⒅ブッダの教えの何が革新的だったのか~当時のインドの宗教事情と照らし合わせてざっくり解説

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ブッダの教えの何が革新的だったのか~当時のインドの宗教事情と照らし合わせてざっくり解説

前回の記事「⒄ブッダの強力なライバル「六師外道」とは~バラモン教を否定し新たな思想を提唱したインドの自由思想家たちの存在」まででインドの宗教事情とブッダのライバルたる六師外道についてお話ししました。

今回の記事ではいよいよそれらインドの宗教事情と照らし合わせて、ブッダの教えの何が革新的だったのかをお話ししていきます。

「⑼四聖諦~仏教の根本たる四つの真理とは。苦しみを滅し救いへと至る道を説くブッダ」の記事でもお話ししましたが、ブッダはサールナートでの初転法輪で初めてその教えを説きました。そしてその教えを聞いた5人の仲間たちは一瞬で悟りを開くことになります。現代人たる私達からするとここで説かれた「四聖諦」の教えはあまりにシンプルで、これで本当に悟れるのかと疑問に思ってしまうほどですが、彼らにとってはそれは実に驚くべき革新的な教えだったのです。

ブッダの教えのどこが従来の思想と異なるのか、そして5人の仲間たちの目を開かせたのはどんな教えだったのかということをここで改めて見ていきたいと思います。今回の記事でも仏教入門ということで、学術的に込み入った話には立ち入りません。ですが重要なポイントはぜひ押さえていきたいと考えています。

では、早速始めていきましょう。

①バラモン教の祭式至上主義への批判と自業自得論

バラモン教

「⑽仏教が生まれたインドの時代背景~古代インドの宗教バラモン教の歴史と世界観とは。カースト制についても一言」の記事でもお話ししましたが、バラモン教はアーリア人を中心とした宗教になります。

そしてその教えはの中心はバラモンが神々に祈りを捧げることにあります。この祭式によって神々の恩寵を受け、現世や来世への救いを求めることになります。そして一般信者はバラモン教の掟に基づいた生活規範を守ることを重視していました。それが道徳的に善い行いであり、良き来世へと繋がっていくのです。

こうしたバラモン教の基本的な考え方に対してまずブッダは批判を加えます。

「人間の輪廻転生は神々の決めることではない。私達は私達自身の行為によって善悪の報いを受ける。善いことをした者は良い報いを得、悪いことをしたら悪い報いを受ける。」

つまり、ブッダは人間の輪廻転生は自分の行為の結果どこに行くかが決まると言います。いわゆる「自業自得」です。自らの行為(業)の結果は自分で引き受けなければならない。いかに神に祈ろうがそれは救いとは関係のないことであると述べるのです。

当時のインドではバラモンの祭式こそ「生死の問題」の最重要課題でした。ここをおろそかにしてしまうと恐ろしい来世が待っている。いや、今すぐ悪いことが起こるかもしれないと考えていた時代です。

しかしブッダは「それは違う。バラモンの祭式によって人生の問題が解決されるわけではない」と主張したのでした。

なるほど、これは革新的です。

そしてここで注目したいのですが前回の記事でお話ししましたように、六師外道のプーラナやパクダが述べた「無道徳論」とはブッダの主張が根本的に異なるという点です。彼らもこうしたバラモン教の祭式至上主義に反対して「善悪という道徳など存在しない。殺人をしようが善行をしようが人間の来世に関係ない」という説を打ち出しましたが、ブッダはあくまで道徳を重要視しました。善いことを勧め、悪いことを戒めることは心穏やかな人生に不可欠であることをブッダは示したのです。

②バラモン教のカースト制への批判

ムンバイのドービー・ガート(洗濯カーストの仕事場。現代でもカースト問題は続いています)

そして仏教においてよく語られるのがカースト制への批判です。

バラモン教ではアーリア人を支配階級としたピラミッド型の階級制度がありました。それがカースト制です。このカーストはバラモン(宗教家)を頂点に、クシャトリア(王侯貴族、武将)、ヴァイシャ(一般庶民)、シュードラ(隷属民)の4つの階級と厳しい差別を受けたアウトカースト(不可触民)で構成されています。

「人は生まれつきカーストが決まっており、異なるカーストや仕事に就くことはできない。全ては前世の行いによって決定されている。各々が自分のカーストに忠実に生きれば、それは人生を全うしたことになり、来世で良いところに転生できるであろう。」というのがカーストの人生観です。

ただ、ブッダがいた東インド地域ではこのカースト制が崩れてかけており、固定化したカーストに対する不満が募っていました。

このような社会情勢の中ブッダはある有名な言葉を投げかけます。それがこちらです。

生れによって賤しい人となるのではない。生れによってバラモンとなるのではない。行為によって賤しい人ともなり、行為によってバラモンとなる。

岩波書店、中村元訳『ブッダのことば』第一、蛇の章、七.賤しい人 p35

いかがでしょうか。こうして見るとブッダの革新性が見えてきますよね。それぞれのカーストは生まれによって決まるのではない、ひとりひとりの「行為」で決まるのだとブッダはきっぱりと言い切ります。

先程の祭式至上主義への批判でもそうでしたが、ここでもブッダは自身の「行為」を強調します。これはバラモン教への批判だけでなく、六師外道のゴーサーラの決定論(宿命論)への反論にもなります。

人間は生まれによって人生が決まるのではない。人間は「行為」によって変わることができるのだとブッダは主張します。これは東インドに住む多くの人の心に響いたことでしょう。特に自らの知恵才覚でのし上がった新興商人や知識人たちにとってはまさに福音だったと思われます。まさにこの教えは彼らの存在意義を十分肯定するものだったと思われます。彼らはこれまで「ただバラモンやクシャトリアではない」というだけで、下に見られ続けてきました。ですが彼らは階級によらず自らの行為によって自身の人生を切り開けることをブッダから学んだのでした。

ただ、この教えには注意点があります。それは「ブッダがカースト制を全否定したわけではない」ということです。ブッダはあくまでインド世界の文脈に生きていました。そんな中「全ての人は平等であり、カーストを全て撤廃すべきである」と言ったわけではありません。さすがのブッダもそこまで過激なことは言いません。ブッダが言う平等はあくまで宗教的な意味での階級を超えた平等であり、社会的にはそうした制度を完全に無視することはできませんでした。ブッダは社会を変革する平等主義者でも革命家でもないのです。

(そもそも当時は現代のような平等主義や革命家の概念すらありません。これはあくまで近代人たる私たちがブッダにそうであってほしいという願望を通して見たものです。詳しくは『新アジア仏教史01インドⅠ 仏教出現の背景』やF・C・アーモンド著『英国の仏教発見』参照)

いずれにせよ、カースト制に対する厳しい批判を加えたという点でもブッダの革新性を見ることができます。

③バラモン教のアートマン(我)の否定

輪廻転生の聖地バラナシのガンジス河にて

「⑽仏教が生まれたインドの時代背景~古代インドの宗教バラモン教の歴史と世界観とは。カースト制についても一言」の記事の中ほどでお話ししましたように、バラモン教ではブラフマン(世界の真理)とアートマン(我)という二つの対立原理を重視します。このアートマンはざっくり言うと私達一人一人の固有の霊魂という意味で、このアートマンが輪廻転生を繰り返しているとバラモン教では考えます。

ですがブッダはこのアートマンも否定してしまいます。

ブッダは「アートマンという不変の霊魂は存在しない。全てのものは縁起によって生じ、縁起によって滅する。だからアートマンも移ろいゆく存在だ」と説きます。

これだけだと何やらわかりにくいですが、ここでブッダの根本思想たる「縁起の法」が顔を出してきます。

「縁起の法」はあらゆるものは無数の因縁によって生じているという考え方です。たとえばここに1個のパンがあるとします。このパンは何によってできているでしょうか。小麦や水、バターに卵・・・、原材料だけでも様々ですがここにパンとして存在するには誰かの手がなければなりません。さらに調理という過程を考えてみると、火を焚いたり物をそろえたり・・・、あぁ、そうすると火を焚くための燃料は?調理場の施設は?いや、それを調理する人がそもそもこの世に生まれてこなければパンも作れないだろう。いや、待て、パンを発明した人もそうか!あぁ、それなら人類そのものがいないとダメか!ああ!もう止まらない!

というわけでパンひとつが目の前にあるというだけで恐ろしいほどの因縁が積み重なっていることがわかります。

というわけで仏教では何かが存在するということは無数の因縁の複雑な組み合わせであると考えます。

そしてそれらの組み合わせは絶え間なく移ろいゆき、変化してゆくと説きます。つまり「諸行無常」です。

「すべてのものは移ろいゆく。いかに変わらないように見えても、常に同じ状態で留まり続けるものはありえない。そしてそれはアートマンも同じである。アートマンも変わらぬ固有の存在ではありえない」

というのがブッダの主張になります。

アートマンが不変のものではないという主張がなぜ革新的なのかについてはかなりややこしい問題が生ずるのでここではお話ししません。ですがバラモン教の輪廻転生の根幹たるアートマンに対して批判を加えたというのは重要なポイントですのでそのことは頭に入れて頂けたらと思います。

④サンジャヤの懐疑論を超えるブッダの「無記」

サンジャヤについては前回の記事でもお話ししましたがもう一度ここで復習しましょう。

彼はあらゆる問いかけに対して、答えるとも答えないとも言えないような掴みどころのない受け答えをすることで知られていました。たとえば次のようなものです。

「来世はあるだろうか?」

「もし私が「来世はあるだろう」と考えるならあなたにそう答えるだろうが、私はそう思わない。そうらしいとも考えない。それとは異なるとも考えない。そうではないとも考えない。そうではないのではないとも考えない云々・・・」

こういうわけで結局判断をせず確定的な答えをしないというのがサンジャヤのスタイルでした。このあり方は「鰻のようにぬらぬらして捉え難い議論」と呼ばれ、ある種不可知論のようなものでありました。「善悪の報いはあるか」「来世はあるか」などの形而上学的な問題に対する判断中止を彼は唱えたのです。

バラモン教の説く輪廻転生や道徳律という形而上学的問題に対して、判断中止という新たなアプローチをした点でサンジャヤは画期的ということができるでしょう。

そしてこの懐疑論に対してブッダは「無記」ということを説きます。

ブッダもサンジャヤと同じように「来世はあるか」「究極の存在はあるか」「死と何か」などの形而上学的な問題に対しては答えませんでした。イエスともノーとも答えません。ただ沈黙します。ただ、ここからがサンジャヤと違ってきます。

ブッダはまず私達人間のなすべきことは救い(解脱)のための行であって、形而上学的な問題に関わり合う必要などないと説きます。これをブッダは「毒矢の喩え」という次の訓話で解説します。

「ある人が毒矢で射られたら、まずはそれを抜き、毒の処置をするべきである。その毒矢を撃ったのは誰か、その毒矢の製作者は誰かなどを考えている場合ではない。私達がなすべきこととはそういうことである」

ブッダは単に懐疑論で留まることなく、そこから悟りへの道筋を明確に示しました。ここにサンジャヤとの違いがあります。だからこそサンジャヤの弟子だったサーリプッタ(舎利弗)とモッガラーナ(目犍連)が感動して仏門へと入ることになったのです。

また、この「懐疑論を超える」ということはアジタの唯物論をも超えることを意味します。彼の唯物論はまさに現代人とも共通する非常に合理的な考え方です。「死んだら無。物質に還るだけ。死後の世界はありえない。」こう説くアジタですが、ある意味これも決してわかりはしない死後の世界に対し、「それは無だ」と言い切ったに過ぎません。究極のところはわからないのです。その先のわからぬ未来においてもブッダは「今やるべきことをやれ」という道筋を示します。

こういうわけでサンジャヤの懐疑論を超えたというのは私達現代人にとっても非常に大きな意味を持つと言えるでしょう。

(※こうなってくると、後の大乗仏教で来世の「浄土」を説くのはどういうことなのかという問題も生まれてきますが、それはまた別の問題になります。いつかそのことについてもお話ししていくつもりですが、今回は頭の片隅にその疑問は保管しておいて頂けたらと思います)

⑤人生の苦しみの原因と救いへの道筋を明確にしたブッダ

「⑼四聖諦~仏教の根本たる四つの真理とは。苦しみを滅し救いへと至る道を説くブッダ」の記事でお話ししましたように、ブッダはこの世の苦しみの原因とそこから解放されるための教え「四聖諦」を説きました。

「この世は苦しみの世界で(苦)、その原因は我々の煩悩にあり(集)、煩悩を滅すれば救われ(滅)、その道筋こそ八正道の正しい修行である(道)」

この「苦集滅道」の真理の教えによって5人の仲間が直ちに悟りの境地を体得しますが、ここまでお付き合い頂いた皆さんならもうすでにピンと来ますよね。この「苦集滅道」はまさしくバラモン教への批判でもあり、六師外道の思想も乗り越えています。

まず私たちの苦しみの人生の原因を自身の煩悩であるとした点。これは明らかにバラモン教と違います。そして善き行為、すなわち八正道によってその煩悩を滅することで救済へと至るという道筋をしっかりと示しました。

これはプーラナやパクダなどの無道徳論とは根本的に異なります。彼らは合理的な視点から「道徳など存在しない。何をしようが関係ない」と説きますが、仮にそうだとして我々は救いのために何をなすべきかということが全く見えてきません。ブッダの偉大さはこの「何をなすべきか」ということを明確にした点にあります。

またバラモン教のようにバラモンや神々など自分の外の存在に救いを委ねるのではなく、救いとはあくまで自分ひとりの問題であるということもブッダは明確にしました。(そう考えると阿弥陀仏の救いに身を委ねる浄土真宗の教えはものすごく非仏教的にも思えてきますが一概にはそうは言えません。これはまたいずれ改めてお話しします)

いずれにせよ、ブッダの仲間たちにとってこの教えはこれまでインドで生まれてきたどんな思想とも異なる画期的な教えだったのです。だからこそ彼らはブッダの言葉に衝撃を受けたのでした。そしておそらく、その説を語るブッダの姿そのものにも驚いたのでしょう。やはりブッダにはその言葉を真実だと感じさせるような何かがあったのではないでしょうか。「この人がこう言うのだから間違いない」という有無を言わせぬ威光があったのだと私には思えます。

サールナート仏(初転法輪を表す仏像)

まとめ

さて、ブッダの教えの何が革新的だったのか、そのことについて5つのポイントを見てきました。

もちろん、ブッダの教えについてはこの他にも様々な教えがありますし、学術的にはさらに厳密なものとなっていきます。

ですが仏教入門としては上の5つを押さえることが仏教理解の大きな鍵となるのではないかと思います。

ブッダの教えの何が革新的で、何が人々を惹きつけたのかというのは非常に重要な問題です。何度も言いますがブッダもゼロからその教えを生み出したのではありません。当時の時代背景や様々なライバルたちとの切磋琢磨があってこそのブッダの思想であり、生き様になります。

今回の記事を通してそのことについて少しでも皆さんのお役に立てましたなら幸いでございます。

次の記事からはまたブッダの生涯に戻っていきます。ここからはブッダの後半生になります。インドの時代背景や彼の教えの革新性を掴んだ今、その快進撃を見ていくのはとても刺激的なものになることでしょう。ぜひ引き続きお付き合いください。

※以下、この旅行記で参考にしたインド・スリランカの参考書をまとめた記事になります。ぜひご参照ください。

「インドの歴史・宗教・文化について知るのにおすすめの参考書一覧」
「インド仏教をもっと知りたい方へのおすすめ本一覧」
「仏教国スリランカを知るためのおすすめ本一覧」

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