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「ルーゴン・マッカール叢書」第20巻『パスカル博士』の概要とあらすじ
『パスカル博士』はエミール・ゾラが24年かけて完成させた「ルーゴン・マッカール叢書」の第20巻目にあたり、1893年に出版されました。
私が読んだのは論創社出版の小田光雄訳の『パスカル博士』です。
今回は訳者あとがきからこの作品の概要とあらすじを見ていきます。
まず、この作品について訳者の小田光雄氏は次のように述べています。
第二帝政期のみならず、明らかに第三共和制期までのフランス十九世紀後半のあらゆる社会を内包する長大な連作を完成させ、ゾラ自身も感慨無量であったようで、他の作品には見られなかった「私の全作品の要約にして、結論であるこの小説を母の思い出と愛する妻に捧げる」という献辞を掲げています。
論創社出版 小田光雄訳『パスカル博士』P393
24年の間、ほぼ1年に1作のペースで長編小説を20巻も書き続けたゾラ。
1冊1冊の重みを考えると、まさしく異常とも言えるエネルギーでゾラは執筆し続けていたのでありました。
その集大成がこの『パスカル博士』であり、「ルーゴン・マッカール叢書」の締めくくりとしてゾラの思想が最もはっきりと見える作品となっています。
ルーゴン・マッカール家家系図
今作の主人公パスカルは叢書第1巻『ルーゴン家の誕生』で登場し、第5巻の『ムーレ神父のあやまち』でも重要な役割を果たしていました。
パスカルは家系図左側のルーゴン家の一族です。
兄ウージェーヌは『ウージェーヌ・ルーゴン閣下』、弟のアリスティッドは『獲物の分け前』、『金』の主人公でありこの一家がこの叢書でいかに大きな役割を果たしているかが伺えます。
さて今作の主人公パスカルは強烈な個性を持つルーゴン・マッカール一族の中でも特殊な性格を持つ人間でありました。
彼の人柄を知るには叢書第1巻『ルーゴン家の誕生』から振り返る必要があります。訳者あとがきを見ていきましょう。
ルーゴン=マッカール一族の祖であるアデライード・フーク(通称ディッド叔母)の嫡子ピエール・ルーゴンは商人の娘フェリシテと結婚し、三人の息子とニ人の娘をもうけます。
そして「野獣のようにがつがつしているこれらのずんぐりとして貪欲な田舎者集団ルーゴン家」が誕生します。両親の遺伝を受け、長男ウージェーヌは権力を愛し、三男アリスティッドは金を愛するのです。ゾラはその家族のイメージを卓抜な比喩で語っています。
もしどこかの曲がり角で運命の女神に出会ったら、強姦してやろうと身構えていた。まるで騒動に乗じて、追いはぎをしようと待ち伏せている盗賊家族だった。『ルーゴン家の誕生』
ところが次男のパスカルだけは一族の家系の者ではないように見えたのです。パリで医学を優秀な成績で終え、公正な精神を有し、謙虚で学問を愛し、田舎の平穏な生活を好み、その研究は学者の間でも名高いものでした。
だから『パスカル博士』でも言われているように、フェリシテはパスカルに言うのです。「一体お前は誰の子なんだろうね。私たちの子じゃないわ」と。そして必然的にこのようなパスカルがルーゴン家とマッカール家の架け橋になり、一族の者たちの観察者になっていく様子を伝えています。
※一部改行しました
論創社出版 小田光雄訳『パスカル博士』P394
パスカルは権力や金を愛する兄弟とは違い、公正で心優しい性格をしていました。
そしてこの『ルーゴン家の誕生』の物語からほぼ20年後、『パスカル博士』の物語はスタートするのです。
巨大な戸棚の中に収められている様々なメモ、資料、論文はパスカルの三十年以上にわたる研究の集積を示し、それはルーゴン=マッカール一族の家系樹に象徴されています。
つまりパスカルが一貫してルーゴン=マッカール一族の物語の追跡者であり続けていたことを示し、いわば一族の見者、覗く人として「ルーゴン=マッカール叢書」の最終巻の主人公となるです。
そしてパスカルは一族の歴史、出来事を物語ると同時に、一族の祖たるアデライード・フーク、及びアントワーヌ・マッカール、シャルル・ルーゴンの死を看取り、自らも狭心症で、妊娠中のクロナルドを残して死んでいきます。
彼の一族に関するメモ、資料、論文等はおぞましき記録ゆえに、母フェリシテと女中のマルチーヌによって大いなる炎の中に投じられ、無残にも消滅してしまいます。あたかもルーゴン=マッカール一族の物語が幻であったかのように。
フェリシテは記録の焼却とともに一族のおぞましい真実を葬り去り、家族の歴史を偽造し、神話を樹立するために、全財産を寄付して養老院を建てるのです。その地鎮祭のファンファーレを聞きながら、クロチルドは唯一残された家系樹をかたわらにして、パスカルとの間に生まれた息子に乳を飲ませ、この子供に未来を託し、長大な物語が閉じられるのです。
※一部改行しました
論創社出版 小田光雄訳『パスカル博士』P395-396
これが今作のあらすじとなります。
パスカルが長年の間研究してきたのはおぞましきルーゴン・マッカール一族そのものでした。
パスカルは当時急発展していた遺伝学を研究し、この一族に適用し観察していたのです。
つまりこれまで語られてきた19巻の物語はある意味、パスカルによって見られていた物語でもあったのです。
作者ゾラはパスカルという人物を通してこの壮大な作品群を描いたのでありました。
そして今作でパスカルはこれまで語られてきた19巻の物語を回想し、それらを題材に自らの信念や遺伝と人間の関係性、科学と宗教の戦いなど多くのことを語ります。
ゾラが献辞で「私の全作品の要約にして、結論であるこの小説を母の思い出と愛する妻に捧げる」と述べたように、この作品は「ルーゴン・マッカール叢書」を知る上で非常に重要な意味を持つ作品となっています。
感想―ドストエフスキー的見地から
いよいよ「ルーゴン・マッカール叢書」も最終巻となりました。
これまで19巻にわたってそれぞれの社会の悲惨を見続けてきたわけでありますが、最終巻もやはり悲惨です。
母のフェリシテが自らの権力のためにパスカルの研究の抹殺を企み、それによってパスカルは死ぬほど苦しめられます。学者をいじめ抜くやり方は読んでいて胸が締め付けられるような悲惨さです。
しかしこの作品では悲惨の中にも希望があります。
この作品ではその悲惨に打ち勝つほどの希望と愛が主人公のパスカルと恋人クロチルドによって語られるのです。
そのため今作ではこれまでの作品では感じられなかった明るさがはっきりと感じられます。ついに陰鬱な「ルーゴン・マッカール叢書」の世界に希望の光が差し込むのです。
これまで19巻読んできたからこそのご褒美と言ったらよいのでしょうか、これまでのすべての物語を知っているからこそ味わえる感動がこの作品にはあります。
ゾラはただ単に世界の悲惨さや人間の堕落を描いたわけではありません。
そうした悲惨さをありのままに描くことで、そうなってはならないと読者に促すのです。
そしてその背景にある根本思想がこの『パスカル博士』という作品で述べられているのです。
そう考えるとこの作品を読むことでこれまで読んできた作品の意味が自分の中でまた変わってくるようにも感じました。
また、ドストエフスキーを考える上でも今作の『パスカル博士』は非常に重要な問題提起をしてくれました。
宗教は未知の世界、神秘の世界への逃避であり、人生の停滞で、死に他ならないとパスカルは言います。
科学はたしかに世界のすべてを知ることはできない。だが、少しずつ少しずつ未知の領域が小さくなっているのも事実ではないか。
これまでは神秘の世界と片付けられていたものが科学の力で明らかになり、人間は進歩した。その進歩によって救われた人間が数多くいるではないか。
すべてを知ることはできなくとも、人間は前に進み続けなければならない。人間は前に進むことができる。世界を知ることを放棄することは、生の停滞であり死に他ならないのだ。
パスカルはそう言うのです。
科学と宗教をどう捉えるのか。
これはまさしく今、私たちに問いかけられている問題ではないでしょうか。
ゾラは決して単なる古くさい古典の領域の人物ではありません。ゾラは今でも私たちに問いかけてきます。
そしてそれはドストエフスキーも同じです。
改めて名作と呼ばれる作品を残してきた偉大な作家たちの力を感じるばかりでありました。
以上、「ゾラ『パスカル博士』あらすじと感想~ゾラ思想の総決算!ゾラは宗教や科学、人間に何を思うのか 」でした。
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