(8)ミケランジェロ・ベルニーニも絶賛したパンテオン!ローマ建築最高峰の美がここに!

『ローマ旅行記』~劇場都市ローマの魅力とベルニーニ巡礼

【ローマ旅行記】(8)ミケランジェロ・ベルニーニも絶賛したパンテオン!ローマ建築最高峰の美がここに!

今回の記事ではローマ建築の最高峰パンテオンについてお話ししていく。

パンテオン内部 Wikipediaより

パンテオンは西暦120~124年頃にハドリアヌス帝によって建造されたと考えられている神殿だ。

この建築について石鍋真澄は次のように語っている。

パンテオンは古代建築のなかでももっとも完全な形で残っている建築物である。それは、プロナオスと呼ばれる入り口の部分と、ドームがかかった神殿本体からなっている。正面から見ると、八本の巨大な花崗岩の円柱が三角の破風をささえ、そのうえの、プロナオスと神殿本体をむすぶ方形の接合部の奥に低いドームの屋根が見える。一見したところ、建物の外観はいかにも重々しく、もしも周囲の明るい雰囲気がなかったならば、陰気とさえいいたくなるほどだ。しかし、その雄大な姿は何度見ても飽きることがなく、その存在感は見るたびに一層深く心に刻み込まれるように思われる。(中略)

円形で、しかも低いドームが包み込むように君臨する内部には、他のどの建築物でも経験することのない、意外な空間がある。一六年前に初めてパンテオンを訪れて以来、私は少なくとも四、五十回はパンテオンの中に入っただろう。それでもなお、パンテオンに入ると意外の念に打たれる。あらゆる建築の中で、もっとも独創的で大胆な空間ではないかと思うほどだ。円形に広がる内壁も、オクルス(円窓)をいただくドームも、すべてがダイナミックで、しかも峻厳である。しかしこの驚きは、空間にしばらく包み込まれ、建物の細部を観察しているうちに、しだいに満足感に変わってくる。内部には三本の円柱を角柱がはさむ形で造られた七つのニッキア(がん)と、その間に彫刻を飾るために設けられた八つのエディコラ(壁龕へきがん)があり、それらの上部にはめくら、、、窓と額縁モティーフの装飾がある。それらの細部を子細に観察すると、そのあらゆる部分の比例が完璧であるように思われてくる。円というものが生む静かなダイナミズムとこの比例の完璧さが、見る者に大きな満足を与えるのだ。

もしもミケランジェロやべルニーニに、建築でもっとも大切なものは何か、とたずねたら、即座に比例だと答えたことだろう。比例こそはイタリア建築をイタリア建築たらしめているもの、つまりその魅力を解く鍵なのである。その比例の何たるかを理解するのに、このパンテオンにまさるところはない、とルネッサンス以降の人びとは考えてきた。パンテオンが近代ヨーロッパの美術家たちに与えた影響には、まさしく計り知れないものがある。

こうしたダイナミスムと比例の美しさをもつパンテオンだが、その空間のダイナミスムの根本にあるのは、平面プランの円の直径とドームの高さがともに四三・三メートルであるということ、つまりこの神殿は球がすっぽりと入るようにできているという事実である。ドームが始まるコーニスの部分が、ちょうど球の半分の高さにあり、ドームはまさしく半球状にできているというわけだ。しかし、実際にここに立つと、距離感が失われ、ドーム中央のオクルス(円窓)の直径が九メートルあるといわれてもぴんとこないように、ドームが半球をなしているというのもなかなか実感しがたい。けれども、のしかかるようにしてわれわれを包み込み、にもかかわらず少しも圧迫感を与えることなくわれわれを荘厳な満足感で満たすその効果は、まさにパンテオンならではのものである。
※一部改行した

吉川弘文館、石鍋真澄『サンピエトロが立つかぎり 私のローマ案内』P112-116

「もしもミケランジェロやべルニーニに、建築でもっとも大切なものは何か、とたずねたら、即座に比例だと答えたことだろう。比例こそはイタリア建築をイタリア建築たらしめているもの、つまりその魅力を解く鍵なのである。その比例の何たるかを理解するのに、このパンテオンにまさるところはない」

あのミケランジェロとベルニーニも褒め称えたパンテオン。ミケランジェロはサン・ピエトロ大聖堂のドームを設計し、ベルニーニは小パンテオンとも言える傑作サン・タンドレア・アル・クイリナーレ聖堂を生み出している。

古代ローマ建築の頂点パンテオンはルネサンスにも絶大な影響を与えていたのである。ミケランジェロとベルニーニについては2019年の記事でもお話ししたのでぜひこちらもご参照頂きたい。

そしてこのパンテオンにはもう一点興味深い話がある。引き続き石鍋真澄の解説を見ていこう。

ところで、このドームは石やレンガを積んで造られたものではなく、モルタルを流して造られた、いわゆるコンクリート建築である。壁の厚さはドームの下部が五・九メートルあるのに対し、オクルスの部分は一・五メートルで、ドームの重量を軽くするために上部では軽石などが混ぜられているという。

吉川弘文館、石鍋真澄『サンピエトロが立つかぎり 私のローマ案内』P116

なんと、パンテオンは石造りではなくコンクリートで造られた建造物なのだ。これには私も驚いた。コンクリートといえば近代以降の産物だと思い込んでいたがまさか古代ローマですでに実用化されていたとは・・・

しかもこのコンクリートそのものにも驚くべき秘密があったのである。

このツイート内の記事に書かれたものを読んで私は驚いた。なんと、「古代ローマのコンクリートにはひび割れを「自己修復」する機能があったと判明!」とあったのである。2000年前にしてすでに現代の技術を超えるコンクリート技術があったのである。このコンクリートはコロッセオや水道橋などにも使われていて、だからこそ2000年近く経った今でもその姿をとどめているのだそうだ。

恐るべし古代ローマの技術力・・・!

では、私もそんな古代ローマの最高峰パンテオンを訪れることにしよう。

パンテオンはナヴォーナ広場やスペイン広場などの観光の中心部から歩いて行ける距離にある。ローマ観光のど真ん中と言ってもいいかもしれない。

広場から狭い路地を通り、建物の間を抜けていくといきなり現れるパンテオン。初めて見た時はそのいきなりぶりに驚いたものだ。

パンテオンの入り口の天井部分(ポルティコ)はかつて銅で作られていたが、1624年からサン・ピエトロ大聖堂のバルダッキーノが制作されることになりここの銅を持ち出すことになった。ベルニーニ作のこの巨大なバルダッキーノを作るための銅が不足していたため、時の教皇ウルバヌス八世がこのような措置を取ったのである。フォロ・ロマーノの記事でもバチカンによる大理石の調達はお話ししたが、石だけでなく銅も古代ローマの遺跡から拝借していたのだ。

いよいよパンテオン内部へ。

内部は完全な円形となっていて全体を写真に収めるのは不可能だ。この建築の素晴らしさは実際に行って体感しなければわからない。

とにかく不思議な空間である。教会やお寺の長方形型の空間に慣れていた私にとってこの完全なる円形というのは全方位的なものを感じて戸惑ってしまう。

だが、石鍋真澄の「一六年前に初めてパンテオンを訪れて以来、私は少なくとも四、五十回はパンテオンの中に入っただろう。それでもなお、パンテオンに入ると意外の念に打たれる。あらゆる建築の中で、もっとも独創的で大胆な空間ではないかと思うほどだ。円形に広がる内壁も、オクルス(円窓)をいただくドームも、すべてがダイナミックで、しかも峻厳である。しかしこの驚きは、空間にしばらく包み込まれ、建物の細部を観察しているうちに、しだいに満足感に変わってくる。」という言葉にあるように、まさに徐々にこの空間に魅了されていく自分を感じる。

最初はやはり度肝を抜かれてしまうのだ。しかしその衝撃が和らいでくるとこの建築の偉大さが染み渡ってくる。なんと表現してよいか私にはわからない。私の語彙力をはるかに超えたものがここにある。ここには実際に体感しないとわからない偉大さがあるのだ。

そしてここパンテオンにはラファエロの墓もある。私は例のごとくお墓参りをした。ドストエフスキーも愛したラファエロだ。私にとっても思い入れのある画家の一人である。

ローマ滞在中、私は何度もこのパンテオンを訪れた。

ローマ帝国の叡智の結晶たるパンテオン。西暦125年頃からずっとこの姿を保っているというのは驚異的としか言いようがない。あのコロッセオですらもはや廃墟のような姿だ。それに対してここは完全に現役なのである。ローマ帝国の技術力には唖然とするしかない。パンテオンが言語に絶する名建築なのは間違いない。

続く

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