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ソ連とドストエフスキー~今後のブログ更新について
前回の記事(2021年2月24日当時)で一カ月ほど続いたチェーホフの記事を終了しました。
そしてここからはチェーホフ以降のロシア、すなわちソ連時代のロシアに突入していきます。
実は私は元々、ソ連史を学ぶ予定ではありませんでした。あくまでドストエフスキーを学ぶために同時代の文学やヨーロッパを学びはしましたが、彼の死後の世界まで学ぼうとするとそれこそどれだけ時間があっても足りないのではないかと恐れていたのです。
ですがチェーホフを読み、そして佐藤清郎氏の『チェーホフの生涯』をはじめとした様々な本を読んだことでドストエフスキー亡き後の世界を知ることが、実はドストエフスキーその人を知る大きな手掛かりになることを私は知りました。
チェーホフが大先輩であるドストエフスキーやトルストイをどのように見ていたのか、そしてチェーホフがどのように時代を見ていたのかを学ぶことでよりドストエフスキーの特徴が見えてくるようになったのです。
そして私はチェーホフに引き続きゴーリキーも読んでみました。ゴーリキーはソ連を代表する作家です。ゴーリキーについても佐藤清郎氏は『ゴーリキーの生涯』という大部の伝記を残しています。その伝記を読むと帝政末期のロシアの雰囲気やソ連世界の歴史も覗き見ることができました。
その本を読んでいて、ソ連世界は私の想像するよりはるかに強烈な世界なような気がしました。
あの世界で一体何が起きていたのか。そして前から気になっていた「あること」を確かめたくなってきました。
そうです。「ドストエフスキーはソ連でどのように受け止められていたのか」ということです。
これまでもこのブログでご紹介してきたように、ソ連においてドストエフスキーはソヴィエト的イデオロギーに沿う形で捉えられようとしていた歴史があります。
ドストエフスキーが無神論者でありロシア皇帝暗殺を求める革命家であったという説が出てくるのもこうしたソ連のイデオロギーが強く作用しています。
私は上に挙げた本などによりそうしたドストエフスキー受容を知りましたが、では実際にソ連時代のことを知っているかというとほとんど知りませんでした。
そもそも1917年のロシア革命とは何だったのか。レーニン、スターリンは何者だったのか。ソ連時代の人々の生活はどのようなものだったのか。
考えてみればみるほど、私は何も知らないことがはっきりとしてきました。
チェーホフ、ゴーリキーを知りドストエフスキー亡き後の世界を知ることの意義を私は知りました。こうなったらもうやるしかありません。
ドストエフスキーは『悪霊』や『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官の章」で来るべき全体主義の悲惨な世界を予言していました。
そして驚くべきことに、『悪霊』や『カラマーゾフの兄弟』で説かれていたことが彼亡き後のロシアで現実になったのです。ドストエフスキーがいかに世界を見通していたかがわかります。
ドストエフスキーが彼の作品の中で警告していた事態が現実になってしまった。
トルストイも作品を通して「非暴力」を訴えていましたが結局ロシアは暴力の時代へと突き進んでいくことになります。
文学は圧倒的な権力の前では無力なのか。思想は銃の前では無意味なのか。
私はやはりソ連の歴史も学ばねばならない。ここを素通りすることはできないと感じました。
この後の記事ではまず帝政末期のロシアとロシア革命、そこからレーニンとスターリンについて進めていきます。
そこから第二次世界大戦における独ソ戦とスターリンによる大テロル(大量粛清)、ナチスのホロコーストも学んでいきます。人間の暴力の歴史を知るにはこの戦争中に起きた出来事が大きな手掛かりになると思います。
そして最後はソ連崩壊時のロシアと、そこに影響を受けた東欧世界についても調べていきたいと思います。
ここから先は直接的にはドストエフスキーとのつながりがないかもしれません。しかし、ドストエフスキーが予言した世界が現実のものとなった事実。その世界で一体何が起こっていたのか。それを学んでからもう一度『悪霊』や『カラマーゾフの兄弟』を読んだ時に私の中でどんな思いが浮かんでくるかを確かめたくなってしまいました。
本来はツルゲーネフを読んだ後にすぐにトルストイに入っていく予定でしたがとてつもない回り道となってしまいました。いつになったらトルストイに入れるか予想がつきません。ですが「読みたいものを読む!」、これも読書の醍醐味です。
では、次の記事より「ソ連とドストエフスキー」の記事を始めていきます。
以上、「ソ連とドストエフスキー~なぜ私がソ連を学ぶのか―今後のブログ更新について」でした。
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