ソ連とドストエフスキー~なぜ私がソ連を学ぶのかー今後のブログ更新について
ドストエフスキーは『悪霊』や『カラマーゾフの兄弟』で来るべき全体主義の悲惨な世界を予言していました
文学は圧倒的な権力の前では無力なのか。思想は銃の前では無意味なのか。
私はやはりソ連の歴史も学ばねばならない。ここを素通りすることはできないと感じました。だからこそ私はドストエフスキー亡き後の世界も学ぼうとしたのでした。
ドストエフスキーは『悪霊』や『カラマーゾフの兄弟』で来るべき全体主義の悲惨な世界を予言していました
文学は圧倒的な権力の前では無力なのか。思想は銃の前では無意味なのか。
私はやはりソ連の歴史も学ばねばならない。ここを素通りすることはできないと感じました。だからこそ私はドストエフスキー亡き後の世界も学ぼうとしたのでした。
アウシュヴィッツはあまりに強烈な体験だった・・・
しばらくは何もする気が起きませんでした。
いや、何もできなかったと言う方が正しいのかもしれません。
ですが、そんな空っぽになってしまったかのような頭の中に、ふとよぎるものがありました。
「さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまいもするべし」
そう。以前エルサレムのホロコースト記念館、ヤド・ヴァシェムの記事でもご紹介した『歎異抄』の言葉でした。
アウシュヴィッツに実際に行って、私はどんな思いを抱くのだろうか。
旅の前にはそんなことをよく考えていた。
では、実際私はここに来て何を感じたのか?
それは「何も感じないこと」の恐怖であった。アウシュヴィッツは「普通の場所」だった。だがそのことに私は戦慄を感じたのでした
ナチスがユダヤ人をどのように扱ったのかというのは博物館の展示でも大きなテーマとして取り上げられています。
「人間の本質が極めて特異な形で現れたのがホロコースト。」
エルサレムの「ヤド・ヴァシェム」でガイドさんが言っていた言葉です。
だからこそ、ここアウシュヴィッツで学んだことを「ここで悲惨なことがあったのだ」で終わらせてはなりません。
2019年4月14日。
私はポーランド最大の目的地、アウシュヴィッツに向かいました。
幸い、朝から天候にも恵まれ、前日までの凍てつくような寒さも少し和らいだようだ。
クラクフのバスターミナルからバスでおよそ1時間半。
アウシュヴィッツ博物館前で降車します。
この記事では私のアウシュヴィッツでの体験をお話しします。
ヤド・ヴァシェムを見学中、ふと馴染みのある言葉が聞こえてきました。その声のもとに近づいていくと、なんと日本人の団体が!
まさかここで日本人に出会うとは思っていませんでした。日本からやって来たクリスチャンのグループだそうで、ありがたいことに私もご一緒させて頂くことになりました。
エルサレム旧市街からトラムで郊外へ向かいます。これから訪れるのはヤド・ヴァシェムと呼ばれるホロコースト記念館です。実はここエルサレムに来る前は、このヤド・ヴァシェムに行く予定はありませんでした。
ですが、ここエルサレムで様々なことを目にする内に、やはり訪れるべきなのではないかという気持ちが強くなってきたのです。
さらに、イスラエルの次の目的地はポーランドのクラクフ。そう、私はこの後アウシュビッツを見に行くのです。この記事ではそんなヤド・ヴァシェムでの体験をお話ししていきます。