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チェーホフの生涯と代表作、おすすめ作品一覧―年表を参考に

目次

はじめに

チェーホフ(1860-1904)Wikipediaより

ドストエフスキー亡き後のロシアで活躍した作家、チェーホフ。1880年代以降のロシアは革命前の暗い時代に突入していきます。

チェーホフを学ぶことで当時の時代背景や、ドストエフスキーやトルストイがどのようにロシア人に受け止められていたかが見えてくるようになります。これはドストエフスキーを学ぶ上でも大きな意味があります。

というわけで今回は年表を用いてチェーホフとは一体どんな人なのかということををざっくりとお話ししていきたいと思います。

チェーホフってそもそもどんな人?

年表を見ていく前にかなりざっくりでありますがチェーホフとはそもそもどんな人だったのかということを見ていきたいと思います。

チェーホフは1860年、南ロシアのタガンローグという港町で生まれました。

チェーホフの家系は元々農奴でした。チェーホフの父は商店を経営していましたが農奴上がりの商人であるということはチェーホフにおいても大きな意味を持つものになりました。

ここにドストエフスキーやトルストイ、ツルゲーネフという貴族出身の作家との大きな違いがあります。

そしてチェーホフを知る上で非常に重要な点は、彼が医者であったということです。彼は作家として世界中に名を知られていますが医者兼作家、あるいは作家兼医者という立場でずっと作品を書き続けていたのです。

特に彼の医学部生時代や作家になってからしばらくは、経済面を支えるためになんとか文章を書き上げて生活費の足しにしていたというほどでした。チェーホフは作家としてデビューした後も医者としての自分を決して捨てたりはしなかったのです。

医者は世界を科学的に見ていきます。その冷静な視点がチェーホフ文学の特徴にもなっていくのです。

農奴出身の家系で医者兼作家。

これがチェーホフを知る上で非常に重要な点です。

ではここから年表を見ていくことにしましょう。

チェーホフ年表

1860年(0才) タガンローグにて3男として生まれる。

1876年(16才) 父の商店の破産。一家はモスクワへ夜逃げ。チェーホフはそのままタガンローグに残り中学卒業までの3年間家庭教師をしながら自活。

1877年(17才) ユーモア雑誌をしきりに読む。ツルゲーネフ『処女地』、トルストイ『アンナ・カレーニナ』

1879年(19才) タガンローグ中学校卒業。市の奨学金を得て8月にモスクワに出た後、モスクワ大学医学部に入学。10月頃から短編を雑誌に投稿し始め、12月に短編『学のある隣人への手紙』が「とんぼ」誌に採用され、これが作家チェーホフのスタートとなる。

1880年(20才) 『隣の学者への手紙』が「とんぼ」誌に掲載される。ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』完結

1881年(21才) 主にペンネーム「アントン・チェーホンテ」を名乗りユーモア短編を次々と投稿。以後作家活動が盛んになる。ドストエフスキー死去。ロシア皇帝アレクサンドル2世暗殺される。ロシア政府による弾圧が強まる。

1883年(23才) ツルゲーネフ死去。ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』

1884年(24才) モスクワ大学医学部卒業。医師チェーホフの始まり。年末初めての喀血。以後結核の症状が少しずつ現れる。

1886年(26才) 文壇の長老グリゴロヴィッチから「才能の濫費」を戒める忠告、激励の手紙をもらう。ダーヴィンを愛読。この頃から優れた作品が多くなる。『聖夜」『不幸』『魔女』『アガーフィア』など

1887年(27才) 『アンナ・カレーニナ』愛読。故郷タガンローグに旅立つ。この時の印象が名作長編『草原』につながる。劇作『イヴァーノフ』を書き、コルシュ座で上演、成功を収める。『敵』『チフス』『幸福』

1888年(28才) 『草原』脱稿。10月作品集『たそがれに』でプーシキン賞受賞。作曲家チャイコフスキーと知り合う。

1889年(29才) ペテルブルクに滞在。病気の次兄ニコライを看病するも死去。『退屈な話』『かけ

1890年(30才) 4月21日、サハリンへと旅立つ。7月9日サハリン到着。10月、日本領事久世げん、書記生鈴木陽之、杉山次郎と交流。10月13日南サハリンより帰国の途につく。12月8日モスクワ到着。ゾラ『獣人』

1891年(31才) 『決闘』『女たち』『妻』執筆。ロシア大飢饉。シベリア鉄道建設開始。

1892年(32才) 年初から飢餓者救済のために奔走。7月にはコレラ防疫に参加。名作中編『六号病棟』発表。ゴーリキー『マカール・チュドラ』でデビュー。

1893年(33才) 『サハリン島』執筆開始

1894年(34才) 『ロスチャイルドのバイオリン』『黒衣の僧』『国語教師』。ロシア最後の皇帝ニコライ2世即位

1895年(35才) ヤースナヤ・ポリャーナにトルストイを訪ねる。

1896年(36才) 『中二階のある家』。劇作『かもめ』をペテルブルク・アレクサンドリンスキイ劇場で初演するも大失敗。しかし2年後の1896年、モスクワ芸術座での講演で驚異的な成功を収める。

1897年(37才) 3月末喀血。トルストイが見舞いに来て芸術や不死について語り合う。フランスで起きたドレフェス事件に関心を持つ。

1898年(38才) 冤罪で起訴されたドレフェスを擁護するフランス人作家エミール・ゾラに強い共感を覚える。『箱にはいった男』『すぐり』『恋について

1899年(39才) トルストイがチェーホフの『可愛い女』を絶賛する。『ヴァ―ニャ伯父さん』初演。『犬を連れた奥さん

1900年(40才) アカデミー名誉会員に選ばれる。『谷間

1901年(41才) 『三人姉妹』初演。オニガ・クニッペルと結婚。

1902年(42才) タガンローグ図書館へ多数の図書を寄贈する。ゴーリキーがアカデミー名誉会員に任命されながら、革命家であるという理由で皇帝の恣意により取り消されたのに抗議して、自らも名誉会員を辞退する。ゴーリキー『どん底』

1903年(43才) 『いいなずけ』

1904年(44才)桜の園』初演。病状悪化。7月2日死去。日露戦争勃発。

私が選ぶチェーホフおすすめ作品

チェーホフは驚くほど膨大な量の作品を生み出しています。ドストエフスキーやトルストイは重厚な長編小説を生み出しましたがチェーホフの本領は短編、中編小説、戯曲にあります。

それらはコンパクトにまとめられた物語が大半ですので気楽に読むことができます。これのありがたいところは気が向いたときにぱっと手に取り、何度も読み返すことができる点です。ドストエフスキーやトルストイではなかなかそうもいきません。

上の年表でも重要な作品は書かせて頂きましたが、以下はこれからブログで紹介していく私の個人的なおすすめ作品です。

1883年 『仮装した人々
1888年 『曠野』、『ともしび
1889年 『退屈な話』、『かけ
1891年 『決闘
1892年 『六号病棟
1894年 『黒衣の僧』、『ロスチャイルドのバイオリン』、『サハリン島
1896年 『かもめ
1898年 『箱に入った男』、『すぐり』、『恋について』『可愛い女
1899年 『ヴァーニャ伯父さん』、『犬を連れた奥さん
1900年 『谷間
1901年 『三人姉妹
1902年 『僧正
1904年 『桜の園

まとめ

チェーホフは農奴の家系に生まれ、そこから貧しい生活をしつつも必死に勉強し医者へとなりました。

普通なら身を持ち崩すような環境にいながらチェーホフはまったくそのような道には行きませんでした。異常なほどの意志力、克己心が彼の内にはありました。

そしてこの年表を見て驚かれた方もおられるかもしれません。

チェーホフは1890年、30才の時になんとサハリン島まで旅をしているのです。

その時日本人とも交流をしています。

チェーホフは当時地獄の島と呼ばれていたサハリン島へと調査旅行に出ました。そこは流刑囚が送られていた監獄の島だったのです。そこで人間の残酷さや社会の不公正を自分の目で見たいとチェーホフは旅に出たのです。その時チェーホフは文壇でようやく確固たる地位を得たところだったのにそれを投げ捨ててでも旅に出ようとしました。しかも持病の結核も悪化の兆しを見せていました。それでもなお強硬出発するチェーホフ。やはり並大抵の精神力ではありません。

サハリン島旅行については後の記事でも改めて紹介しますが、チェーホフという人物を知る上でこの出来事は非常に重要な位置を占めています。

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チェーホフという作家は非常に面白いです。そしてもちろんながらその作品たちもかなりの強者揃いです。最初はチェーホフで最も有名な『かもめ』や『桜の園』などの戯曲だけを読むつもりでしたが、チェーホフを知れば知るほど彼の世界観に引き込まれてしまいました。結果、戯曲だけではなく彼の代表的な小説作品も読んでいくことになったのでした。

正直なところ、戯曲は本で読むより、実際に舞台を観た方が絶対に面白いと思います。本で読んでみてももちろん面白いのですがなかなか伝わりにくいところが多いです。しかもチェーホフはシェイクスピアのようにわかりやすい波乱万丈の事件や派手なセリフを用いません。日常の中に潜むささやかな出来事を題材に舞台を作っていきます。これはなかなか本では難しいなと感じました。これについてはまた別記事でお話ししていくことになります。

チェーホフを読んでいて本当に感じたのは、彼の小説はえげつないということです。有名なのは戯曲の方かもしれませんが、本でしか彼を知れない私にとっては、彼の小説はあまりに破壊力がありました。真に恐るべきは彼の小説であった。これが私の正直な感想です。

チェーホフ作品は今の日本にこそもっと広まってほしい。フランス人作家のゾラを読んだ時もそのように感じました。ぜひ皆さんにもチェーホフという人を知って頂きたいなと思います。恐ろしい作家と出会ってしまいました(もちろん、いい意味でです)。

以上、「チェーホフの生涯とおすすめ作品一覧―年表を参考に」でした。

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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