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エミール・ゾラとドストエフスキーまとめ―「ルーゴン・マッカール叢書」を読んで
エミール・ゾラ(1840-1902) Wikipediaより
ここまでおよそ30回にわたってエミール・ゾラについてお話ししてきましたが、今回でまとめに入っていきたいと思います。
ここまで何度もお話ししてきましたように、ドストエフスキーはヨーロッパ、特にフランスの影響を強く受けています。
青年期のドストエフスキーはフランスの文豪バルザックに傾倒し、19世紀前半のフランス文化に憧れを抱いていました。
しかし1849年のシベリア流刑を経て、ドストエフスキーの思想にも変化が起き、1864年の『地下室の手記』という作品では露骨にヨーロッパ思想を批判することになっていきます。(それ以前にもドストエフスキーの初めての西欧旅行を題材にした旅行記『冬に記す夏の印象』でも、西欧文明を批判しています)
ドストエフスキー自身の変化はもちろん、フランス自体もこの時期には大きな変化を迎えていたのです。
ゾラを学ぶことはドストエフスキーが批判する当時のヨーロッパ思想を学ぶのにうってつけでした。
「ルーゴン・マッカール叢書」は第二帝政期(1852-1870)をくまなく描写した作品群です。(※「エミール・ゾラ『ルーゴン・マッカール叢書』とは」参照)
ゾラのおかげでドストエフスキーが何に怒っていたのか、何にがっかりしていたのかがよりイメージしやすくなったように感じます。
ドストエフスキーの言葉だけでそれらをイメージするよりも、批判される対象を直接知った方が明らかに想像しやすくなりました。
私にとってこれがゾラを読んで一番よかった点だったように思います。
第2の点はゾラとドストエフスキーの小説の書き方の違いを学ぶことができた点です。
ゾラは科学的に、合理的に小説を書いていきます。まるで現場で登場人物のそばで密着撮影しているかのように情景を描いていきます。読んでいるとまるで映画を見ているような、そんな感覚を抱くほどです。(※「ゾラの小説スタイル・自然主義文学とは―ゾラの何がすごいのかを考える」参照)
それに対しドストエフスキーはとにかく会話や心理描写が多いです。それぞれの登場人物の思考の流れが延々と描写されていきます。
ゾラが客観的な情景描写を重んじたのに対し、ドストエフスキーは人間の内面をひたすらえぐっていくのです。
さらにゾラが人間心理を合理的に把握しようとしていったのに対し、ドストエフスキーは人間はそもそも不合理な存在であるという立場で物語を描きます。
人間は何をしでかすかわからない。そんな混沌を物語に描いたのがドストエフスキーなのです。
ゾラとドストエフスキーは合理的VS非合理的という構図を知る上でこの上ない比較対象だと思います。
比べてみるとドストエフスキーがいかに人間の内面の不可思議な動きを追って行ったのかがとてもわかります。
そして、ゾラだけでなくここまでフランスについて50本以上ブログの更新を続けてきましたが、当時のヨーロッパ事情を知れたことは私にとっても大きなものになりました。
その効果と言っていいのかわからないのですが、不思議な出来事がありました。
私にはドストエフスキー作品の中に苦手な作品がありました。
それが1870年に出版された『永遠の夫』という作品です。
寝取られ亭主と不倫相手の男性をめぐる不思議な物語なのですが、どうしても理解できず、読んでいてもなぜか精神的に受け付けないものがあったのです。
ですがフランス文学を学んだことにより、不倫の文化?を知った私はこれまでどうしても理解できなかった登場人物の行動や思考、舞台設定などがようやくわかるようになったのです。
今まではとにかく「さっぱりわからん!」と匙を投げていたものが、自然にすっと入ってくるような感覚。
あんなに苦手だった『永遠の夫』をすんなり読めるようになっていたのです。いや、むしろ面白いと感じるほどでした。
これには驚きました。
バルザックやゾラの小説にはうんざりするほど不倫の話が出てきます。鹿島茂氏の多数の著書でもフランスのそうした時代背景、社会の風潮を知ることとなりました。
やはり物語の時代背景やその当時の風潮を知っていると、そこから感じられるものがまた違ってきます。
ゾラを読んだ後に久々にあえて苦手だった『永遠の夫』を読んでみた甲斐があったなとつくづく感じました。
苦手だった『永遠の夫』ですらこうなのですから、他の作品はまたもっと面白くなっているのではないかと、今からすでに私はわくわくしています。
一応、今回の記事で「ドストエフスキーとフランス」の記事は一段落ということにさせて頂きます。
今後のブログの予定としては、次の記事からドストエフスキー作品の概略とあらすじを「ルーゴン・マッカール叢書」作品にならって簡潔にまとめていこうと思います。
専門的なところへはあまり立ち入らず、あくまで簡潔な概要とそれに対する感想を述べていくという形式にしていきたいと考えています。
私個人としては、ヴィクトル・ユゴ―の『レ・ミゼラブル』やイギリスの文豪ディケンズ、ドイツの詩人シラーなど、ドストエフスキーが強い影響を受けた作家の作品がまだ残っていますのでまずはそちらを進めていき、ゆくゆくはロシア史、ロシア正教、ツルゲーネフ、トルストイを経てまたドストエフスキーに帰っていきたいと考えています。
私自身、フランスのことをここまでやるとは考えていなかったので、遠回りになってしまったなと思いつつ、思いがけない収穫があったのでとても満足しています。
正直、私はフランスのことがあまり好きではなかったのですが、今はむしろ好きになってきている自分がいます。恥ずかしながら今やパリに行きたくて仕方がないほどになっています。
食わず嫌いだったというわけではありませんが、相手のことをよく知ってみると意外といいところも見えてくるなと改めて思わされた体験となりました。
以上、「エミール・ゾラとドストエフスキーまとめ―「ルーゴン・マッカール叢書」を読んで」でした。
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