(12)バーデン・バーデンでの賭博者ドストエフスキーの狂気~ドストエフスキー夫妻の地獄の5週間
【ドイツ旅行記】(12)バーデン・バーデンでの賭博者ドストエフスキーの狂気~ドストエフスキー夫妻の地獄の5週間
ドレスデンで妻を一人残し、ホンブルクへカジノへ出かけたドストエフスキー。そこから彼は賭博熱に完全に呑み込まれてしまった・・・
今回の記事ではそんなドストエフスキーの狂気とアンナ夫人の絶望の日々を見ていく。
六月末に、『ロシア通報』の編集部から金を送ってきたので、わたしたちはすぐに立つことにした。わたしは、これほど気もちよく幸福にすごせたドレスデンをあとにすることがいかにも残念でならなかった。あたらしい環境でわたしたちの気分が大きく変化する不安な予感がしたが、そのとおりになってしまった。バーデン・バーデンですごした五週間のことを思いおこし、速記で書いた日記を読みかえしてみると、悪夢のようで、夫はまったく悪夢につかれて重い鎖でつながれていたとしか思えない。
自分のやり方でルーレットの賭をやればかならず勝てるという夫の言い分は、完全に正しくもあり成功疑いなしだったかもしれない。ただし、この方法で冷静なイギリス人かドイツ人かが睹けた場合のことで、夫のように神経質で、熱中しやすく、極端まで行かねばやまぬ人間ではだめにちがいなかった。しかし冷静さと忍耐以外に、賭博者は、つきがまわってこないあいだ持ちこたえるだけのかなりの資金がなくてはならない。この点、彼は運がわるかった。わたしたちにはそんな金はなく、失敗した場合、どこにも当てはなかった。だから、有り金をすってしまうまで一週間とはかからず、遊びをつづける金をどうして手に入れるかのあがきがはじまった。それには質入れするほかはなかった。往々にして夫は自制がきかず、質に入れて得たばかりの金をすっかり負けてしまうことがあった。あるときはほとんど最後の一ターレルまですってしまいそうになったところで、突然つきがまたまわってきて、何十枚かのフリードリヒ金貨をもってかえってくることもあった。あるときなどは、ぎっしり金のつまった財布をもちかえったことをおぼえている。二百十ニフリードリヒ金貨(一枚が二十ターレル)、つまり約四千三百ターレルもあった。だがこういった金は手もとには長くは残らなかった。夫は辛抱するということができなかった。勝負の興奮からさめないうちに、金を二十枚ひっつかんで出かけては負け、また二十枚つかんで行っては負け、こうして二、三十分のあいだに何回か金をとりにかえってきて、あげくのはてにすっからかんになってしまうのだった。またまた質屋がよいとなっても、金目のものはもうなく、それも尽きてしまった。そうするうちに借金がたまって、心配しないわけにいかなくなった。ロやかましい宿の女主人に払いがとどこおり、困っているのを見るや、彼女は容赦なくぞんざいな扱いをするようになって、契約からすると当然うけてもいいさまざまな便宜まで取りあげられるようになったからだ。国の母に手紙を書きおくり、どれほど苦しい思いをしながら金がとどくのを待ったことか。だがその金も着いたその日か翌日かには賭けごとに消えてしまい、(家賃や食費の)どうしても必要なものに、かつがつまわるだけだった。わたしたちは、またまた一文無しになって、まとまった金を手に入れ借金をはらうにはどうするかに思いなやみ、賭けで勝つことなどより、この地獄から逃れさえすればと考えるのだった。
みすず書房、アンナ・ドストエフスカヤ、松下裕訳『回想のドストエフスキー』P176-177
バーデン・バーデンはドイツの保養地として有名で、ヨーロッパ中から集まった多くの著名人がここに滞在している。あのツルゲーネフもここが大のお気に入りで邸宅を構えていたほどだった(「ツルゲーネフとヴィアルドー夫人の宿命の恋~ツルゲーネフの運命を決めたオペラ女優の存在」の記事参照)。
そんな上流階級の優雅な保養地にドストエフスキー夫妻は乗り込んだのである。
ドストエフスキーの目的はもちろんカジノだ。上流階級の優雅な保養などはなから彼には眼中にない。一発逆転の大勝負。すべてを賭けた決死の一投こそ彼の望むところだったのだ。
とは言えアンナ夫人が予想した通り、ドストエフスキーのギャンブルは散々な結果をもたらす。
あっという間に手持ちの金はなくなり、窮余の策で質入れした金もあっという間にすってしまう。まさに一文無しだった。
だが、これもほんの始まりにすぎない。彼らはそうした生活を5週間も続けなければならなかったのである・・・
わたしはといえば、できるかぎり落ちついて、自分たちが選んだこの「運命の打撃」を耐え忍ばうとした。最初に金を失ったあと興奮がしずまると、しまらくして、夫はけっして賭でもうけることはなかろう、たとえ大勝ちに勝つことがあっても、その日のうちに(翌日までもてばいいほうで)すっかりすってしまうだろう、そして哀願も説得も夫には何のききめもないにちがいない、と強く信じるようになった。
はじめのうち、あれほどさまざまの苦しみ(要塞での監禁、処刑台、流刑、愛する兄や妻の死など)を男らしくのりこえてきたフョードル・ミハイロヴィチほどの人が、自制心をもって、負けてもある程度でやめ、最後の一ターレルまで賭けたりしない意志の力をどうして待ちあわせないのかが不思議でならなかった。このことは、彼のような高い人格をもったものにふさわしからぬ或る種の屈辱とさえ思われ、愛する夫にこの弱点のあることが残念で腹だたしかった。けれどもまもなく、これは単なる「意志の弱さ」はなく、人間を全的にとらえる情熱、どれほどつよい性格の人間でもあらがうことのできない何か自然発生的なものだということがわかってきた。そう考えて耐えしのび、賭博への熱中を手のほどこしようのない病気と見なすほかはなかった。唯一の克服の道は、ここから逃げだすことだった。だが、バーデンから脱けだすことは、ロシアからまとまった金を受けとるまではできない相談だった。
ほんとうのことだが、わたしは、夫が負けてきたことを決してとがめなかったし、このことについて夫と争ったりもしなかった(夫はその点をたいへん感謝していた)。期限内に請け出せなかったわたしの物は二度とかえってこない(そういうことはたびたびあった)のを承知で、女主人や小口の債権者たちからいやがらせを受けながら、苦情も言わずに夫になけなしの金を渡した。
しかし、フョードル・ミハイロヴィチ自身が苦しんでいるのを見ると、心の底から気の毒になった。青ざめ、やつれはてて、よろよろしながらルーレットからもどってきては(賭博場は若いまともな女性が出入りするところではないといって、夫はけっしてわたしを連れていかなかった)、金をねだる(金はわたしがみんなあずかっていた)。出かけて三十分ばかりもすると、まえよりもっとがっかりして金を取りにかえってくる。そして、負けてすっからかんになってしまうまでくりかえした。
もうルーレットに持って行けるものは何ひとつなくなり、金のくる当てもなくなってしまうと、彼はしょげかえって、むせび泣きながら、自分のせいでおまえをこんなに苦しめてすまないとひざまずいて許しを乞うては極度の絶望におちいるのだった。それを、さんざん骨を折って説得したり話しあったりして慰め、状態はまだ絶望的なものではないと説明し、打開の道を工夫し、彼の注意や考えをほかのものに向けなければならなかった。それがうまくいって、読書室に新聞を読みに連れだすことができたり、いつも夫に好結果をもたらす長い散歩にさそいだすことができたりしたときには、どれほどうれしく、幸せだったことだろう。金を受けとるまでの長いあいだ、わたしたちはバーデンの郊外を何十キロ歩きまわたかもしれなかった。そんなときには、夫は、楽しい、おだやかな気分をとりもどして、じつにさまざまなことを何時間も話し合った。なにより気にいっていた散歩道は新しい城に行く道で、そこからすばらしい森の中をとおって古い城に出た。そこでわたしたちは、きっと牛乳かコーヒーを飲むことにしていた。もっと遠くのエーレンブライトシュタイン城(バーデンから約八キロ)にも歩いて行き、食事をして、日暮れに帰ってきた。散歩はとても気もちよく、夫と話すのが楽しくて(金にこまって、宿の女主人と折りあいがわるかったにもかかわらず)、ぺテルブルグから金がとどくのがもっとおくれればいいと思ったりした。だが金が来ればたちまち、これほど楽しい生活が地獄に堕ちるのだった。
みすず書房、アンナ・ドストエフスカヤ、松下裕訳『回想のドストエフスキー』P177-179
いかがだろうか。賭博に狂うドストフスキーの凄まじさが伝わったのではないだろうか。
そしてアンナ夫人の献身ぶりにはさらに驚かれたのではないだろうか。45を超えたおじさんが20歳の妻にすがっておいおい泣いているのである。想像するにもかなりショッキングな絵だ。
だが、ここで書かれているのはそれでもかなりマイルドにされたドストエフスキー像だ。アンナ夫人の『日記』ではさらに生々しいドストエフスキーの姿が記録されている。せっかくなのでこちらも見ていこう。
金貨の残りは二十五枚だったが、フェージャが今日五枚持って行ってしまったので、残りは二十枚。出がけに、彼はあとで一緒に郵便局へ行こう、身支度して自分の帰りを待っていてくれ、と私にいった。彼が出かけてしまったあと、私はすごくもの寂しくなった。彼は勝った金もかならずすってしまい、それでまたも苦しむだろうと、私は信じて疑わなかった。私は何度か泣けてきそうになり、気が変になりそうだったが、フェージャが帰ってきたとたんに、私はいやに冷静にこうたずねた。「負けたのでしょうね」―「そう、負けたよ」と、彼は絶望的に答え、またもや自分の非を鳴らしはじめた。彼は賭博に引きつけられる自分のふがいなさをとがめ、自分が私を愛していること、私は彼のすばらしい妻で、私は彼にはもったいない、といったことを、切切たる調子で語るのだった。そのあとで私にもう一度お金を出してくれとたのんだ。今日は渡せない、渡すとしても明日、今日は絶対に渡せない、なぜならそれもきっとすってしまうだろうし、そうなるとまたあなたが苦しむことになるのだから、と私は答えた。それでもフェージャは、せめく金貨二枚でよいから出してくれ、そうすればルーレットへ行って、気がすむのだから、といって私を拝み倒した。どうしようもないので、金貨二枚を彼に渡した。フェージャは興奮状態で、自分のことを私から最後のパンの一片までも奪いとって賭けですってしまうような卑劣漢だとは思わないでくれとたのんだ。私は彼にどうか気を鎮めてちょうだい、としきりにたのみ、あなたのことをそんなふうには決して思わない、どれだけ負けようとあなたの自由なんだから、といった。フェージャが出かけたあと、私はひどく泣いた。私は彼の苦しみと自己呵責にやりきれない思いがし、また異境にあってこんなに心もとない資力しかないのが不安だった。フェージャは間もなく帰ってきて、負けた、といった(残りの金貨は十八枚)。
河出書房新社、アンナ・ドストエーフスカヤ、木下豊房訳『ドストエーフスキイ夫人 アンナの日記』P172-173
こんな調子でアンナ夫人は残りの金貨の枚数を数える日々を過ごす。彼女の『日記』にはこのような生々しい二人の生活が赤裸々に綴られている。人に見せるつもりのなかった日記だからこそ知れる情報だ。アンナ夫人には申し訳ないが後世の我々にとってはあまりに貴重な資料である。
それにしてもドストエフスキーの「自分のことを私から最後のパンの一片までも奪いとって賭けですってしまうような卑劣漢だとは思わないでくれ」という言葉には驚く。これはまさに『カラマーゾフの兄弟』の長男ドミトリーそのものではないか。あれはドストエフスキーがこの時に実際に言ったものだったのである。しかもこの『日記』ではこの後も何度もドストエフスキーの口から「卑劣漢」という言葉を聞かされることになる。ドストエフスキーにとってこの「卑劣漢」という言葉には特別な思いがあるようだ。
さて、そんな準「卑劣漢」のドストエフスキーも常に賭けに負けていたわけではない。時にはとてつもない大勝をすることもあった。多い時には金貨160枚も手元にあったことすらある。だが持ちこたえられない。次の日にはもうほとんど失ってしまうのだ。
ドストエフスキーはついにはアンナ夫人の大切なイヤリングとブローチを質に入れてしまう。これらはドストエフスキーがアンナ夫人にプレゼントしたものだった。これを手渡したアンナ夫人は陰で泣いていた・・・
しかもそれだけではない。なんと、結婚指輪までドストエフスキーは質に入れてしまったのである。
これで自分を「卑劣漢と呼ばないでくれ」と泣きじゃくるのだからもうたまらない。よくアンナ夫人はこの男を見捨てなかったなと思う。それほどドストエフスキーの狂気は常軌を逸していた。
だが、この地獄のバーデン・バーデンの終盤、ある変化が起き始める。再び『日記』を読んでみよう。
帰宅して、私たちはみじめな気持でお茶を飲んだ。でも全然くよくよしてはいなかった。それとも、習慣というものは恐ろしいもので、私はこうした乱脈にも慣れっこになって、自分たちの状態に、前のようには不安をおぼえなくなったのだろうか。フェージャがお休みをいいにきた時、彼はなんだか興奮状態だった。おまえを夢中で愛している。とても、とても強く愛している。おまえは自分にはもったいない。おまえはどういうわけか、神様が自分に遣わしてくださった守護天使だ。自分はまだ行ないをあらためなければならない。自分は四十五歳だけれども、まだ家庭生活への心がまえができていない。自分はまだその訓練をしなければならない。自分はまだ時として、夢見がちになることがある。彼はこういったことをつぶやくのだった。
河出書房新社、アンナ・ドストエーフスカヤ、木下豊房訳『ドストエーフスキイ夫人 アンナの日記』P273
まず、アンナ夫人の肝の据わり方が一層強くなっている。もはやちょっとやそっとでは動じない強さを身に付け始めた。実はこの頃にはアンナ夫人が妊娠していることがわかり、彼女も母親としての自覚が出てきたものと思われる。
そして何より、ドストエフスキーがアンナ夫人を心の底から信頼し始めたのがどうもこの辺りからのように私には思えるのだ。旅に出た当初はまだドストエフスキーは若い新妻アンナ夫人の保護者のような雰囲気だった。また、彼には年の差や慣れない海外生活にアンナ夫人が嫌気を差し逃げてしまうのではないかという不安もあったのである。
しかしバーデン・バーデンで散々卑劣漢的行為をしてもアンナ夫人は彼を責めず、慰め、守り続けた。そんなアンナ夫人にドストエフスキーは心の底からの信頼を抱きはじめる。そう。保護者の立場が逆転したのだ。もはやここからはアンナ夫人がドストエフスキーの保護者なのである。こうなって初めてドストエフスキーは守護天使アンナを見出した。人生とはなんと不思議なものだろう。あのシベリア流刑も生き抜いた文豪ドストエフスキーが母のように優しい守護天使にすっかり身も心も委ねるようになっていったのだ。
そして2人はこんな言葉を交わす。
フェージャは私をとても愛してくれていて、私たちは溜息まじりに話し、「ああ、フェージャ」というと彼は「ああ、アーニャ」といい返してくれた。そこには私たちのいたわりがこもっているのだった。今日、彼は次のように何度かくりかえした。こんな妻にめぐりあえるとは全然思っていなかった。おまえがこんなによい女で、何一つ自分をとがめだてせず、それどころかひたすら慰めてくれるとは、思ってもみなかった。それからフェージャは次のようにもいった。もしおまえがいつまでもこんなでいてくれるならば、自分はかならずや生まれ変わるだろう。なぜなら、おまえはぼくにいろんな新しい、感情や考えをあたえてくれたので、ぼく自身もよいほうへ向かいつつあるからだ、と。
河出書房新社、アンナ・ドストエーフスカヤ、木下豊房訳『ドストエーフスキイ夫人 アンナの日記』P278
実際、ドストエフスキーのギャンブル中毒はバーデン・バーデンを出るまで一向に収まらなかったし、その後のジュネーブ滞在時も同じ行動を繰り返している。だが、明らかに二人の関係性が変わり始めた。
最後にもうひとつバーデン・バーデンでのエピソードを紹介したい。ドストエフスキーはバーデン滞在の終盤、てんかんの発作を起こしたのである。
フェージャはベッドすれすれに頭がきており、もうちょっとで床にずり落ちそうだった。あとで彼が語ったところによると、発作のはじまりは記憶している。彼はその時はまだ寝ついてはいず、起き上がろうとした。それでベッドすれすれで倒れたのだと思われる。私は汗と泡をぬぐいはじめた。発作はさほど長くは続かず、それほど強くないようだった。白目をむくことはなかったが、けいれんはひどかった。そのあと、彼は意識をとりもどしはじめ、私の手に口づけし、私を抱いた。それからすっかり意識がもどったけれど、なぜ私が彼のそばにおり、なぜ私が夜中に彼のそばにきたのか、いっこうに得心がいかなかった。それから彼は「きのうぼくは発作を起こしたのか」とたずねた。いまよ、と私は答えた。彼は夢中で私に口づけし、おまえを気が狂うほど愛しているし、おまえを崇拝する、といった。発作が過ぎると、彼は死の恐怖に襲われた〔死の恐怖は発作後のいつものことであった。夫には私がそばにいれば死からまぬがれると思われるのか、自分から離れないでくれ、一人にしないでくれと、しきりにたのむのだった。ー夫人注〕。もうすぐ死にそうな気がする、と彼はいいはじめ、ぼくから目を離さないでくれ、とたのんだ。私は彼を落ち着かせるために、あなたのベッドのそばのソファー・ベッドに寝ることにする、すぐそばだし、あなたに何かあったら、すぐに聞きつけて起きるわ、といった。彼はそれにとても満足し、私はただちに別のベッドに移った。
河出書房新社、アンナ・ドストエーフスカヤ、木下豊房訳『ドストエーフスキイ夫人 アンナの日記』P294-295
「彼は夢中で私に口づけし、おまえを気が狂うほど愛しているし、おまえを崇拝する、といった。発作が過ぎると、彼は死の恐怖に襲われた〔死の恐怖は発作後のいつものことであった。夫には私がそばにいれば死からまぬがれると思われるのか、自分から離れないでくれ、一人にしないでくれと、しきりにたのむのだったー夫人注〕」
ドストエフスキーがいかにアンナ夫人を頼りにしているかがこの言葉に表れているのではないだろうか。もはやドストエフスキーはアンナ夫人なしではいられないのである。これは単なる「言葉、言葉、言葉」ではなくドストエフスキーの真心からのものだと私は信じたい。
さて、こうして過ごした地獄の5週間もようやく終わりを迎える。『ロシア通報』から前借り金がやっと届いたのだ。もはや一刻の猶予もない。狂気のまますってしまう前に二人はスイスのバーゼルへと旅立ったのである。
ドストエフスキー夫妻を苦しめた悪夢のバーデン・バーデン。
しかしこの地獄をくぐり抜けた二人はここに来る前とは何かが変わった。その変化はこれから先もっと明らかになっていくだろう。
次の記事ではこのバーデン・バーデンの街を実際に見ていく。ドストエフスキー夫妻にとっては地獄としか言いようのないこの街だが、今この街はどんな姿をしているのだろうか。ゆかりの地を巡りながらじっくりとここでの滞在に思いを馳せてみよう。
続く
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