(69)エポニーヌ、マリユスにコゼットの住所を探すよう頼まれる

「ユゴーの原作『レ・ミゼラブル』を読む」(69)エポニーヌ、マリユスにコゼットの住所を探すよう頼まれる
第三部 マリユス 第八章 腹黒い貧乏人 ⑷
マリユスは自分の部屋に入る前に、すでにジョンドレットの姉娘が付いてきているのを知っていました。ぼんやり家のマリユスにしてはよく注意していたものです。
ただ、この娘に関してはもう見るのもうんざりというのが彼の本音でした。下品でみすぼらしい「地獄の使者」で、しかもそんな娘に5フランあげてしまったばっかりにコゼットを見失ってしまったのです。彼の気持ちもわからなくはありません。
ただ、当の姉娘はそんなことなどどこ吹く風でマリユスに声を掛けてきます。
「マリユスさん、あなたふさいでいるようね。どうしたの?」
「僕が!」とマリユスは言った。
「ええ、あなたがよ」
「どうもしませんよ」
「いいえ、そうよ!」
「どうもしませんったら」
「いいえ、そうだったら!」
「ほっといてください!」
マリユスは再びドアを押したが、それでも彼女は押えていた。
「ねえ」と彼女は言った。「あなたいけないわ。あなたは金持でもないのに、今朝優しくしてくれたわね。だから今も優しくして。今朝食べるお金を恵んでくれたんだから、今度は思っていることを言ってちょうだい。悲しいことがあるんでしょう、顔に書いてあるわ。あなたが悲しんでいるのはいやよ。どうしたらいいの?何かわたしもできることない?わたしを使ってよ。秘密を訊きだそうっていうわけじゃないから、秘密は言わなくてもいいわ。ただ、わたしだって役に立つことがあるわ。お父さんのお手伝いだってしてるんだもの。あなたのお手伝いだってできるわ。手紙をとどけるとか、人の家に行くとか、一軒一軒たずねまわるとか、住所を捜すとか、誰かのあとをつけるとか、そんなことなら役に立つのよ。さあ、思ってることを聞かせてくれてもいいでしょう。そうすれば、誰のところにでも話しに行ってあげる。誰かが口をきけば、事情がわかって、うまくまとまることもあるわ。わたしを使ってよ」
新潮社、ユゴー、佐藤朔訳『レ・ミゼラブル㈢』P339-340
今朝の初対面では下品でみすぼらしい印象が強かったエポニーヌでしたが、すっかりしおらしくなりました。この頃にはもうきっと彼に恋していたのでしょう。
そしてマリユスのことをよく見て、しっかり理解しています。後にマリユスとコゼットは熱烈な恋に落ちますが、互いを見ていたのではなく自分の夢想を見ていたことが後で暴露されます。それに対しこの現実のマリユスの苦悩をしっかり見つめるエポニーヌというのは地味に重要なポイントであるように思います。このことについてはまた改めて見ていくことにしましょう。
さて、こうしたエポニーヌの申し出に対し、マリユスはふと名案を思い付きます。
ある考えがマリユスの心にひらめいた。溺れる者は、藁をもつかむのではないか?彼はジョンドレッドの娘に近づいた。
「じゃ、君……」と彼は言った。
彼女は喜びに目を輝かせながら、さえぎった。
「そう!君って呼んで!その方がずっと嬉しいわ」
「じゃあね」と彼はつづけた。「君はあのお爺さんをここへ連れて来たね、娘も一緒に……」
「ええ」
「あの人たちの住所を知ってる?」
「ううん」
「それをつきとめてくれよ」
嬉しそうに輝きかけていた娘の目つきがまた暗くなった。
「わたしにしてほしいのは、そんなこと?」
「そうなんだ」
「あの人たちと知合いなの?」
「いいや」
「それじゃ」と彼女はせきこんでつづけた。「今はあの子と知合いじゃないけど、知合いになりたいってわけね」
「あの人たち」が「あの子」に変ったのには、何か意味ありげな、悲痛なものがこもっていた。
「とにかく、やってくれるかい?」とマリユスは言った。
「あのきれいなお嬢さんの住所をつきとめること?」
「あのきれいなお嬢さん」という言葉にも、マリユスをいらいらさせる調子があった。
彼はつづけた。「まあ、なんでもいい!あの親子の住所だ、あの二人の住所だよ!」
娘はじっと彼を見つめた。
「わたしに何をくれる?」
「なんでも望みどおりだ!」
「なんでも望みどおりですって?」
「ああ」
「じゃあ、捜してあげるわ」
彼女は顔を伏せて、それからいきなりドアを引いた。ドアはしまった。
新潮社、ユゴー、佐藤朔訳『レ・ミゼラブル㈢』P340-342
「君」と呼ばれて喜ぶエポニーヌ・・・。
ミュージカルではすでに友人の二人ではありましたが、原作ではこの日が初対面であり、マリユスに関してはまだ彼女の名前すら知らない状況です。
そんな中で彼女はマリユスのためにコゼットの行方を捜すことになったのでした。健気と言えば健気ですが、原作ではマリユスとエポニーヌの関係がそもそも残念なものである以上、この段階でエポニーヌに肩入れするのはなかなか難しいというのが正直なところであります。こういう面でもミュージカルがいかに観客が感情移入しやすいストーリーに書き換えられているかがよくわかると思います。
とはいえ、ユゴーもさすが恋の達人です。上のやり取りでエポニーヌの心の動きを実に巧みに潜ませています。これを読むだけで彼女の恋心が感じられますよね。読者たる私達はもはや彼女を「醜い悪霊」のようには見れなくなってしまいます。ユゴーの巧みな印象操作術が光っています。
そして彼女が去った後、マリユスはひとりまた夢想に耽るのですが、ここで隣の部屋から大きな声が聞こえてきます。彼はその声に興味を引かれ、またのぞき穴へと陣取るのでありました。
続く
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