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スラブ派・西欧派とは?ドストエフスキーとツルゲーネフの立場の違い―これがわかればロシア文学もすっきり!

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スラブ派・西欧派とは?これがわかればロシア文学もすっきり!

ドストエフスキーやツルゲーネフ、トルストイの作品や解説を読んでいてよく出てくるのがタイトルにもあるスラブ派・西欧派という言葉。

ドストエフスキーはスラブ派の代表とされ、それに対し西欧派の代表としてよく挙げられるのがツルゲーネフになります。(※厳密に言うとスラブ派の中にも様々な立場があり、ドストエフスキーを単にスラブ派とくくるのは難しく、同じくツルゲーネフも単純には西欧派とは言えないのですがこの記事では便宜上そうさせて頂きました)

これら二つの派をものすごくざっくり言うならば、スラブ派というのはロシア大好き派、西欧派というのはヨーロッパ大好き派ということになります。

これは日本の幕末から明治維新にかけてもあった議論です。

尊王攘夷派と開国派も似た原理です。

「日本固有のものこそ重要だ。西欧にかぶれてはこの国はだめになる!」

「いやいや、今こそ古い日本を打ち壊して進んだ西欧文明を取り入れて生まれ変わるべきだ!」

云々という議論とそっくりです。

意外かもしれませんがロシアはかつてヨーロッパからすればアジアの辺境の国という扱いだったのです。

1700年代初頭にピョートル大帝によってサンクトペテルブルクが造成され一気に西欧化が図られましたが、それでもなおイギリスやパリ、ドイツなど西欧諸国からすれば遅れた国という扱いだったのです。ロシアの西欧化については以下の記事をご覧ください。

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日本もそうしたヨーロッパ列強との関わりから西欧化に対する議論が生まれましたが、ロシアも日本と同じようなことに悩んでいたのです。

そうした時代背景の下スラブ派と西欧派という二大潮流が生まれてきたのです。

今回の記事では佐藤清郎の『ツルゲーネフの生涯』とアンリ・トロワイヤの『トゥルゲーネフ伝』にこれら「スラブ派」、「西欧派」についてわかりやすい解説がありましたのでご紹介していきます。

これがわかればドストエフスキーとツルゲーネフの立場がよりわかりやすくなり、読書の助けになること間違いなしです。かなりすっきりします。

では、早速始めていきましょう、

この時代はデカブリスト事件後の沈滞期から、ようやく経済的、社会的に気分の上昇のきざしが見え始めたころで、商品流通が活発化し、大都市に人口が集中し、最初の鉄道建設が行なわれ、蒸気機関利用の技術革新の時代に入り、書籍出版も一段と盛んになった反面、農村で地主対農民の階級闘争も激しくなり、言論統制は強化され、大学はしばしば閉校になり、反動の手先による密告が横行し、賄賂、汚職が日常的現象となっていった時代でもあった。

このような状況の中で先進的知識人の間では反体制ムードが高まっていった。べリンスキーはこの時期にピエール・レルーやジョルジュ・サンドを愛読し、社会主義に関心を持つとともに、へーゲル哲学の現実肯定から脱皮して、現実批判、「否定」主義者に変貌していったのである。

筑摩書房 佐藤清郎『ツルゲーネフの生涯』P36-37

デカブリスト事件とは1825年に青年将校らによって起こされた反政府の反乱です。この反乱は政府にあっという間に鎮圧され、その後反体制派を恐れたニコライ一世による恐怖政治がスタートすることになりました。

デカブリストの乱 Wikipediaより

そうした時代状況の中でこのままではいかんと知識人たちが立ち上がり西欧派が出来上がっていきます。そしてその中心がベリンスキーという批評家だったのです。

次にアンリ・トロワイヤの『トゥルゲーネフ伝』を見ていきましょう。

この時期、帝国の文学界は二つの思潮に分かれていた。一つはスラヴ派で、彼らは芸術、哲学、政治上の救済をすべて、純粋にロシア的で伝統的、かつ正統的な大地に根ざした霊感にしか求めないのだった。今一つは外国の影響の恩恵を推奨する、西欧派である。

前者は祖国の過去と、その固有の特質を大事にしており、新来の思想に汚染されるのを恐れ、ロシアが人類の精神的指導者の役割を担うべきだ、と主張していた。後者の西欧派は、自分たちは世界に対して、また進歩に対して開かれていると言い、ロシアがヨーロッパと融合することを願っていた。
※一部改行しました

水声社 アンリ・トロワイヤ 市川裕見子訳『トゥルゲーネフ伝』P41

これがスラブ派と西欧派のざっくりとした解説となります。当時のロシア文学は純粋な娯楽や芸術としてだけではなく、国や人間のあり方について激論を交わす場として存在していたのです。

彼らにとっては文学とは自分の生き方、そして世の中のあり方を問う人生を賭けた勝負の場だったのです。

そういう背景があったからこそ、19世紀ロシア文学はドストエフスキーやトルストイをはじめとした多くの作家が異常な熱量と深刻すぎるほどの思索を通して名作を生み出していくことができたのです。

その尋常ではない熱量、覚悟が今なお世界中でロシア文学が愛されている理由の一つなのではないかと私は考えています。

さて、ここまでスラブ派西欧派と2つの陣営を見てきましたが、ツルゲーネフがそれらについてどう思っていたのかといいますと次のようになります。

べルリンでかつて学び、シラー、ゲーテ、ジョルジュ・サンド、へーゲル、フィヒテの讃美者であったトゥルゲーネフは、どちらかといえば西欧派の一団に惹かれるのを感じていた。

しかしロシアの土、ロシアの民衆に対して強い愛情を抱いていたので、国家の祖先の大本をなすものには何であれ愛着を抱く、一部の人々の気持ちも理解できた。

どれほど外国からの知識を体裁よく身につけていようと、自分の全身全霊は、草一本に到るまで知悉しているこの広大な国に属している、という確信があったのである。

西欧を愛し、その作家や画家、音楽家、哲学者を高く評価しながら、しかもあの教養をもたない、毎日曜日教会で額ずく百姓たちの同胞となる、ということは出来ないのだろうか?

彼自身は、ロシアとヨーロッパの双方に対して強い帰属意識を持っていた。同様に、スラヴ派と西欧派のどちらも選ぶことが出来なかった。芸術においても政治と同じく、彼は断定的な意見、断固とした立場を取ること、知識人の狂信などに対しては用心深かった。どのような提言においても、その賛否両論を見るのだった。

しかし先進的な思想を持った青年たちの集まりには、喜んで顔を出した。時代の子でもあった彼は、こうした若者たちの自由主義的なものの見方を共有してはいたが、活動家としての意欲は持てないのだった。
※一部改行しました

水声社 アンリ・トロワイヤ 市川裕見子訳『トゥルゲーネフ伝』P41

私はトロワイヤの『トゥルゲーネフ伝』を読んで驚いたことがあります。

それがこの箇所だったのです。

私はこれまでツルゲーネフはロシアが大っ嫌いでヨーロッパが大好きな人間だと思っていました。

ですが実際はそんな単純なものではなかったのです。

ツルゲーネフはツルゲーネフなりにロシアを愛していたのです。愛していたからこそ悪い部分が憎らしい。愛するが故に憎んでいたのです。

この『トゥルゲーネフ伝』ではそうしたツルゲーネフのロシアへの愛が頻繁に出てきます。そして同時にヨーロッパに対する批判も出てきます。驚くべきことにツルゲーネフはヨーロッパに完全に敬服していたわけではなかったのです。

伝記を読んで驚いたのですがイギリスやパリに対して不満を吐露している場面がいくつもあります。

上の引用にもありますように、

彼自身は、ロシアとヨーロッパの双方に対して強い帰属意識を持っていた。同様に、スラヴ派と西欧派のどちらも選ぶことが出来なかった。芸術においても政治と同じく、彼は断定的な意見、断固とした立場を取ること、知識人の狂信などに対しては用心深かった。どのような提言においても、その賛否両論を見るのだった。

水声社 アンリ・トロワイヤ 市川裕見子訳『トゥルゲーネフ伝』P41

というのが彼の実際の立場だったのです。たしかに彼は西欧派ではありましたがガチガチに固まった西欧派ではなかったのです。

西欧派の中心人物であったバクーニンやチェルヌイシェフスキーなどは社会主義思想に傾倒し過激化していきますが、ツルゲーネフはそうした過激な思想を好まず、距離を置くことになります。

彼はあくまで穏健な中道主義者であり、時代の観察者でした。

そのためスラブ派だけではなく西欧派からも彼は激しい批判や中傷を浴びることになっていくのです。

ですのでツルゲーネフを西欧派の代表と呼ぶのは正しくはあるものの正確にはなんとも言い難いのではないかという気が今となってはしています。

穏健で漸進的、平和主義的な西欧派というのが一番近いのかもしれません。ロシアの全てを破壊して新たな西欧ロシアを作ろうという過激な西欧派とはだいぶ違った思想をツルゲーネフは持っていたようです。あくまで彼は彼なりにロシアを愛していたのです。

それでもなおロシアは居づらく、生涯のほとんどをヨーロッパで過ごすことにはなるのですが・・・

さて、ここまでスラブ派と西欧派についてざっくりとお話ししてきましたがその違いが何となく見えてきたかと思います。

この違いがわかるとそれぞれの作品を読んだ時に作者は何を思い、何を願って作品を書いているかがよりわかりやすくなります。ドストエフスキーはスラブ派寄りです。ですのでロシアの精神を大切にします。それに対しツルゲーネフはヨーロッパ精神を重んじます。

こうしたことがわかるだけで作品の見え方ががらっと変わってきますので、ぜひ楽しんで頂けたらなと思います。

以上、「スラブ派・西欧派とは?ドストエフスキーとツルゲーネフの立場の違い―これがわかればロシア文学もすっきり!」でした。

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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