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ドストエフスキーによるキリストの創造『白痴』概要とあらすじ
『白痴』は1868年にドストエフスキーによって発表された長編小説です。
私が読んだのは新潮社出版の木村浩訳の『白痴』です。
早速この本について見ていきましょう。
世界の文豪・ドストエフスキーが描きたかった「無条件に美しい人間」とは。
スイスの精神療養所で成人したムイシュキン公爵は、ロシアの現実についで何の知識も持たずに故郷に帰ってくる。純真で無垢な心を持った公爵は、すべての人から愛され、彼らの魂をゆさぶるが、ロシア的因習のなかにある人々は、そのためにかえって混乱し騒動の渦をまき起す。この騒動は、汚辱のなかにあっても誇りを失わない美貌の女性ナスターシャをめぐってさらに深まっていくのだった。
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あらすじにもありますように、今作の主人公はスイスでの療養からロシアに帰って来たムイシュキンという青年です。
ドストエフスキーはこのムイシュキンを通して「完全に美しい人間」を創造しようとしました。
その時の顛末はドストエフスキーの姪のソフィア・イワーノヴィチに送った次の手紙で明らかにされています。
「……私は三週間ぐらい前から(新暦十二月十八日)別の長編に着手して、今は日夜仕事をしています。この長編の意図は、私が昔から秘かにあたためてきたものですが、あまりにむずかしい仕事なので、長いこと着手することができなかったのです。今度それに着手したのは、生活がほとんど絶望的な状態になったからです。この長編の主要な意図は無条件に美しい人間を描くことです。これ以上に困難なことは、この世にありません。特に現代においては。あらゆる作家たちが単にわが国ばかりでなく、すべてのヨーロッパの作家たちでさえも、この無条件に美しい人間を描こうとして、つねに失敗しているからです。なぜなら、これは量り知れぬほど大きな仕事だからです。美しきものは理想ではありますが、その理想はわが国のものも、文明ヨーロッパのものも、まだまだ実現されておりません。」
新潮社出版 木村浩訳『白痴』下巻P678
ドストエフスキーは、手紙の中で自ら言うように「生活がほとんど絶望的な状況になったので」この作品を書き始めました。
彼はドイツの保養地バーデン・バーデンで賭博に狂い、ほぼ一文無しの状況まで落ち込み、そこからなんとかバーデン・バーデンを脱出しスイスのジュネーブまでやって来ていました。
この時の顛末はドストエフスキーの奥様による伝記『回想のドストエフスキー』に詳しく書かれています。
しかしジュネーブでも貧乏は変わらず、作品の原稿料を前払いという形で出版社に送金を頼んだのがこの『白痴』が生まれた背景になります。
そんな追いつめられたドストエフスキーが書こうとしたのが「無条件に美しい人間」をテーマにした作品という、彼がずっと心に温めていた物語だったのです。
では「無条件に美しい人間」とは一体どんな人間なのでしょうか。手紙の続きを見ていきましょう。
「この世にただひとり無条件に美しい人物がおります―それはキリストです。したがって、この無限に美しい人物の出現は、もういうまでもなく、永遠の奇蹟なのです」
新潮社出版 木村浩訳『白痴』下巻P678
「キリスト教文学にあらわれた美しい人びとのなかで、最も完成されたものはドン・キホーテです。しかし、彼が美しいのは、それと同時に彼が滑稽であるためにほかなりません。ディケンズのピクウィック(ドン・キホーテよりも、無限に力弱い意図ですが、やはり偉大なものです)も、やはり滑稽で、ただそのために人びとをひきつけるのです。他人から嘲笑されながら、自分の価値を知らない美しきものにたいする憐憫が表現されているので、読者の内部にも同情が生れるのです。この同情を喚起させる術のなかにユーモアの秘密があるのです。ジャン・ヴァルジャンも、おなじく力強い試みですが、彼が同情を喚起するのは、その恐るべき不幸と彼にたいする社会の不正によるのです。私の作品にはそのようなものがまったく欠けています。そのために私はそれが決定的な失敗になるのではないかとひどく恐れています。若干のデテールは、たぶん、そう悪いものではないでしょう……」
新潮社出版 木村浩訳『白痴』下巻P678
「無条件に美しい人間」キリストを描くことは困難を極めます。ドストエフスキーは過去の作品からそれに成功した人物としてセルバンテスのドン・キホーテ、イギリスの文豪ディケンズの『ピクウィック・クラブ』の主人公ピクウィック、フランスの偉大な詩人ユゴーの『レ・ミゼラブル』のジャン・ヴァルジャンを挙げます。
ドン・キホーテとピクウィックには滑稽さが、ジャン・ヴァルジャンには恐るべき不幸があるからこそ、彼らが「無条件に美しい人間」として読者に愛されるのだとドストエフスキーは述べます。
これはどういうことかというとこれは難しい問題なのですが、完全にいい人をただ描こうとしても、読者からするとどうしても不自然に感じられたり、鼻持ちならない雰囲気が出てしまう危険があるということなのではないでしょうか。
あまりにもキリスト的に高潔な人物を創作すると、それがかえって読者に共感を持ってもらえないというジレンマが作家の苦しみとしてあるのかもしれません。
今作『白痴』はキリストを描きたいというドストエフスキーの長年の夢が込められ、『ドン・キホーテ』や『ピクウィック・クラブ』、『レ・ミゼラブル』の影響をかなり受けた作品であるということができるでしょう。
感想
『白痴』は私も大好きな作品です。個人的には『罪と罰』よりも好きかもしれません。
何が面白いかいうと、登場人物ひとりひとりのちょっとした表情やしぐさの描写が驚くほど繊細で、読んでいるこっちの精神にまで何か入り込んでくるような不思議な感覚になります。
また、この作品には次に何が飛び出してくるかわからない緊張感があります。登場人物が皆謎を抱えていて、突発的に状況が動いていくというハラハラな展開です。
そして何よりもムイシュキンという主人公の魅力がこの作品で際立っています。
ムイシュキンはとにかく善良な人間です。そして相手の心の底を見透かし、いつの間にか心を開かせてしまう不思議な力を持っています。
そんな不思議な魅力を持つ彼は作中人物からもキリスト侯爵と言われるほど、美しい人間です。
ですが彼は同時に「白痴」と馬鹿にされたりする癲癇病みの人間でもあります。また、長い間スイスの山奥で療養していたためロシアの人間社会のルールや細かい機微には驚くほど無知です。
つまりロシアにおいて彼は完全に異質な人間であり、月世界の住人のように思えてしまうほどなのです。
ムイシュキン自身もそのことに悩みますがどうしようもありません。
現実世界に馴染めない善良な主人公。それが『白痴』におけるムイシュキンなのです。
キリスト侯爵ムイシュキンがロシア社会に現れたことによって、物語の歯車は動き出します。
彼を中心に繰り広げられる人間の愛や憎しみ、精神の混乱、生きる意味を求めるドラマ。
ここではあらゆるものが複雑に絡み合った物語が進んで行きます。
人間の心の混沌、不確かさ、次に何をしでかすか自分でもわからぬほどの激情。
そして『白痴』のラストは文学史上に残る芸術的なシーンで幕を閉じます。
あの文豪トルストイもこの作品を絶賛し、主人公のムイシュキンについて、
「これはダイヤモンドだ。その値打ちを知っている者にとっては何千というダイヤモンドに匹敵する」と称賛しています。
「無条件に美しい人間」キリストを描くことを目指したこの作品ですが、キリスト教の知識がなくとも十分すぎるほど楽しむことができます。(もちろん、知っていた方がより深く味わうことができますが)
それほど小説として、芸術として優れた作品となっています。
『罪と罰』の影に隠れてあまり表には出てこない作品ですが、ドストエフスキーの代表作として非常に高い評価を受けている作品です。これは面白いです。私も強くおすすめします。
以上、「ドストエフスキー『白痴』あらすじと感想~キリストの創造~ドン・キホーテやレミゼとの深い関係」でした。
※2024年1月19日追記
『白痴』の中に出てくる有名な絵画『墓の中の死せるキリスト』。
私はこの絵画を観るために2022年、バーゼル美術館を訪れました。
ドストエフスキーは妻と一緒にこの絵画を観て、強烈なショックを受けました。その衝撃があったからこそ『白痴』という作品の中にあれほど大きな意味を持ってこの絵画が描かれたのです。私も実際にこの恐るべき絵に戦慄しました。
また、以下の記事では『白痴』執筆のエピソードについて紹介しています。ドストエフスキーの意外な素顔や、作品執筆に大きな役割を果たした妻のアンナ夫人についてもぜひ知って頂きたいことが満載です。
そして最後に、『白痴』を執筆したジュネーブのドストエフスキーゆかりの地を紹介したこの記事もおすすめしたいです。
以上、追記でした。
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