(46)ナポレオン軍の将校だったマリユスの父、その武勲と悲しい晩年

「ユゴーの原作『レ・ミゼラブル』を読む」(46)ナポレオン軍の将校だったマリユスの父、その武勲と悲しい晩年
第三部 マリユス 第三章 祖父と孫 ⑴
前章のラストでジルノルマン氏が不器用ながらも可愛がっていた少年が登場しましたが、そこではまだ名前が明かされません。ユゴーは読者をまだまだ焦らします。
しかもそれは第三章になっても相変わらずで、今度はマリユスの父について語られていくことになります。その導入がこちらです。
ジルノルマン氏はいつも娘と七歳の美しい少年を連れてきた。娘というのは、あのオールド・ミスで、そのころ四十をすぎていたが、五十ぐらいに見えた。少年の方は、色が白く、バラ色で、生き生きとしていて、幸福そうな、信頼にみちた目つきをしていた。少年がこのサロンにあらわれると、きまって彼のまわりで、わいわい言う声が聞えた。「なんてきれいな子!気の毒ね!可哀そうな子だわ!」この子供は前にちょっと述べておいたあの少年である。少年が、可哀そうな子と呼ばれたのは、その父が「ロワール河の強盗(訳注 ロワール河の向う岸に敗走したナポレオンの軍隊)だったからだ。
このロワール河の強盗は、前に話したジルノルマン氏の婿のことで、ジルノルマン氏が「わが家の恥さらしだ」と呼んでいた男である。
新潮社、ユゴー、佐藤朔訳『レ・ミゼラブル㈢』P66-67
まず、マリユスがかなりの美少年であったことがここで明かされます。ミュージカルでもマリユス役は甘いマスクの役者さんが演じることがほとんどですが、彼は幼少期からかわいい子供だったようです。
ただ、ここで「可哀そうな子だわ!」と言われてしまっていることに注目です。ジルノルマン氏が昔ながらの王党派であることは前回の「(45)マリユスの祖父ジルノルマン~ミュージカル映画では少しだけ出てくるお爺さんが原作だとあまりに強烈だった」の記事でもお話しした通りです。そしてこのジルノルマン氏が普段から出入りしているのが王党派のサロンで、そこにマリユスも連れてこられているわけです。つまり、このサロンにいる人は皆ナポレオンが大嫌いであり、だからこそナポレオン軍の将校を父に持つマリユスが「可哀そうな子だわ!」と言われてしまうのです。あんな父親を持ったなんてあの子も不憫なものねということです。
こうして「ロワール河の強盗」として姿を現したマリユスの父・・・。彼は一体どのような人物だったのでしょうか。それをユゴーはこの直後から語り始めます。
男は、一八一七年ごろには、この囲いの最もせまい土地の、最も貧しい家に住んでいた。彼はそこに、一人で、寂しく、静かに、貧しく暮らしていた。若くもなく、年寄りでもなく、美しくもなければ、みにくくもない、田舎者でも町の人でもない、一人の女が一緒にいて、彼の用をしていた。彼が庭と呼んでいた四角い土地は、彼が植えた美しい花のために、町でも評判になっていた。花づくりが彼の仕事だった。
新潮社、ユゴー、佐藤朔訳『レ・ミゼラブル㈢』P68
「ロワール河の強盗」と呼ばれたナポレオン軍の将校が花づくり・・・?
この時点で私達はその意外なギャップに戸惑うことになります。
そして次の箇所ではその困惑がさらに決定的なものになります。
労力と忍耐と配慮と水桶によって、彼は神についで、物をつくるのが上手になり、自然に忘れられているようなチューリップやダリヤをつくり出した。彼は器用だった。(中略)
夏は、夜明けから小道に出て、芽をさしたり、枝を落したり、草をむしったり、水をかけたり、親切と、悲しみと、優しさのまじった様子で、花の中を歩いては、ときどき何時間も立ち止り、夢みがちに、木にさえずる小鳥の歌に耳を傾けたり、どこかの子供のおしゃべりに聞き入ったり、または、草の葉の先の露の玉が、太陽の光で石榴石のように光るのを、じっと見つめたりした。食事は非常に粗末で、葡萄酒よりもミルクを飲んだ。彼は子供に言い負かされたり、女中からも叱られた。人づきが悪く見えるほど臆病で、めったに外出することもなく、彼の家の戸をたたく乞食たちや、人のいい老人のマブーフ司祭のほかには、誰にも会わなかった。けれども、町の人や他国者、あるいは、この町に来たばかりの人などが、彼のチューリップやバラを見たがって、その小さな家の呼鈴を鳴らしにやって来たりすると、微笑を浮べながら、戸をあけた。これがロワール河の強盗だった。
新潮社、ユゴー、佐藤朔訳『レ・ミゼラブル㈢』P68-69
この箇所を読む限り、マリユスの父というのは実に温厚な男性であることがうかがわれます。
そしてこの箇所のラストで「これがロワール河の強盗だった」と締めるユゴーはやはりさすがです。
強盗という荒々しいイメージの言葉を用いることで、この父の印象をさらに深めることになっています。「強盗なのにこんなに優しそうな人なの?」ということですね。
王党派のジルノルマン氏は彼を問答無用で野蛮人扱いしますが、その実態は真逆だったのです。
ただ、彼は今でこそこうした静かな生活をしていますが、ナポレオン時代には数々の武勲を立てた英雄だったのも事実です。その武勲がこの後引き続きユゴーによって語られるのですが、彼が暴力的な人間ではなく、軍人として勇敢で高潔な男だったというのは間違いありません。
そんな父が妻と出会い、マリユスを生んだ流れは次のようなものだったようです。
帝政時代の二つの戦争の間に、彼はジルノルマン嬢と結婚するだけの余裕はあった。老ブルジョワは、内心では怒っていたが、溜息をついて、こう言いながら、結婚をみとめた、「最高の家柄でも、これは仕方がないことだ」と。ポンメルシー夫人は、全く立派な婦人で、教養もあり、その夫にふさわしい、珍しい人だったが、一八一五年に、一人の子供を残して死んだ。この子供は、孤独な大佐には喜びとなったであろうが、祖父がその孫を命令的に要求し、もし渡さなければ、相続権を与えないと宣言した。父親は子供のために譲歩し、子供もいないので、花を愛しはじめた。
新潮社、ユゴー、佐藤朔訳『レ・ミゼラブル㈢』P74-75
なるほど、父ポンメルシーと母の結婚はジルノルマン氏からすると不満はあったものの、大事な娘の意志を尊重して結婚を認めたのですね。頑固ですが、いいところもあるではないですかジルノルマン。
ただ、肝心の娘が亡くなってしまえば話は別です。ナポレオン主義者の夫はとっとと追い出して可愛い孫はわしが引き取ると譲りません。しかも相続権までちらつかせて強制的にマリユスを連れて行ってしまったのでした。
息子の相続権がなくなって、追い出される危険を冒して、ポンメルシーは自分の息子にも会おうとしたり、話しかけたりしないということは、はっきり約束してあった。ジルノルマン家にとっては、ポンメルシーはペスト患者だった。彼は子供を思いどおりに育てるつもりだった。こんな条件を受入れたことは、大佐の方がまちがっていたかもしれないが、彼は、自分だけが犠牲になればよいのだから、それをいいことだと思い、それに甘んじていた。ジルノルマン爺さんの遺産は大したこともないが、ジルノルマン嬢の遺産は莫大なものだった。この伯母は、未婚のままで、物質的な面ではたいへん恵まれていた。その妹の息子は、当然その相続人だった。
子供はマリユスと呼ばれていたが、父がいることは知っていても、それ以上は何も知らなかった。誰もそのことは口にしなかった。しかし、祖父に連れていかれる社交界でのささやきや、暗示や目くばせなどによって、長い間に子供にも察しがつき、ついに何かしらわかるようになった。そして、いわば呼吸しうる環境にある思想や意見が、一種の浸透作用、侵入作用によって、自然と彼のうちに入り、だんだん、父のことを思うと、恥ずかしさで胸がしめつけられるように感じた。
新潮社、ユゴー、佐藤朔訳『レ・ミゼラブル㈢』P75ー76
76ページ目にしてようやくマリユスの名前が出てきましたが、父ポンメルシーの葛藤は実に心痛むものがあります。息子の将来を思うと「もう会わない」という約束は守らざるをえません。
そしてジルノルマン氏はもくろみ通りマリユスを王党派的人間に仕立て上げることになりました。その結果マリユスは父に対して愛情どころか嫌悪の念を抱くようになってしまったのです。ジルノルマン氏も残酷なことをしますよね。
彼がそんなふうに成長している間、大佐は、二、三カ月に一度ぐらい家をぬけ出し、居住指定令を破る前科者のように、ひそかにパリにやって来て、伯母のジルノルマンがマリユスをミサに連れて行くころに、サン・シュルピス教会に出かけて行くのだった。そこで、伯母が振向きはしないかと恐れながら、じつと、息もつかずに柱のうしろに隠れ、子供をながめていた。(中略)
そこで彼は、ヴェルノンの司祭マブーフ師と知合いになった。この立派な司祭はサン・シュルピスの教会委員と兄弟だった。この教会委員は、あの男が子供をながめていることや、頬に傷があることや、目に大粒の涙をためていることに、何度も気づいた。あんなに男らしい男が、女のように泣いているので、教会委員は胸をうたれた。その姿が心に刻みこまれた。ある日、ヴェルノンへ兄に会いに行ったとき、橋の上でポンメルシー大佐に出会い、これがサン・シュルピス教会のあの男だとわかった。教会委員はそれを司祭に話し、二人で、なんらかの口実をもうけて、大佐のところへ行った。それがきっかけとなって、何度も訪れることになった。大佐は、最初口をつぐんでいたが、ついに心を打明け、司祭と教会委員は彼の経歴と、子供の将来のために幸福を犠牲にした事情を知るにいたった。主任司祭は大佐に尊敬と愛情をいだき、大佐の方も司祭に好意を持った。
新潮社、ユゴー、佐藤朔訳『レ・ミゼラブル㈢』P76-77
父にとってマリユスと会わないのは愛しているが故でありました。そんなことを露知らずのマリユスは日に日に父に対して憎しみを募らせていきますが、こうして父は父なりに彼を愛し、遠くから見守っていたのです。
そしてその事実に気づいたマブーフ兄弟。この二人も後にマリユスの生涯に大きな影響を与えることになるのでぜひ覚えておきましょう。
さて、「ロワール河の強盗」と野蛮人扱いされたポンメルシーはこういう男だったのです。王党派の頑固爺さんからすれば「ならず者」だったかもしれませんが、その人柄の良さは皆さんにも伝わったのではないでしょうか。
そして次の場面ではこの悲しき将校の最期が語られていきます。マリユスは父の死に何を思うのでしょうか。引き続き次の記事で見ていくことにしましょう。
続く
レミゼのおすすめ参考書一覧、解説記事一覧はこちら
「『レ・ミゼラブル』おすすめ解説本一覧~レミゼをもっと楽しみたい方へ」
「『レ・ミゼラブル』解説記事一覧~キャラクターや時代背景などレミゼをもっと知りたい方へおすすめ!」
「フランス革命やナポレオンを学ぶのにおすすめの参考書一覧~レミゼの時代背景やフランス史を知るためにも」
次の記事はこちら

前の記事はこちら

「ユゴーの原作『レ・ミゼラブル』を読む」目次と記事一覧ページはこちら
ミュージカルをもっと楽しむためにもおすすめです!
