン・ピエトロ広場の柱廊がある。

振り返れば先程下ってきた『スカラ・レジア』がぼんやりと見える。小さなライトの光と薄暗いシルエットが幻想的。遠くから見た姿もおそらくベルニーニはしっかり計算ずくなのだろう。見事としか言いようがない。

上の解説でも出てきたスイス衛兵のいる出入り口。

ちなみに外からはこのようにしか見えない。『スカラ・レジア』は一般には見ることのできない場所だ。私は幸運にもここを見学することができた。ご縁を繋いでくれたジミーツアーさんには心の底から感謝したい。

『スカラ・レジア』。ベルニーニ晩年の素晴らしいアイディアを堪能できる素晴らしい場所であった。

続く

※以下の写真は私のベルニーニメモです。参考にして頂ければ幸いです。

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