(45)マリユスの祖父ジルノルマン~ミュージカル映画では少しだけ出てくるお爺さんが原作だとあまりに強烈だった

「ユゴーの原作『レ・ミゼラブル』を読む」(45)マリユスの祖父ジルノルマン~ミュージカル映画では少しだけ出てくるお爺さんが原作だとあまりに強烈だった
第三部 マリユス 第二章 大ブルジョワ
第三部へと入り、ここからマリユスについて語られるかと思いきやまさかのパリの浮浪児から始まった第三部。
前章ではそんなパリの浮浪児の象徴ガヴローシュが登場しましたが、そのラストは次のように締めくくられています。
ジョンドレッド一家が住んでいたゴルボー屋敷の部屋は、廊下の端のいちばん奥の部屋だった。その並びの部屋には、マリユスさんという名のとても貧しい青年が入っていた。
マリユスさんとは、何者かを話すとしよう。
新潮社、ユゴー佐藤朔訳『レ・ミゼラブル㈢』P41
ですが、「次の章からようやくマリユスか」と勇んでページをめくってみると、今度は突然93歳のおじいさんについて語られることになります。
「マリユスさんとは、何ものかを話すとしよう。」と言っておいて、ここから先しばらくマリユスは出てきません。またもユゴーは脱線するのです。
とはいえ、この謎のおじいさんでありますが、只者ではありません。さすがレミゼの物語に登場するだけあってかなりの曲者です。
ジルノルマン氏は、一八三一年には、誰よりも長生きだった。(中略)
九十歳をすぎていたが、腰も曲らず、大声で話し、目もよく見え、酒に水もわらず、よく食べ、よく眠り、鼾をかいた。歯も三十二本あった。眼鏡をかけるのは、字を読むときだけだった。女好きの男だったが、十年ばかり前から、女の方はさっぱりと完全にあきらめた、と言っていた。(中略)
この元気な老人はいつも矍鑠としていた。軽はずみで、せっかちで、すぐに怒った。何事にも、大概思い違いして、すぐに怒鳴りつけた。反対でもしようものなら、すぐに杖を振上げた。「偉大な世紀」のころのように、人びとをなぐりつけた。五十を過ぎてもまだ未婚の娘がいたが、怒りだすと彼女をなぐりつけ、鞭でたたいたりした。老嬢も彼には八歳ぐらいにしか見えなかったのだ。
新潮社、ユゴー佐藤朔訳『レ・ミゼラブル㈢』P42-44
『カラマーゾフの兄弟』の父親フョードルも強烈な個性を持った爺さんでありましたが、このジルノルマン氏もかなりのものです。
93歳とは思えぬはつらつぶりは周囲からもある種異様な存在として見られていたのでありました。そして怒りっぽいことと女好きであったことも重要なポイントです。これが後に伏線となっていくので頭に入れておきましょう。
そしてユゴーはここからさらにジルノルマン氏の人柄やこれまでのいきさつなどを詳しく語っていくのですが、その中でも彼の性格として重要なポイントが次のものになります。
ジルノルマン氏はブルボン家を崇拝し、一七八九年をひどくきらっていた。(中略)誰か青年が共和制を彼の前で褒めようものなら、真っ青になって、気を失うほど、いらだった。
新潮社、ユゴー佐藤朔訳『レ・ミゼラブル㈢』P49
つまり、ジルノルマン氏はフランス革命以前の王政を心の底から崇拝していたのです。ジルノルマン氏の価値基準の判断はほとんどすべてここに依存しています。だからこそ彼にとって自分の理想世界を破壊したフランス革命やナポレオン、共和制の理想は言語道断のものだったのでありました。これが物語の進行上、非常に大きな意味を持つことになります。
と言いますのもレミゼのクライマックスの舞台となる1832年においてはこの王党派とナポレオン主義者、共和主義者という、大きく分けると3つの政治思想がありました。
これはその名の通りで王党派がフランス革命以前の王政を理想とする人々、ナポレオン主義者は皇帝ナポレオンによる帝政が一番と考える人々、そして共和主義者は王政でも帝政でもなく、人々は平等であり議会によって政治を行うことを理想とする人々のことになります。
もちろん、ジルノルマン氏は王党派になります。
そしてこれの何が大事なのかと言いますと、我らがマリユスというのはこの王党派の頑固爺さんの孫であり、そこから彼はナポレオン主義者、共和主義者の間で揺れ動くことになっていくのです。この3つの党派は単なる政治思想というだけでなく、「理想のフランスとは何か」という人生観、世界観そのものです。この世界をどう見ていくのかで人間が決まると言っても過言ではありません。マリユスの祖父が筋金入りの王党派であり、その影響を強く受けた少年マリユスがこれからどうなっていくかを私達はこの第三部で見ていくことになります。
ただ、ちなみにですが、この第二章では結局マリユスの名は一度も出てきません。
一応、ジルノルマン氏には二人の娘がいて、下の娘はナポレオン軍の将校と結婚し子供を設けたということがさらっと述べられます。そして今このお爺さんは上の娘(と言っても93歳のジルノルマン氏の娘ですのでもはやおばあさんに近い)と、下の娘が生んだ子と暮らしているとのこと。残念ながら下の娘はすでに亡くなってしまったようですが、ジルノルマン氏からするとこの孫がとにかく可愛いようで、ユゴーは次のように描写しています。
この老嬢と老人のほかに、この家には一人の子供がいた。この少年は、いつもジルノルマン氏の前で、ふるえながら、黙っていた。ジルノルマン氏は、この子供にたいして、いつもきびしい声をはりあげ、ときどき杖を振上げた。「大将!ここへ来い!無作法者、悪戯っ子、もっとこっちへ来い!返事をしないか、ならず者!顔をあげろ、ろくでなし!」などと、彼はこの少年を可愛がっていたのだ。
それは彼の孫だった。この少年のことはあとで述べるつもりである。
新潮社、ユゴー佐藤朔訳『レ・ミゼラブル㈢』P59-60
そうです。この少年こそマリユスなのでありますが、ユゴーは焦らします。まだその名を私達に明かしてくれないのです。
そしてこのジルノルマン氏でありますが、とにかく頑固で不器用な爺さんなのです!彼は彼なりにこの少年を溺愛しているのですが、いかんせん不器用すぎます。それでこんな言葉使いや態度になってしまうのです。いやはやなんともはやまあとしか言いようがないのですが、とにもかくにもこうした強烈なお爺さんの下で育っていったのがマリユスだったということです。
そして次の章では引き続きジルノルマン氏について語られるのですが、そこでいよいよマリユスの父についても語られていきます。ようやくマリユスに近づいてきました。ユゴーは本当にすべて語らなければ気が済まないお人ですね。マリユスが生まれるまでの前史から語らねばマリユスはわからぬ!そう言わんが如しです。
ですが、たしかにそう言われてみればそうなのです。人間はその人単体で成り立っているのではなく、その家族構成や時代背景、環境の影響を大きく受けて存在しています。ある人物をより深く知るためにはそうした一見脱線のようにも見える背景事情まで知らねばならないのです。
「ネットで全てあっという間に解決」という便利な時代に現代人が忘れてしまった、回り道回り道の人間理解が実はここにあるように思えます。たしかにユゴーの語りはまどろっこしいものがあります。ですが、それが人生なのではないでしょうか。最短距離で効率よく情報を仕入れてそれでわかったつもりになる。これこそ人生を薄味で味気ないものにしてしまうのではないでしょうか。そんなことも今ふと思った次第であります。
続く
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