ストラホフ修道院の役割と学問~知性の力と修道士、そしてお坊さん チェコ編④

チェコ編

ストラホフ修道院の役割と学問~知性の力と修道士、そしてお坊さん 僧侶上田隆弘の世界一周記―チェコ編④

ストラホフ修道院には2つの図書室につながる廊下がある。

そこが展示室として現在は使用されている。

これもグーグルマップのクチコミの低評価につながるのだが、たしかにその展示を見るだけではそこに何の意味があるのかがわかりにくい。

説明はあるのだけれども正直ピンとこない。

ただ廊下に沿って古いものが置いてあるだけじゃないかと嘆きたくなる人の気持ちもなんとなくわからなくもない。

ただ、今回、ぼくはガイドさんとここに来ている。

なのでばっちり解説を受けることができた。

そうすると、ここの展示が実はものすごくおもしろいものであることがわかった。

まずは『聖書』。

これは羊皮紙に手書きで書かれたもの。

正確な年代は失念してしまったが、何百年も前に書かれたものがこんなにきれいに残っている。

羊皮紙は読んで字のごとく、ヒツジの皮でできた紙だ。

大量生産はできないが非常に丈夫。

それでこういう大きくて重要な書物に使われるようになっていった。

では、なぜここに手書きの『聖書』が展示されているのだろうか。

それはこの修道院がどのような目的を持って組織されているのかということを示す鍵になるものだからだ。

修道院とは何かということについては、ベツレヘム・断崖絶壁のマルサバ修道院-教会と修道院の違いを考える イスラエル編⑲の記事でも紹介したが、基本的には神への祈りのために俗世を離れて修行する場所とお話しした。

それから時代を経て、ものを生産しながら祈る修道院や、学問を中心とした修道院など様々な形をとった修道院が現れた。

そしてこのストラホフ修道院はその中でも学問を中心にした修道院なのだ。

この修道院がどのように学問の中心として有名になっていったのか。

それを辿るためには、この手書きの『聖書』が一番重要な鍵になっていくのである。

かつては本は大変高価なものであった。

キリスト教を学びたいと志しても、本が手に入らないからそもそも学びようがない。

そこで多くの人と本を共有し、さらにその本を書き写すことで貴重な『聖書』の数を増やしていこうとした。

これがお祈りに並ぶ、修道院の重要な役割だ。

そしてこのストラホフ修道院のように、学問を重視した修道院だとヨーロッパ中から有能な学生が集まってくるようになる。

するとその分だけ『聖書』の需要は増し、さらにはその注釈書などの様々な本が持ち込まれ書写が続けられていく。

そしていつの間にかこの修道院は膨大な書物と優秀な知性が集う大学のような場所になっていったのであった。

それから1492年のコロンブスによるアメリカ大陸発見の後、世界は大航海時代の幕開けとなる。

教会もはるか遠方の地へ宣教の旅へと漕ぎ出していくことになる。

その一人が日本でもお馴染みのザビエルだ。

そうなってくると必要なのは何だろうか。

天文学の知識である。

星が読めなければ大いなる海のど真ん中でただ死を待つしかない。

そしてさらには、

航海日誌である。

こうなってくるとありとあらゆるジャンルの学問がこの修道院に集められ、優秀な頭脳によって研究が進められていく。

そしてまた新たな発見が生まれ、その発見はまたさらなる研究の材料となる。

こうした循環が修道院の中で生まれ、世界の知識はここで加速度的に増えていくことになったのだ。

その知識は国王や貴族、そして当時力をつけてきた商人も見過ごすことはできないほど。

修道院で学ぶ優秀な知能を持つ人間をいかに自分たちの側に引き入れるのか・・・

強力なライバルが世界規模で覇権を争う時代に、修道院で磨かれた知性はいつしか彼らの世界戦略にはなくてはならないものとなっていく。

修道院はそれほど知的な力を擁するようになっていったのだ。

さて、修道院での学問が国家戦略に欠かせぬほどの力を持つようになったという事実。

それは聖職者の知性がどれほど他の人々に比べて抜きん出ていたかを示す。

そしてこのことは日本にも当てはまることなのだ。

そう。お坊さんも同じように国家戦略に欠かせぬ頭脳を提供し続けてきた歴史がある。

それもそのはず、全人口のほとんどが読み書きが全くできない世界で、読み書きどころか現代人も驚くほどの思考や知識を持った人間がいたとすれば、それはとてつもないアドバンテージになる。

お坊さんはお経を読み、そしてそれを研究する。

そう、文字が読めなければ話にならないのだ。

文字を読めるということがどれだけの武器になるかは、読み書きができて当たり前、そしていつでもスマホを通して情報にアクセスできるぼく達にはなかなかイメージしにくい。

だが、かつて、情報元は本しかなかった。

そして書物の言葉はすべて漢字で書かれていた。

日本人は中国の書物を通して最新の研究や世界情勢などを得ていた歴史がある。

そしてそれにアクセスできるのが漢字を読むことができるお坊さんだったのである。

さらに当時最も繁栄していた比叡山延暦寺はそれこそ学問の聖地。

日本中から優れた知性を持つお坊さんが集い、研鑽を積んでいた。

当時の平均的な日本人の知的水準を考えると、読み書きもでき、書物によって膨大な知識を持っていたお坊さんというのは圧倒的な知的エリートだったのだ。

もちろん、貴族社会やその他の役人達も文字を読むことはできた。

しかし、政治的、事務的な作業に時間を費やさざるをえない彼らと、思想や哲学、世界事情の研究や思索に専念するお坊さんではその差は明らかだろう。

だからこそ、日本の歴史にお坊さんの名前が度々出てきたり、政治的な出来事の背景にお坊さんの影が見え隠れするのだ。

文字を読めるということ、そしてそれにより世界や物事に通じることができること。

これは果てしもないほどのアドバンテージなのだ。

修道士やお坊さんが歴史の舞台で活躍するのは、その知的水準の高さによるものが非常に大きい。

宗教的な能力ももちろん重要だ。

しかし、歴史を動かすという現世的な戦いの場では、やはり世界をより知っているものが優位に立つ。

日本の歴史を考えてみるときも、当時のお坊さんがどのような役割を果たしてきたのかという視点で見てみると、また違った見方ができて歴史の勉強が楽しくなる。

きっと、テレビを見ている時や本を読んでいる時も、思わぬ発見ができると思う。

ぜひ、お坊さんが果たしてきたそのような側面にも興味を持っていただけると嬉しく思う。

続く

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