私とドストエフスキーの出会い⑷ こうして私は腹を決めた~小林秀雄とドストエフスキー

親鸞とドストエフスキー

7月末の子供会での出来事を経て、私は世界一周記の記事を書きながら同時進行で『カラマーゾフの兄弟』を読み始めました。

部分部分で、特に大審問官の章に目を通すことはこれまでも何度もしてきましたが本格的に読み直すのは実に9年ぶりです。

9年ぶりに読み返してみて、私は驚きました。

やはりこの小説はすごい・・・!

初めて読んだ時に衝撃を受けた箇所はもちろん、前回そこまで目に留まらなかった箇所でも「こんなことが書かれていたのか」と新たな感動を受けました。

知識も経験も乏しかった9年前とはまるで違った印象を感じました。

よく「古典の名作は何度も何度も読み返すたびに違った味わいが生まれてくる」と言われますが、まさしくその通りであることを実感しました。

やはりドストエフスキーは巨人だ・・・!

そしてちょうどこの頃、私は『カラマーゾフの兄弟』を読みながら小林秀雄の『読書について』という本も読んでいました。

小林秀雄は昭和に活躍した、「批評の神様」と呼ばれる文学者です。

この『読書について』という本は小林秀雄が読書について書いたエッセイが集められています。

その中で私は彼のこんな言葉に胸を打たれました。少し長くなりますが引用します。

「或る作家の全集を読むのは非常にいい事だ。(中略)読書の楽しみの源泉にはいつも「文は人なり」という言葉があるのだが、この言葉の深い意味を了解するのには、全集を読むのが、一番手っ取り早い而も確実な方法なのである。

一流の作家なら誰でもいい、好きな作家でよい。あんまり多作の人は厄介だから、手頃なのを一人選べばよい。その人の全集を、日記や書簡の類に至るまで、隅から隅まで読んでみるのだ。(中略)

僕は、理屈を述べるのではなく、経験を話すのだが、そうして手探りをしている内に、作者にめぐり会うのであって、誰かの紹介などによって相手を知るのではない。こうして、小暗い処で、顔は定かにわからぬが、手はしっかりと握ったという具合な解り方をして了うと、その作家の傑作とか失敗作とかいう様な区別も、別段大した意味を持たなくなる、と言うより、ほんの片言隻句にも、その作家の人間全部が感じられるようになる。

これが、「文は人なり」という言葉の真意だ。それは、文は眼の前にあり、人は奥の方にいる、という意味だ。」

(『読書について』小林秀雄 中央公論新社 2018年五版発行 P11~13)

その人の言葉を通してその人自身が見えるようになること。それこそ読書の醍醐味である。

あぁ、さすが小林秀雄!なんと心を震わせてくれるのでしょう。

「書物が書物には見えず、それを書いた人間に見えて来るのには、相当な時間と努力とを必要とする。人間から出て来て文章となったものを、再び人間に返すこと、読書の技術というものも。其処以外にはない。P13」

本が本には見えない・・・!

あぁ、こんな境地があったのか・・・

もし今これをやるとすれば・・・それはもう、ドストエフスキーしかない。

・・・でも、ドストエフスキーの全集か・・・

思い付きはしたものの、すぐに決定とはいきませんでした。さすがに相手が悪すぎると尻込みしてしまったのです。

さて、その日のうちに『読書について』を読み終わり、次に読み始めたのが同じく小林秀雄の『ドストエフスキイの生活』でした。

この本は小林秀雄によるドストエフスキーの評伝で、ドストエフスキーの生涯や人間像が小林秀雄流に書かれています。

私は『カラマーゾフの兄弟』を読んではいたものの、このときはまだドストエフスキーの生涯がどのようなものであったかはほとんど何も知っていませんでした。

ですのでこの本が実質、ドストエフスキーの生涯がどんなものだったかを知る初めての資料だったのです。

読み進めていくとドストエフスキーがデビュー作『貧しき人々』で文壇に華々しくデビューし一躍時の人となったものの、間もなく伸び悩み絶望の淵に沈みます。さらにはその数年後には政治犯としてシベリア流刑になったりと思いの他波乱万丈な人生を送っていたことを知りました。ドストエフスキーってこんな人だったのかと驚くばかりです。

そして読み進めていくこと122ページ。私の驚きは頂点に達します。こちらも少し長いですが引用してみましょう。

『ストラアホフの語るところによれば、「ドストエフスキイは、決して巧者な旅行家ではなかった。自然も歴史的な記念碑も、最大の傑作はともかく、美術品さえ格別彼の気を引かなかった。彼の注意はすべて人間に向けられていた。街の一般生活の印象、人々の天性や性格に向けられていた。誰もやる様に、ガイドをつけて、名所見物に歩いたところで仕方がないじゃないか、と彼は熱心に僕に説いた。事実、僕等は何も見学しなかった」。青年時代から憧れていたフロオレンスに行っても、「旅行家のする様な事は何一つしなかった。街を散歩する外、僕等は読書に耽った。当時、ユウゴオの『レ・ミゼラブル』がでた許りで、ドストエフスキイは、毎巻つづけて買い、読み終ると僕に渡して、三四冊は一週間の滞在中に読んでしまった」。』

(『ドストエフスキイの生活』小林秀雄 新潮社 平成24年35刷発行 P122)

1862年、41歳のドストエフスキーは初めてのヨーロッパ旅行に出発します。その旅に途中から合流したのが引用に出てきたストラアホフという友人です。

ドストエフスキーにとってヨーロッパ旅行は長きにわたって憧れの存在でした。

しかし憧れの旅であるはずなのに、ドストエフスキーは旅行中、上に語られたようなありさまだったのです。

ドストエフスキーにとっては観光名所めぐりはもはや頭にありませんでした。彼にとっては街の印象や人々の生活、性格こそ興味をそそる対象だったのです。

「彼の頭には、はやロンドンもパリもない。彼の思想は燃え上る。自由とは何か、同胞愛とは何か。」(P123)

ドストエフスキーのこの姿勢!

この飽くなき人間探究の姿勢に私は痺れたのでありました。

これこそ私がドストエフスキー全集、はては伝記や論文その他の書籍を片っ端から読んでいこうと決意した瞬間でした。

私はドストエフスキーに心の底からシンパシーを感じました。

と言うのも私自身の世界一周の旅もまさにそのような旅だったからです。

もちろん、私の旅でも有名な観光地や芸術もたくさん見てきましたが、それよりもその背景にある文化や歴史、人間そのものにこそ最も興味が引かれたのでありました。

このドストエフスキーとの奇妙な共通点がきっかけで私は今度こそドストエフスキーと対峙する覚悟を決めました。

9年前とは違い、今度はドストエフスキーの全作品が相手です。小説だけでなく書簡から手記まで全部です。

世界一周記の記事が終われば、次にやるべきことはいよいよ親鸞聖人や仏教経典の研究だと私はずっと思っていました。しかし、ここでその前にもう一つやるべきことができたのでありました。

ですが、ドストエフスキーを学ぶことは仏教を理解する上でも必ず大きな役割を果たすことになりましょう。

こうして私はドストエフスキーと向き合うことになったのです。

続く

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