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「ルーゴン・マッカール叢書」第16巻『夢想』の概要とあらすじ
『夢想』はエミール・ゾラが24年かけて完成させた「ルーゴン・マッカール叢書」の第16巻目にあたり、1888年に出版されました。
私が読んだのは論創社出版の小田光雄訳の『夢想』です。
今回も帯記載のあらすじを見ていきましょう。
ゾラが手繰り寄せた死の奇跡!
無意識から意識へと飛翔する愛の白日夢!
『黄金伝説』に呼び覚まされた薄幸の少女アンジェリックは……。
論創社出版 小田光雄訳『夢想』
今作の主人公アンジェリックはルーゴン家のシドニーという女性の一人娘です。
ルーゴン・マッカール家家系図
このシドニーという女性は「ルーゴン・マッカール叢書」第2巻の『獲物の分け前』にも登場し、兄のサッカールをパリで金儲けさせるために影で暗躍していました。
訳者あとがきには次のように書かれています。
その正体の全貌は明らかにされていませんが、いかがわしい金融や売春を斡旋する女性として描かれ、ルーゴン家の邪悪で陰険な性格を象徴しているように思われます。アンジェリックの出自に関しても、そのような事情が絡んでいるのでしょうし、彼女の父親が誰であるかは不明のままです。『夢想』においても、シドニー夫人は邪悪な存在としてその姿を垣間見せています。ユべールがパリへ上京して彼女の店の周りをうろつく場面です。
そこにはやせて蒼白く年齢も性別も定かでなく、すりきれた古い衣服を身にまとい、ありとあらゆるいかがわしい取引で汚れた女の姿が垣間見られた。思いもかけずに産んでしまった自分の娘のことを思い出しても、売春の周旋をしている女の心が母親らしき情を示すはずもなかった。(39頁)
こうした母親から生まれたアンジェリックは孤児院に捨てられ、養い親のところで育ち、雪の中を『夢想』の冒頭の場面にあるようにボーモンの教会の門扉へとたどりついたのです。そして物語が始まり、刺繍職人であるユべール夫婦の養女となり、それまでとまったく異なる環境のなかで成長していくになります。
論創社出版 小田光雄訳『夢想』P260
母親のシドニーは邪悪な存在であり、遺伝を重んじるゾラにあっては通常ならその娘のアンジェリックもそのような存在にしてしまうでしょうが、この作品ではこの少女は清浄で夢見がちな性格として描かれています。
その舞台となる北フランスのボーモンはカテドラルを中心とする小さな町で、五百年来にわたって生活がほとんど変わっていない宗教的な神秘に包まれ、アンジェリックの暮らす刺繍職人の家はカテドラルに隣接し、あたかもそれと一体化している住居なのです。
その周りにはこれもまた神秘的なマリー菜園が拡がっています。つまり近代都市パリを背景とするルーゴンという家族の欲望と妄想、さらにシドニー夫人の内包する悪の血筋を引さながらも、アンジエリックはそれらから隔離された場所におかれています。
そのためにルーゴン一族の欲望や妄想がアンジェリックの「夢想」として、光と影のように表出するのです。その光と影は聖と俗でもあります。「光」は美しい少女、才能あふれる刺繍女、篤い信仰心、施しにみられる献身的態度、「影」は学問に対する不適応性、怠惰、ヒステリックな発作、熱狂と高慢、過剰なまでの夢想癖であり、この両者のせめぎ合いがこの物語のテーマとなっています。
※適宜改行しました
論創社出版 小田光雄訳『夢想』P260-261
通常なら悪しき血を継いだアンジェリックは悪の道に進むはずでしたが、幸いにもそれを助長するパリから離れ、しかも善良な里親のもとすくすく育っていきます。
ですがやはり血は争えないのか、過剰な夢想癖が顔を出してきます。
そして結局アンジェリックはこの夢想によって命を終えていくことになるのです。
感想―ドストエフスキー的見地から
正直に申しまして、この作品は「ルーゴン=マッカール叢書」20巻中、読んでいて最も困惑する作品でした。
と、言いますのも、アンジェリックの夢想があまりにエキセントリックであり、しかもその夢想に沿う形で本当に王子様が現れて恋に落ち、さらにさらに王子様が駆け落ちまで申し込んでくるという、ゾラらしからぬファンタジー要素があまりに多い筋書きだったからなのです。
概要とあらすじもどう書いてよいのか困るほど、この作品はなんとも言えない物語です。
アンジェリックの夢想はざっくり言いますと、いつか王子様が現れて熱烈に愛し合い、しかも大金持ちになって贅沢な暮らしを楽しむというものでした。
彼女によれば、ただ王子様と愛し合うだけではだめなのです。
その王子様がものすごいお金持ちじゃないとだめだとまでけろっと言い出すのです。
夢想するだけなら誰にだって許されています。アンジェリックが大金持ちの王子様を待ち焦がれるのだって何らおかしなことではありません。
とは言え、アンジェリックは教会に使う衣類の刺繍を仕事とする女性です。しかも悪人たる母親に捨てられた孤児です。そんな少女に王子様が現れるなんてありえません。
ですがこの物語では現れるのです。しかも熱烈に求婚してくるというおまけつきで。
ゾラ先生!どうしちゃったんですか!?
私は読んでいてほとんど置いてけぼりでした。
ゾラは自身でも「現実をありのまま描くこと。空想上の人間を描くのはもってのほかだ」と公言する作家でした。
そのゾラが、しかも前作の『大地』のように、現実の悲惨をあまりに写実的に描いていた作家がなぜここで『夢想』のような作品を描いたのか本当に不思議でした。
「小説なんだから空想の人物を描くのは当たり前でしょ。アンジェリックだって小説の人物なんだから王子様が現れたっておかしくないではないか」
そう思われる方もおられるかもしれません。
ですが、ゾラの「ルーゴン・マッカール叢書」においてはそれは本来タブーなはずだったのです。ゾラはそういうことを嫌うはずだったのです。
だから私は驚いたのです。
普通の小説ならまだしも、あのゾラ大先生が「ルーゴン・マッカール叢書」でそれをやるかというところに驚きがあるのです。
ですがそこはきっと一読しただけではわからない奥深い意味があるのだろうと思います。ゾラがそんな単純に自分のルールを曲げてまで物語を作るということは考えにくいからです。
何度も何度も熟読して参考書などを駆使しながら読む必要がありそうです。
そういう意味ではこの『夢想』という物語は「ルーゴン・マッカール叢書」中、特異な作品と言えるのかもしれません。
私にとってよくも悪くもこの作品は不思議なインパクトを与える作品でした。
今回はドストエフスキーに関したことはお話しできませんでしたが、ゾラを知る上で面白い体験をしたなと感じた一冊でした。
以上、「ゾラ『夢想』あらすじと感想~ゾラの描くファンタスティックな夢想と少女の恋。ゾラらしからぬ作風に驚きです」でした。
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