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日本ではなぜゾラはマイナーで、ドストエフスキーは人気なのか―ゾラへの誤解

ゾラとドストエフスキー
目次

はじめに

エミール・ゾラ(1840-1902) Wikipediaより

前回の記事「ゾラはどれほどすごい作家だったのか~フランスでの発行部数から見るゾラの人気ぶり」ではフランスでの発行部数からゾラの人気ぶりを見ていきました。

その圧倒的な売れ行きからわかるように、ゾラはフランスを代表する作家です。

ですが、 ドストエフスキーやトルストイ、ユゴー、バルザック、ディケンズ、ヘミングウェイなど、日本で親しまれている世界の文豪が数多くいる中で、ゾラは日本では異様なほど影が薄い存在となっています。

私も名前だけ聞いたことがあるくらいで、作品のことはほとんど何も知りませんでした。ドストエフスキーからフランスの歴史や文化を学んだ過程でようやくゾラのことを知ったくらいで、もしフランスのことを学んでいなかったらずっと知らないままだったかもしれません。

では、なぜゾラはこんなにも知名度が低い作家となってしまったのでしょうか。

今回の記事では日本でゾラがマイナーとなってしまった理由と、それと比較するためにドストエフスキーがなぜ日本で絶大な人気を誇るのかを考えていきたいと思います。

なぜゾラは日本でマイナーなのか―ゾラへの誤解

さて、ゾラが日本でマイナーとなった理由のひとつはまず、彼の作品がこれまでほとんど翻訳されておらず、出版すらされていなかったことにあります。

寺田光德氏の『欲望する機械 ゾラの「ルーゴン=マッカール叢書」』のあとがきには次のように述べられています。

日本で一般の読者がゾラの「ルーゴン=マッカール叢書」をまとまって読めるようになったのは、やっと二十一世紀に入って、藤原書店の「ゾラ・セレクション」(全十一巻)、論創社の「ルーゴン=マッカール叢書」(全十一巻)が発刊されてからのことであり、それまでのゾラに対する冷遇ぶりは目を覆うものがあった―かくいう筆者も学生時代にはあまり熱心なゾラの読者ではなかった。

その大きな原因のひとつに、ゾラの「叢書」中の登場人物には共感しうるような個性が描かれていない、彼らには人間としての成長がみられない、ゾラは要するに体のいいポルノ作家ではないのかと、相変わらず古典的で狭隘なアプローチをして、ゾラを否定しようとする文学の専門家や一般読者が多かったことが考えられる。
※一部改行しました

寺田光德『欲望する機械 ゾラの「ルーゴン=マッカール叢書」』藤原書店 P412

寺田氏の述べるように、これまでブログで紹介してきた「ルーゴン・マッカール叢書」が全て日本語で読めるようになったのはつい最近のことなのです。

それまでは『居酒屋』や『ナナ』、『ジェルミナール』、『獣人』などが文学全集や文庫版で出版されていただけだったのです。

そもそも作品が世に出回っていないのですから、ゾラの知名度も上がりようがありません。

しかも専門家や一般読者も彼の作品を評価しなかったので余計埋もれていくことになったのです。

前回の記事でも参考にした『獣人』のあとがきにも寺田氏は次のように述べています

「発行部数から見れば『獣人』は叢書中屈指の人気作品であるが、日本におけるゾラの冷遇ぶりの例に漏れず、やはりこの作品に関しても誤解や無理解と断言できるような訳知り顔の解説、紹介の類が散見される。

たとえば十九世紀の小説によくある、若者が恋愛を通して成長していくという、いわゆる教養小説の古典的人物像を、『獣人』の主人公ジャックに当てはめて理解をしようとすると、とんでもない誤解に陥りかねない。
※一部改行しました

寺田光德『獣人』藤原書店P513

寺田氏によると、日本におけるゾラの不人気はゾラに対する誤解や無理解が大きな要因を占めていると考えられるようです。

ゾラに対する誤解があるからこそ日本では彼が評価されず、その結果出版もされなくなり、出版もされず読まれないからその誤解は解かれることもなく、不人気のまま。不人気だから研究する人もいなくなり、ますます放置されていく・・・

こうした悪循環が日本におけるゾラ作品のマイナーぶりにつながっているのではないかと思われます。

では、ゾラはどのように誤解されていたのでしょうか。

それを知るためには以前「エミール・ゾラ『ルーゴン・マッカール叢書』とは」の記事で書きましたように、ゾラの小説スタイルについて知らなければなりません。

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ゾラは当時急発達していた科学の知見を小説に適用させようとします。

つまり、社会のあらゆるものを科学的に観察し分析し、主観を加えずに客観的に描写するという考えがゾラにはあったのです。

そして前々回の記事「ゾラの小説スタイル・自然主義文学とは―ゾラの何がすごいのかを考える」で紹介したようにその小説スタイルこそゾラの自然主義文学というものであり、彼は空想的な物語、例えば英雄物語やシンデレラストーリー、感動ドラマなど現実では起こりえないドラマチックな筋書きを否定するのです。

それがもっともわかりやすく描かれているのがゾラの代表作『居酒屋』です。

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この作品はただただパリの労働者一家が貧困と飲酒、ひも男や意地悪な近隣住人などによって家庭崩壊し、ついには主人公のジェルヴェーズが乞食にまで身を落とし餓死する様子を描くという悲惨なものです。

寺田氏が取り上げたゾラ批判に、「 ゾラの「叢書」中の登場人物には共感しうるような個性が描かれていない、彼らには人間としての成長がみられない、ゾラは要するに体のいいポルノ作家ではないのか 」と述べられていたのもまさにここに根があります。

主人公ジェルヴェーズは悪人ではないのですが、ただただ状況に押し流され悲惨へと緩慢に落ち込んでいきます。物語中に共感できる人物もいなく、ただただ嫌悪したくなる嫌な人間ばかり。しかもそこに成長の物語や希望を感じさせるものは何一つありません。

それが世の中の現実。ゾラは現実を赤裸々に暴き出します。まるで彼らを間近からカメラで撮影しているかのように、淡々とかつ丹念にひとつひとつ観察していきます。

こうしたゾラの手法はあまりにショッキングで目を反らしたくなるものであったため、多くの読者から批判を浴びることになるのです。それはフランスでもそうでした。

自然派の作家たちは、人間の美しく楽しい面よりも、空しく醜い面のほうをより多く、ずっと離れた立場から冷厳に、ある場合には残酷に、外側からえぐってかいた。そのために人生に対して傍観者的だ、侮蔑的だと非難された。

ブリュンチエールは一八八七年、ゾラの『大地』発表の機会に、有名な論文「自然主義の破産」をかき、フランス自然主義の総決算的な批判をして、同胞に対する同情の欠如を彼らの共通の欠陥とした。

そして、これなくしてどうして人間の魂やその心理に深くはいって人間を理解し真の人間を表現することができよう。この点でみじめな貧しい人々を真に愛しく表現したトルストイ、ドストイエフスキー、ディケンズ、ジョージ・エリオットのようなロシアや英国の自然主義作家の方がはるかに優れている、とした。

河内清『ゾラと日本自然主義文学』 梓出版社P31

ゾラはあまりに科学的、分析的、客観的に物語を描いたがゆえに、傍観者的だと批判されます。

「ゾラには人間愛がないのだ。人間愛がないからこんな悲惨で救いのないものを書くのだ。愛も救いもない文学は世の中の害になるだけだ。 人間の悪徳や悲惨さばかりに目を向け、人間や世界の美しさを無視するとは何事かと。 」と彼らは批判するのです。

そして貧しく虐げられた者を心から愛したドストエフスキーやトルストイなどの作家の方がはるかに優れていると述べるのです。

いやはや、これはごもっともです。ゾラはあまりに客観的、観察的に物語を描くのでどうしてもこうした批判を受けてしまうのです。

・・・ですがゾラは本当に人間愛がなかったのでしょうか。

河内氏は次のように述べています。

彼の作品は注意してよめば初めから人間への深い愛がにじみ出ていることがわかる。人間の醜さ、みじめさの酷烈な追求・表現そのものが、人間はこのようであってはならぬという強い叫び、人間の幸福への誠実な祈りとなって聞えるはずのものである。

河内清『ゾラと日本自然主義文学』 梓出版社P31

ゾラはたしかに誤解されやすい作家です。

しかし私も彼の作品を読んで感じました。

「ゾラは誰よりも悲惨な環境が少しでも改善され、世の中が少しでも良くなることを願っている」と。

ゾラは冷酷な超合理的人間、科学的人間ではありません。血の通った優しき作家です。

ただ、ゾラの小説スタイルがそうした誤解を生んでしまっているのです。

ゾラがどういう意図を持って彼独自の小説スタイルを貫いたのか、そこの理解がないとゾラは単なる傍観者、 体のいいポルノ作家などという非難を受けることになってしまうのです。

この誤解が解け、世の中にゾラの真の意図が伝わることが彼が日本で評価されるためには必須であるように思います。

引き続き次の記事では「ゾラと日本人の道徳観の違い」という切り口からゾラ不遇の理由を考えていきたいと思います。

続く

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ゾラとドストエフスキー

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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