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(7)仏教がインドで広まったのはとてつもないことだった!

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『シン日本仏教史』(7)仏教がインドで広まったのはとてつもないことだった!

ハリドワール滞在3日目の朝を迎えました。昨日のマンサ・デーヴィー寺院や2日連続のプージャ見学ですでに体力は限界ぎりぎりです。

しかしせっかくここまで来たのです。少しくらい一人で歩いてみたい。

というわけでこの日の朝の自由時間、私は散歩に出かけることにしたのでありました。

ですが、宿を出てすぐに私は度肝を抜かれました!なんと、ガンジスの水位が大幅に下がっていたのです!川岸は底が見えるくらいでした!

左が一昨日、そして右が今日のガンジスです。その差は一目瞭然です。

たった1日やそこらでこれほどまでに水位が下がるのかと驚きました。確かなことはわかりませんが、ハリドワール最終日にして目の前の世界は大きな変化を見せています。

う~ん、ですが、どうでしょう・・・。ものすごく汚い・・・。大量のごみが土砂と混じり、もはや何とも言えない光景です。ヘドロのようなにおいもします・・・。

そして何より私は次の光景に衝撃を受けたのでありました。

な、何だこれは・・・!

私はまさに絶句してしまいました。

川の水位が下がったことで皆気軽に川に入ってきているのでしょう。しかしそれにしてもこれは・・・!

写真だけでは伝えきれません!ぜひ動画も見て頂きたいです!

昨日までのような濁流ではなく、せいぜい腰下ほどの高さまで水位が下がっています。浅いところでは膝下くらいの水位です。しかし茶色の流れであることは変わりはありません。そこに老いも若きも、男女も関係なく皆かがんで全身川に浸かるのです。昨日までのドボンと沈む沐浴姿と違って、全身が浸かるためにはよりアグレッシブな動きが必要になってきます。それをまた皆楽しそうにやっているのですから興味深い。

水をかけ合っている人もいて、とにかく楽しそう。まるで流れるプールで遊んでいる人達のようにも見えてきます。プージャで見た「おっかない顔」とは全く違う朗らかな顔を私はここで見たのです。

ここの喧噪を聞いてもわかると思います。ここがインド人にとって実に楽しい場所であるということが。

昨日訪れたマンサ・デーヴィー寺院もまさにこういう雰囲気でありました。

この朗らかな宗教的世界観について、たしかに私も前日のマンサ・デーヴィー寺院でも思うことがありました。彼らは実にオープンに自分の幸福を願うのです。そこにお参りすることで自らの悪が清められ幸運がやって来るという誠に楽観的(ポジティブ)な雰囲気なのです。

プージャで見た「おっかない顔」とマンサ・デーヴィー寺院と沐浴場で見た「朗らかな顔」。

これじゃあ矛盾じゃないか。結局ハリドワールはどちらなのだ?

どちらも正しい。「おっかない顔」の時もあるし「朗らかな顔」の時もあるのです。ここはインドです。理屈じゃありません。矛盾も全て包み込むカオスな世界がここにあります。細かいことは気にしない方がよいのです。

そして私の驚きはまだまだ止まりません。

私はインド人の沐浴姿を呆然としながら見ていたのでありますが、その内明らかに沐浴とは違う動きをしている人達がいることに気づいたのです。別の角度からも見てみましょう。

この写真の左側の男性に注目してください。右手に何やらかごのようなものを持って水面を見ているのがわかるでしょうか。さらに寄ってみましょう。

おぉ!これはまさに砂金探しをしているかのようではないか!

そしてそれは実際にその通りなのです!彼は川底に沈んだコインや貴金属をこうして探しているのです。しかもよく見てみると、この周りにいる人達も皆同じことをしているのでした!

なぜ彼らがこのようなことをしているかというと、ここハリドワールでは毎日大規模なプージャが開催されるため、莫大なお布施がここで施されることになります。しかしこれまで見てきたように、いざお祈りが始まるとここは修羅場のような大混雑になります。そうなるとお金を落としてしまったり、なんらかの手違いで川に装飾品などを落としてしまうといったことが往々にして起こってしまいます。それを彼らはこうして拾い集めているのでありました。

ガンジスの聖地で繰り広げられるこのような光景に私はすっかり参ってしまいました。神聖さと俗っぽさがここまで同居するなんてもはや理解の範疇を超えています。

「神聖なガンジスの聖地で沐浴する人々」

こう言うのは簡単です。

しかしそのガンジスの中でいかに雑多な世界が繰り広げられていることか!

やはりここにはブッダが入り込む隙間はありません。ここにいる人達に「沐浴は意味がない。慎み深く生き、善いことをして悪いことをするな、輪廻から解脱せよ」と言っても通じるはずがありません。ここの人達は皆ガンジスの浄化を信じ、現世と来世の幸福を祈っています。そしてハリドワールが生み出すヒンドゥー教的な祝祭空間を心の底から楽しんでいます。

こういうインドの国民性、宗教性の中でブッダはそれらを否定しました。やはりブッダはとんでもないアウトサイダーなのです。彼の教えがインド中に広まっていったというのはどういうことなのかもっと突き詰めなければなりません。

やはりここに来てよかった。現地に来たからこそ感じるものがあります。

「こんなところで仏教が広がるわけがない!」

私はそう思いました。しかし現に仏教はインドに広まり大きな勢力になったのです。13世紀には滅亡してしまうものの、ブッダ亡き後もインドで仏教が繁栄していたのはれっきとした事実なのです。私の中で明確な課題が見つかりました。仏教はなぜこうしたインドで大きな勢力となりえたのか。誰がブッダの教えを聴いたのか。これが仏教とは何かを考える上で大きなポイントとなることでしょう。

では、次の記事からいよいよインドにおける仏教の歴史を見ていきます。ここから先も意外な事実がどんどん出てきますのでぜひお楽しみに。

続く

主要参考文献一覧

〇インドの歴史・宗教・文化について知るのにおすすめの参考書一覧
〇インド仏教をもっと知りたい方へのおすすめ本一覧
〇仏教国スリランカを知るためのおすすめ本一覧
〇中国仏教・中国思想のおすすめ解説本一覧
〇親鸞聖人や日本仏教を学ぶためのおすすめ参考書一覧

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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