帝政末期・ソ連時代を代表する作家ゴーリキーとドストエフスキー

ソ連とドストエフスキー

帝政末期・ソ連時代を代表する作家ゴーリキーとドストエフスキー

ゴーリキー(1868-1936)はロシア帝政末期、そしてソヴィエト時代を代表する作家として知られています。

彼はこれまでご紹介してきたチェーホフとも深い交友関係があり、トルストイとも親交がありました。

そして何よりソヴィエトを代表する人物レーニン、スターリンとも深い関係を持ち、ソヴィエトにおける文学界に多大な影響を及ぼしました。

私がこの人物を読むきっかけになったのはやはりチェーホフの影響です。

チェーホフを知ることはドストエフスキー亡き後のロシアを知ることにつながりました。ドストエフスキー亡き後、ロシア皇帝アレクサンドル2世が暗殺されたことにより、その後のロシアは弾圧政治に入ることになります。

そのため秘密警察や検閲の影響が強まり、文学は下火になってしまいました。

そして人々は無力感に苛まれ、「なぜ生きるのか」「どう生きるべきなのか」という問いは古くさくて価値のないものと化していってしまったのでありました。

その辺りの顛末は以前紹介したチェーホフの記事でお話ししていますのでぜひこちらもご覧ください。

こうした帝政末期からさらに時代は進み、ロシアはソ連へと変わっていきます。こうなってくるとロシア文学をめぐる状況はさらに変わってきます。

ドストエフスキーは『悪霊』や『カラマーゾフの兄弟』で社会主義思想によって人々の自由が失われる時代が来ることを予言しました。

そして実際にロシアはその通りになってしまったのです。ドストエフスキーがあれだけ危惧して読者に語りかけていたにも関わらず、そうなってしまったのです。そしてドストエフスキーは国民からもあまり読まれなくなった・・・

これは文学の敗北、思想の敗北なのではないかと私はふと思ってしまいました。いくら文学や思想を述べても、権力や武力で脅されたら私たちは無力なのではないか・・・そんなことを私は感じてしまったのです。

文学・思想の敗北・・・

チェーホフを読み、そして帝政末期、ソ連の歴史を知ることでこれが私の中で大きな課題となったのでありました。

そしてこれは何もドストエフスキーに限ったものではありません。実はあの『ドン・キホーテ』も作品の結末ではそれが暗示されているのです。

さらに言えば私は僧侶でありますが、仏教だって同じです。時代の流れによっては不要なものとされるかもしれない。このままでは仏教も同じ道を辿るかもしれない。そんな危機感を感じたのでありました。

そのためこうした時代を学ぶために、まずはソ連を代表する作家ゴーリキーを読んでみようと私は思ったのです。

ゴーリキーとは

マキシム・ゴーリキー(1868-1936)は帝政末期からソ連時代にかけて活躍した作家です。

彼が一体どんな人物だったかといいますと、彼の代表作『どん底』の巻末解説にわかりやすく述べられていましたのでそちらを引用します。

ゴーリキイはよく、人生の「どん底」から来た作家だと言われる。まさかそれほどではなかったにしても、たしかに一度は、身みずからどん底生活をくぐった体験のある人で、同国同時代の作家はもちろん、全世界の文学者中にあっても、異数、いや、ほとんど唯一ともいえるほどの出身経歴を持った人であることに異論はない。

彼は、まだ十歳にもならないうちから、家計を助けるために町のくず拾いとなり、間もなく家をはなれて靴崖の小僧を振りだしに、製図屋の徒弟,ウォルガがよいの船のコックの見習い、聖像絵師の下職,パン工場の職人、荷揚げ人足、番人、放浪者等々,わずか数年の間にじつに目まぐるしいばかりの境遇の転換を行なった。(中略)

こうしてゴーリキイは、その年少時代に、一時跣足男ボシャーク(※上田注 どん底生活者の意)の一人であった。

この、跣足男から、まだ若くて一躍文壇の寵児となったゴーリキイ最後の転身のあざやかさは、その出身の数奇以上に世人の耳目をそばだたせたものであるが、ではゴーリキイは、それだけの教養と準備を、いつの間にどこから得たのだろうか?

学校教育といっては、わずかに五か月小学校へかよったきりで、その後はほとんど、幼年時代からはやくも「人々の中へ」出て、自分自身の労働によってからくも口をのりして来たような、悲惨きわまる境涯にあったのであるから、もし、ウォルガがよいの一汽船にコックの下働きとして住みこんだ時(十二歳)、その後の彼の生涯にとってもっともよき指尊者となったスムーリンというコックにめぐりあわなかったら、せっかくの彼の才能も、永久に世に現われないでしまったかも知れないのである。(このへんの消息も伝記にくわしい。)

このスムーリンによってかきたてられた読書欲・知識欲によって、その後の彼は、年少にしてみずから養うものの苦しい生活を戦いながらも,わずかな暇をぬすんでは、ひたすら独学の途に精進した。

そして、一八九二年には処女作『マカール・チュードラ』(,,MaKap Чyдpa”)をだし、同九五年には『チェルカッシュ』(,,Чepкaш”)を発表して、一挙に文名を確立し(ときに二十七才)、一九〇二年には『どん底』の名作によってさらに、その世界的名声をゆるぎないものとしたのである。

こうして、今日のゴーリキイは、世界文学界の長老、ソヴェート文壇の元勲として、およそ文人の登りうる最高峰の頂点に坐し、その名の普遍化の点においてむしろ一個の偶像である。
※適宜改行しました

岩波書店 中村白葉訳『どん底』P162-163

次の記事ではゴーリキーのおすすめ伝記をご紹介します。

若きゴーリキーのどん底から這い上がってくる波乱万丈すぎる経歴には驚くばかりでした。

そしてその後に彼の代表作『どん底』を紹介していきたいと思います。

以上、「帝政末期・ソ連時代を代表する作家ゴーリキーとドストエフスキー」でした。

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