MENU

(16)レーニンの死と今なお生き続ける神殿としてのレーニン廟

目次

ヴィクター・セベスチェン『レーニン 権力と愛』を読む(16)

引き続きヴィクター・セベスチェン著『レーニン 権力と愛』の中から印象に残った箇所を紹介していきます。

レーニンの晩年ーレーニン最大の誤りとは

1922年頃よりレーニンの体調が著しく悪化していきます。もはや表立って政治の舞台に出てくることすら困難なほどでした。

絶対的な指導者の死が目前に迫ってきた党内部では後継者が誰になるのかというのが緊急の問題になります。この後継者を選ぶという大きな仕事がレーニンに託されていたのですが、体調が悪化したレーニンはそれを万全にこなすことができなかったのでした。

レーニンの最大の誤りの一つは、後継者選びの規定を定めていなかったことだ。多くの有力で強力な指導者と同じく、自分の後を継ぐ能力のある人間をだれも思いつかなかったのだ。レーニンが自分の死後のソヴィエトの指導をどう考えていたのか、正確なところはだれにも分からない。はるかに手遅れになるまで、そのことを真剣に考えていなかったことはあきらかだ。ある種の集団指導を望んでいたことは考えられるが、後継者が登場する手順は定めていなかったのである。

白水社、ヴィクター・セベスチェン、三浦元博、横山司訳『レーニン 権力と愛』下巻323

レーニンの遺言

レーニンは寝たきりになり、政治から孤立させられてしまうと、一九ニニ年一二月二二日~二三年一月四日の間、多くは公設秘書の一人マリヤ・ヴォロディチェワに遺言を口述した。(中略)

最初の部分は一二月二四日に口述された。「同志スターリンは、書記長となって絶大な権力を手に集めており、わたしは彼がその権力を十分注意して行使する術を知っているかどうか確信がもてない。他方、同志トロツキーは……その非凡な能力ばかりかー個人としては、彼はおそらく現在の〔党〕中央委員会でもっとも有能な人物であるー、過剰な自信と彼の仕事の純粋に行政的な側面に対する過剰な熱意においても、際立っている。二人の優れた指導者のこうした資質は、まったくふとしたことで分裂につながり、もしわが党がそれを防ぐ手立てを取らないなら、思いがけなく分裂が生じる可能性がある」

白水社、ヴィクター・セベスチェン、三浦元博、横山司訳『レーニン 権力と愛』下巻P324-325

レーニンの後継者の候補は当時書記長にまでなっていたスターリンと、党中央委員で最も優秀なトロツキーの2人が有力でした。しかしこの二人を野放しにすると党が思いがけない分裂につながりかねないとレーニンは危惧していたのです。

次いで一月四日、彼はフォテイエワを呼び、「遺言」に爆発性を秘めた追記を加える。「スターリンは粗暴すぎ、この欠陥はわれわれの内輪と、われわれ共産党員の間の関係においては完全に許されるけれども、書記長としては許されない。スターリンをそのポストから外し、代わりにただ一つの優位点、すなわちより寛大で、より忠実で、より礼儀正しく、他の同志に対してもっと思いやりがあり、それほど気まぐれではないという優位点をもっていることによって、スターリンとすべての点で異なる別の人物を任命する方法について、同志諸君が考えるようわたしが提案する理由は、それである」

レーニンとスターリンの最後の口論は個人的なものであり、政治的なものではなかった。レーニンは死ぬ間際になって突然、スターリンの本性を見抜いたわけではない。かねて知っていたが、「あのすばらしい」グルジア人の冷酷な不道徳性をそれほど気にしてこなかったのである。レーニンがこの怪物を生み出したのであり、いまスターリンにソヴィエト指導者になる大きな可能性を残しつつあるのは、彼の最大の罪であった。

白水社、ヴィクター・セベスチェン、三浦元博、横山司訳『レーニン 権力と愛』下巻P325

レーニンは遺言において「スターリンは後継者にはふさわしくない」と記しました。しかし、結果的にはこの遺言はスターリンの巧みな策略によって問題にされず、スターリンがレーニンの後継者としてソ連を指導していくことになりました。

そしてレーニンは1924年1月21日、53歳でその生涯を終えました。

レーニンの遺体をめぐる論議

レーニンはぺトログラードのヴォルコヴォ墓地で、母と妹オリガの隣に埋葬されることを望んでいた。ナージャら家族は、国葬が終わればすぐに内輪の葬儀を行って、そうなるものと考えていた。墓には普通の質素な墓石を置きたかった。

だが、クレムリンの舞台裏で、レーニンの遺体をめぐる論議が始まる。レーニンの遺体を保存し、聖人の遺体のように展示するという、その異様な計画を最初に提案したのがだれなのかははっきりしていない。重鎮の何人かがのちに、それは自分だと言っているが、スターリンとジェルジンスキーがーナージャやレーニンの妹たち、弟ドミトリーの希望に逆らってーこの計画を強引に推し進めた。

白水社、ヴィクター・セベスチェン、三浦元博、横山司訳『レーニン 権力と愛』下巻P337

レーニン自身はまさか死後、自分の遺体が防腐処置をされ半永久的に保存され崇拝されることになるなど想像もしていなかったかもしれません。レーニンの家族も死後は墓に埋葬されることを望んでいました。

しかしソ連の指導力を高めるためには彼の遺体は非常に重要な意味を持っていました。そこに目を付けた人物達が家族の反対を押し切り、レーニンをまさしく不滅の神へと押し上げていくのです。

レーニンの防腐処置とレーニン崇拝

最初はレーニンの死の翌日に検死を行った病理学者、アレクセイ・アブリコソフ博士が遺体を葬儀まで六日間保存するために、防腐処置を施した。ところが、スターリンが共同委員長を務める葬儀委員会は一月二四日、この病理学者に四〇日間の防腐処置を命じた。これはロシア正教ではそれほど奇異な望みではない。ロシア正教では、しばしば遺体のそばで四〇日間にわたって祈りが唱えられる習わしがある。最初、ナージャはそれをきっぱり断ったが、もし同意してくれるなら、一カ月後にその計画について再び議論できるとジノヴィエフに言われ、態度を軟化させた。

だがこの時すでに、重鎮たちは、できれば赤の広場の廟に保存する形で「無期限に……できれば永久に」遺体を置いておこうと決めていた。

マルクス主義に転向する前、短期間カトリック僧職の教育を受けたことがあるジェルジンスキーは、こう言った。「科学が人体を長期間保存できるのなら、ぜひそうしよう。皇帝は皇帝という理由だけで、遺体に保存処置を施された。われわれはレーニンがほかのだれとも違って、偉大な人物だからそうするのだ」。

かつて正教の神学校生だったスターリンは、ある閣僚会合で「われわれはレーニンが生きていることを示さなければならない」と語った。

カーメネフやブハーリンら、多くの古参同志は仰天した。おそらく晩年のレーニンにもっとも近かったウラジーミル・ポンチ=ブルエヴィッチは、レーニン本人もこの考えを知ったら衝撃を受けただろうと思うと言った。

トロツキーは、レーニンの遺体の防腐処置は中世の宗教祭儀のようだと言った。「かつてはラドネジのセルギウスやサロフのセラフィムの聖遺物があった。今度はこれをウラジーミル・イリイッチの遺物に置き換えたいわけか」と。

だが、決定は下された。ボリシェヴィキはレーニン崇拝の神殿を必要としていた。そして、クレムリンの脇に、防腐処置を施され、腐敗を免れて眠る遺体がその巡礼地になるのであった。(中略)

レーニンの葬儀から五週間後の一九二四年二月二六日、ソヴィエト・ロシアを預かるマルクス主義無神論者たちは、皮肉のつもりはまったくなく、仰々しく命名された「不滅化委員会」を発足させたのである。
※一部改行しました

白水社、ヴィクター・セベスチェン、三浦元博、横山司訳『レーニン 権力と愛』下巻P337-339

レーニン廟 Wikipediaより

レーニンの遺体を保存し「永久に」祀ることはまさしく宗教的な響きがします。無神論を標榜するソ連においてこれは何とも逆説的な崇拝でした。

レーニン廟と今なお生き続けるレーニン

クレムリンの重鎮たちにとって、防腐処置された遺体と異常なレーニン崇拝は、宗教と政治の儀式の奇怪な融合を超えたさまざまなメッセージを送った。レーニンは歓呼の下に現世の聖人であると宣言され、彼を崇拝することは人民の義務になった。

だが、赤の広場の地下聖堂は単に神殿であるだけではない。それは、ロシア人がレーニンの死後もなお、彼から解放されていないことを示す物理的な暗示だったのだ。ロシア人はなおも彼の戒律に従うことを要求されることになるー厳粛に任命された後継者を通じて。

木造の廟は一九三〇年に大理石と花崗岩の建物に取り換えられ、レー二ンの革命から一〇〇年後の今も残っている。ソ連の祝祭日に、後の世代のコミュニスト指導者ツァーリが大衆に演説する演壇を付設するアイデアを考案したのは、彼の旧友のレオニード・クラーシンである。地下聖堂が旅行者に公開されたあと、八〇年間に、推定二〇〇〇万人が廟を訪れ、防腐処置を施された不気味に蝋のようなレーニンを眺めた。

レーニンの後を襲ったソ連の族長たちは、レーニンの業績が自分たちの統治を正当化すると信じていた。一世紀ののち、レーニンは新種の専制支配者たちに利用された。彼らには共産主義は余計かもしれないが、それでも彼らは、レーニンをロシアの伝統に沿った実力者として崇める極端なナショナリストなのである。
※適宜改行しました

白水社、ヴィクター・セベスチェン、三浦元博、横山司訳『レーニン 権力と愛』下巻P344-345

レーニンは死してなおもロシアに生き続けています。レーニン廟の存在は私たちが想像するよりはるかに深いところでロシアと繋がっています。これは宗教を学ぶ上で、いや、人間そのものを学ぶ上でも非常に重要な問題です。

終わりに~『レーニン 権力と愛』を読んで

16回にわたって読んできた『レーニン 権力と愛』でしたがいかがでしたでしょうか。きっと驚くような発見がいくつもあったと思います。

私自身、この本を読んでぎょっとすることばかりで、思わず声を出してしまうくらい夢中になって一気に読んでしまいました。こんなに刺激的な本はなかなかありません。

そして何より、レーニンは名前は知ってはいても日本においてはかなりマイナーな存在です。私もソ連史を学ぶまでほとんど彼のことを知りませんでした。

しかしこの本を読んで、レーニンを学ぶことは現代を学ぶことに直結することを痛感しました。

あわせて読みたい
(1)なぜ今レーニンを学ぶべきなのか~ソ連の巨大な歴史のうねりから私たちは何を学ぶのか ソ連の崩壊により資本主義が勝利し、資本主義こそが正解であるように思えましたが、その資本主義にもひずみが目立ち始めてきました。経済だけでなく政治的にも混乱し、この状況はかつてレーニンが革命を起こそうとしていた時代に通ずるものがあると著者は述べます。だからこそ今レーニンを学ぶ意義があるのです。 血塗られた歴史を繰り返さないためにも。

レーニンの政治手法は現代にも通じます。この本ではそんなレーニンの恐るべき政治的手腕を見てきました。彼のような政治家による恐怖政治から身を守るためにも、私たちも学んでいかなければなりません。

レーニンは世界史上の人間で特殊な人間だから私たちとは関係のない問題だと思ってしまうかもしれません。しかし人間の本質とは何かを考えていく上でレーニンという存在は非常に重大な問題を提起しているように私には思えました。「レーニン的なもの」は世界中どこでも起こりうることです。そのことは忘れずにいたいなと思います。

以上、「レーニンの死と今なお生き続ける神殿としてのレーニン廟『レーニン 権力と愛』を読む(16)」でした。

Amazon商品ページはこちら↓

レーニン 権力と愛(上)

レーニン 権力と愛(上)

次の記事はこちら

あわせて読みたい
ロバート・サーヴィス『レーニン』あらすじと感想~世界的に評価されたレーニン伝の傑作 読み物として驚くほど面白かったヴィクター・セヴェスチェンの『レーニン 権力と愛』とはまた少し違った視点から語られるレーニンをこの本では知ることとなりました。 やはり同じ人物について違う伝記を読むと言うのはとても参考になります。 レーニン伝の決定版としてこの本は世界中で評価されています。

前の記事はこちら

あわせて読みたい
(15)レーニンとロシア正教会~ソ連政府の教会弾圧の過酷な実態とは 「農民の不満が最大限に高まり飢餓に苦しむ今、教会を守ろうとする人間もいないはず。」 レーニンは教会を潰すには今しかないというタイミングまで待ち、ついに行動に移るのでした。 これは権力掌握のために徹底した戦略を立てるレーニンらしい政策でありました。 これによってロシア正教会は徹底的に弾圧され、ソ連政権時の長きにわたって過酷な運命を辿ることになったのでした。 レーニンがいかにして教会を弾圧したかをこの記事では見ていきます。

「レーニン伝を読む」記事一覧はこちらです。全部で16記事あります

あわせて読みたい
ソ連の革命家レーニンの生涯と思想背景とは~「『レーニン 権力と愛』を読む」記事一覧 この本を読んで、レーニンを学ぶことは現代を学ぶことに直結することを痛感しました。 レーニンの政治手法は現代にも通じます。この本ではそんなレーニンの恐るべき政治的手腕を見てきました。彼のような政治家による恐怖政治から身を守るためにも、私たちも学んでいかなければなりません。

関連記事

あわせて読みたい
マルクス主義者ではない私がなぜマルクスを学ぶのか~宗教的現象としてのマルクスを考える マルクスは宗教を批判しました。 宗教を批判するマルクスの言葉に1人の宗教者として私は何と答えるのか。 これは私にとって大きな課題です。 私はマルクス主義者ではありません。 ですが、 世界中の人をこれだけ動かす魔力がマルクスにはあった。それは事実だと思います。 ではその魔力の源泉は何なのか。 なぜマルクス思想はこんなにも多くの人を惹きつけたのか。 そもそもマルクスとは何者なのか、どんな時代背景の下彼は生きていたのか。 そうしたことを学ぶことは宗教をもっと知ること、いや、人間そのものを知る大きな手掛かりになると私は思います。
あわせて読みたい
(69)レーニン・スターリンのマルクス主義について考える~マルクス・エンゲルスは有罪か? さあ、いよいよ本書の総まとめに入ります。 著者は本書の冒頭で、近年世界中でマルクスの再評価が進んでいる一方、ソ連や中国などの共産国での恐怖政治の責任がエンゲルスに押し付けられているという風潮を指摘していました。 そうした風潮に対し、「エンゲルスは本当に有罪なのか?」ということを検証するべくこの本ではマルクス・エンゲルスの生涯や思想背景を追ってきたのでありました。 この記事ではそんなマルクス・エンゲルスに対する私の思いもお話ししていきます。
あわせて読みたい
(62)葬儀でのエンゲルスの演説とマルクスの神格化のはじまり 後に数え切れないほどの人たちに影響を与えることになった大人物マルクスの葬儀に参列したのはたったの11人・・・ これには私も驚きました。 ですが逆に言えば、ほとんど世に知られていない、あるいは評価されていなかったマルクスがここからいかにして世界中に旋風を巻き起こしていったのかというのは気になるところでありますよね。 となると、ここからあの男がいよいよ存在感を増してくることになります。 エンゲルスの働きがここからいよいよ大きなものとなっていくのでした。
あわせて読みたい
高橋保行『迫害下のロシア教会―無神論国家における正教の70年』あらすじと感想~ソ連時代のキリスト教は... ソ連が崩壊した今だからこそ知ることができるソ連とロシア正教の関わり。 そのことを学べるこの本は非常に貴重な一冊です。 ドストエフスキーを知る上でもこの本は非常に大きな意味がある作品だと思います。
あわせて読みたい
神野正史『世界史劇場 ロシア革命の激震』あらすじと感想~ロシア革命とは何かを知るのにおすすめの入門... 神野氏の本はいつもながら本当にわかりやすく、そして何よりも、面白いです。点と点がつながる感覚といいますか、歴史の流れが本当にわかりやすいです。 ロシア革命を学ぶことは後の社会主義国家のことや冷戦時の世界を知る上でも非常に重要なものになります。 著者の神野氏は社会主義に対してかなり辛口な表現をしていますが、なぜ神野氏がそう述べるのかというのもこの本ではとてもわかりやすく書かれています。 この本はロシア革命を学ぶ入門書として最適です。複雑な革命の経緯がとてもわかりやすく解説されます。
あわせて読みたい
メリグーノフ『ソヴィエト=ロシアにおける赤色テロル(1918~1923)』あらすじと感想~レーニン時代の... ソ連時代に一体何が起きていたのか、それを知るために私はこの本を読んだのですが、想像をはるかに超えた悲惨さでした。人間はここまで残酷に、暴力的になれるのかとおののくばかりでした。 私は2019年にアウシュヴィッツを訪れました。その時も人間の残虐さをまざまざと感じました。ですがそれに匹敵する規模の虐殺がレーニン・スターリン時代には行われていたということを改めて知ることになりました。
あわせて読みたい
高本茂『忘れられた革命―1917年』あらすじと感想~ロシア革命とは何だったのか。著者の苦悩が綴られ... この本の特徴は、かつて著者自身がロシア革命の理念に感銘を受け、マルクス思想に傾倒したものの、やがて時を経るにつれてソ連の実態がわかり、今ではそれに対して苦悩の念を抱いているという立場で書かれている点です。 最初からマルクス主義に対して批判をしていたのではなく、長い間それに傾倒していたからこそ語れる苦悩がこの本からは漂ってきます。
あわせて読みたい
梶川伸一『幻想の革命 十月革命からネップへ』あらすじと感想~飢餓で始まり、幻想で突き進んだ革命の実像 ソ連の描く素晴らしい未来とネップ政策が結び付けられがちですが、著者の梶川氏は当時の資料を基に、ネップがそもそも飢餓と結びついたものでありとても理想的な政策とは呼べるものではないということを述べていきます。 ソ連首脳部が描いた幻想が膨大な餓死者を招いたという恐るべき事実をこの本では知ることになります。
あわせて読みたい
キャサリン・メリデール『クレムリン 赤い城壁の歴史』あらすじと感想~イデオロギーとしての「モスク... 歴史を知ることは現在を知ることである。 その歴史がどう編纂され、どのような意図を持っているのか。 この本はクレムリンの歴史を学んでいく本ではありますが、実は現在のロシア、いやそれだけにとどまらず世界中の人間の「現在」を解き明かしていく作品となっています。これは非常に興味深いです。 この本を読むことでクレムリンを通したロシアの歴史、精神を学ぶことができます。非常にスリリングで面白い本でした。かなりおすすめです!
あわせて読みたい
モンテフィオーリ『スターリン 赤い皇帝と廷臣たち』あらすじと感想~ソ連の独裁者スターリンとは何者だ... この作品の特徴は何と言っても人間スターリンの実像にこれでもかと迫ろうとする姿勢にあります。スターリンだけでなく彼の家族、周囲の廷臣に至るまで細かく描写されます。 スターリンとは何者だったのか、彼は何を考え、何をしようとしていたのか。そして彼がどのような方法で独裁者へと上り詰めたのかということが語られます。
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

コメント

コメントする

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

目次