(13)ドイツ、バーデン・バーデン散策!カジノに狂ったドストエフスキーの足跡を辿る
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【ドイツ旅行記】(13)ドイツ、バーデン・バーデンでドストエフスキーゆかりの地を巡る~カジノで有名な欧州屈指の保養地を歩く
前回の記事「バーデン・バーデンでの賭博者ドストエフスキーの狂気~ドストエフスキー夫妻の地獄の5週間」ではドストエフスキー夫妻の絶望的なバーデン・バーデン滞在の日々をお話しした。
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今回の記事ではそんなバーデン・バーデンの街の現在の様子を皆さんにご紹介したい。
バーデン・バーデンはドイツ南西部にある街だ。
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バーデン・バーデンの鉄道駅はカジノのある街の中心部から少し離れた所にある。ここからはバスが頻繁に出ていて、20分ほど乗車すると街の中心、レオポルド広場に到着する。
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ブティックが立ち並んだ高級感あるたたずまい。さすがはヨーロッパ有数の保養地だ。かつて王侯貴族や著名人らがこぞってやって来ただけのことはある。
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そして一本小路を入れば気楽に入れそうなレストランやカフェも並び、普通に滞在する分にも快適な雰囲気があった。
ドストエフスキーがギャンブルに明け暮れたカジノに潜入!
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さあ、いよいよドストエフスキーが狂ったカジノへと潜入する。私はカジノがオープンする前の時間に開かれている「カジノ見学ツアー」なるものに申し込みをした。オープン時は規定で館内の撮影ができない。なので私はこのツアーに参加して中の様子を見てみることにしたのだ。
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こちらがカジノの入り口。ここからツアーはスタートする。10時スタートということで時間通りに私はここにやってきたのだが誰もいない。おかしいなと思い、きょろきょろしていると向こうから若い女性がやって来た。
「こんにちは。今日の参加者はあなた一人だけなの。だからこれからあなたのプライベートツアーになります」とニコっと話しかけてきた。
ほお!これはありがたい!!これでじっくりとカジノを堪能することができる!
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ガイドさんと一緒にカジノの中に入る。そこには思わず「おぉ~」と声が漏れてしまうほど豪華で洗練された空間が広がっていた。煌々と輝くシャンデリア、壁一面の豪華な装飾、気品あふれる調度品、赤いカーペット・・・そしてルーレット台だ。
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これがドストエフスキーを狂わせた張本人だ。もちろん、時代を経て台も変わってしまったのでドストエフスキー時代のものではない。しかし基本的な形やシステムは当時そのままだ。このルーレットについてはまた後に改めてお話ししていくことにしよう。
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ガイドさんの解説によると、このカジノは19世紀にフランスの実業家が作ったものだとのこと。そのコンセプトは「小さなパリをここに」というものだそうで、だからこそフランス風の豪華な作りになっているのだ。
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そしてガイドさんと話しながら私が日本から来たということを伝えると、ものすごく彼女は喜んでいた。「日本は大好き。いつか行ってみたい国です」と。そしてなぜここに来たのですか?と聞かれたので私が「ドストエフスキーを学ぶためにこのカジノにやって来ました」と返すと、彼女はびっくりした顔で「I’m very impressed!」と言った。私が驚くくらいのものすごい喜びようだった。そして彼女は聞いてきた。
あなたはドストエフスキーの何を読みましたか?―全部です。手紙から何から何まで。
Oh…!あなたはドストフスキーが本当に好きなのですね。—えぇ、大好きです。ドストエフスキーを学ぶためにトルストイ、ツルゲーネフ、チェーホフ、ユゴー、バルザック、ゾラ、みんな読みました。私は文学が好きです。だからここに来てドストエフスキーのことを学べるのを楽しみにしてきました。
Wow!あなたのような人が来てくれて私は嬉しいです!ここにはたくさんの文学者が来ています。ぜひそのこともこれからお話ししていきましょう!
ガイドさんの喜びようには私の方が驚いてしまった。彼女も本当に文学が好きなのだろう。文学を通じてこうして異国の人と繋がり合えたというのは本当に嬉しいことだった。
それに、カジノにわざわざ文学のために見学に来る人などほとんどいないのだろう(笑)そもそも見学ツアーに訪れる人が少ない中でさらにマニアックな男の襲来だ。それはそれはインパクトも大きかったのではないだろうか。
文学を通して一気に仲良くなった私たちはツアーを続けた。
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「この時計は19世紀からずっと使われ続けている時計です。ドストエフスキーもツルゲーネフもトルストイもみんなこの時計を見ていたはずです」
おぉ~!これはテンションが上がる!私は今彼らが見たのと同じようにこの時計を見上げているのだ!
この豪華な部屋そのものも当時の雰囲気のまま。私は彼らがここにいるのを想像してみた・・・うん。やはりドストエフスキーだけは異様だ。血走っては青ざめている。大貴族たるツルゲーネフやトルストイとは違う。
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いやあ、もはやカジノというより宮殿の劇場といった雰囲気ではないだろうか。
ちなみにツルゲーネフはこのシャンデリアが大のお気に入りだったそうだ。そして私は思わず言ってしまった。「ツルゲーネフらしいですね!」と。
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ちなみにこのカジノに隣接してオシャレなレストランがある。せっかくなので私はこのカジノツアーの後に軽い昼食を取った。
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ローストビーフを私は頼んだのだが、見てほしい、この上品さを。
少し値段が張るので私の予算では毎日はとてもじゃないが食べられないがせっかくここまで来たのでありがたく頂いた。ものすごく美味しかった。この旅の中でも屈指の美味さだ。当然ドストエフスキーにはこんな優雅な食事など不可能だった。結婚指輪まで質入れするほどカジノに金をつぎ込んだ彼に食事代などあるはずもない。彼には悪いが私は保養地バーデン・バーデンをすっかり満喫してしまっている。
カジノへは後日、オープン時間に訪れてルーレットの現場も見てきた。その時のことはこの記事の後半で改めてお話ししていく。
バーデン・バーデンのドストフスキーの家
ありがたいことに、バーデン・バーデンにはドストエフスキー夫妻が滞在していた家が現存している。私もぜひその家を見たいとそこへ向かった。
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中心部のレオポルド広場から歩いて5分ほどで着いてしまう距離。だが、カジノからは10分以上はかかるだろう。ドストエフスキーはここを往復していたのだ。
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この建物の二階にドストエフスキー夫妻は住んでいた。今はそれを記念してモニュメントが飾られているが、この部屋の中を見ることはできない。
そしてこの旅に出る前の下調べでは1階がドストエフスキーカフェになっているとのことだったが、どうもその雰囲気がない。私も入店したのだがいたって普通のカフェだった。そして再びこのお店に来たときに店員さんに聞いてみると、なんとドストエフスキーカフェはコロナ禍で閉店してしまったとのこと。この店は「DerDieDasCafé」という全く別の店だそうで9月にオープンしたとのこと。よく見れば入り口にそう書いてあった。
だがまあよい、私はドストエフスキーが住んでいた建物でコーヒーを飲むという念願が叶ったのである。
ドストエフスキーの家の位置をマップで掲載しておく。マップで「ドストエフスキーの家」で検索しても出てこない。そしてお気づきのように、マップではこのカフェが位置情報として出てくるのでご注意を。
ドストエフスキー夫妻が歩いた古城への道
前回の記事「(12)バーデン・バーデンでの賭博者ドストエフスキーの狂気~ドストエフスキー夫妻の地獄の5週間」で見たように、ドストエフスキー夫妻は気分転換のために散歩によく出た。アンナ夫人が述べるように、ギャンブルから気を反らすことさえできればドストエフスキーはいつもの調子を取り戻した。夫妻にとって散歩は必要不可欠のものであり、夫婦の絆を深めた大切な時間だったのである。
私もそんな2人が歩いた古城への道を追体験することにした。
ドストエフスキーの家からはナビ上だと3キロ弱、一応35分ほどで着ける距離となっている。しかし私は道も不案内であり、坂道も多い。さらに残念なことに私のスマホがポンコツであり、絶妙に道に迷うように仕向けてくるのだ。この旅の最中何度このだまし討ちに苦しめられたことか・・・。案の定ここでもナビは私の位置情報を絶妙にずらし、方向感覚を狂わせ続けたのである。思いっきりずれていたらこれはおかしいとわかるのだが、絶妙としか言いようのないずれっぷりなのだ。正しいのか正しくないのかで本当に迷う。こうなっては最後はナビを捨て、勘で勝負である。というわけで私は苦しみながらも古城を目指すことになった。
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旧市街中心部から山に向かってずんずん坂を上っていく。11月半ばだったがこの日は天気もよく、汗ばむほどだった。
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街を抜けて視界が開けてきた。すると左手側に山が見えた。そして山の上の正面にぽつんと古びた建物が見えた。おぉ!これか!ここからあそこに行くということか。うん、実にわかりやすい。ここから真っすぐ行きたいところだが、ナビによれば山の中をぐるっと回っていかないとそこへは行けないらしい。そうかそうか、先はまだまだ長い。
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少し歩くと坂に沿った公園に入っていった。天気もいいのでベンチに座ってのんびりしている人の姿もあった。これは気持ちよさそうだ。
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お、いよいよ山っぽくなりそうだ。公園を抜けて道路を渡るといよいよ山道が始まる。
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道の両脇は木が生い茂っている。完全に山。においが違う。山のにおいだ。
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道もどんどん狭くなってくる。完全に山歩き。写真では伝わらないと思うが意外と傾斜もある。歩き慣れていない私にはどんどん疲労が蓄積されていく。アンナ夫人よ、これは簡単に「散歩」だなんて言っていい道ではないぞ!
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山も深くなり、こんな苔むした倒木とも出会った。なんとも神々しい。私は思わず手を合わせてしまった。「あぁ、やはり自然はいいなぁ」とちょっと生き返る。
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ちょうど中間地点ほどの位置にちょっとした展望台のような場所があった。
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ここからバーデン・バーデンの街を見下ろすことができた。この街がうっそうとした森の中にある街なのだということがよくわかる。けっこう高い所まで来たなと実感。
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だがここからの道がまたきつかった!大量の落ち葉が雨水に濡れてぬかるんでいた。しかもアップダウンも激しくなる。私はこの段階でかなりグロッキーだった。正直もう帰りたいという思いが頭をよぎる。だがここまで来たら帰るのもしんどいのだ。どのみち歩かねばならない。頑張ろう。
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時間的にはそろそろ着いてもいいのではないだろうか。きっともう少しだ。最後の坂がまた急で追い込みをかけてくる。
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おぉ・・・!どうやら着いたみたいだ!なんやかんやで50分ほどかかってしまった。
「散歩」ではない。断じて「散歩」ではないと苦笑いするしかなかった。ドストエフスキー夫妻の健脚ぶりがよくわかった。
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前情報では古城の前にカフェがあって休むことができるとあったのだが、残念ながらクローズ。オフシーズンにはどうやらやっていないらしい。カフェラテでも飲んで体力回復したいと願っていた私にとっては手痛いクローズだ。
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では古城に入っていこう。ここは特に入場料もなく自由に入っていくことができる。
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おぉ、たしかに古城の雰囲気がある。ちょっとした廃墟感がまた風情があっていいものだ。
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狭い通路を通りながら廃墟を巡る。ドストエフスキー夫妻のいた頃は手すりなどはあったのだろうか。もしなかったならかなり危険なのではないかと思う。山の上で風も強い。事故もあったのではないかと思ってしまった。
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やはり山の上だけあって見晴らしはよい。ずいぶんと遠くまできたものだ!
ドストエフスキーに興味のある方にとってはいいかもしれないが、ここは気軽な散歩で来るにはちょっと勇気がいる場所だと思う。軽ハイクくらいの気持ちが一番ちょうどいいのではないだろうか。
バーデン・バーデンのプロムナード
カジノのあるクアハウスの近くにはプロムナードと呼ばれる川沿いの散歩道がある。
ここはまさにバーデン・バーデンの名物と言ってもいいほどの散歩道で非常に風情があっていい雰囲気。
ドストエフスキー夫妻も確実にここを歩いていたことだろう。
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私はやはり川が好きだ。川沿いを歩いているとほっとする。
うん。散歩というのはこういうことだ。山歩きのことではない。
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のんびり散歩してちょっと疲れたらカフェでお休みして・・・あぁ、なんていい所だろう。バーデン・バーデンがものすごく居心地がいい。やはり世界有数の保養地だけある。落ち着いた雰囲気が肌に合うのだろうか、テーマパーク感はここにはほとんどない。
バーデン・バーデンのドストエフスキー像~私がこの旅で最も感動した彫刻!
そしてぜひ皆さんに紹介したいものがある。これは全世界に声を大にして伝えたい。ここバーデン・バーデンに世界最高レベルの傑作があるのだと。
私がこの像の存在を知ったのは、旅の下調べ中、マップでドストエフスキーの家を探している時だった。「ドストエフスキーの家」は出てこなかったがその代わりに見つかったのがこのドストエフスキーの像だったのである。
街の中心部から少し離れた公園に立っているというドストエフスキーの像。せっかくなので私もこの像を観に行くことにしたのである。しかしこれがまさか私の生涯におけるベスト彫刻の一つになるとは思ってもみなかった。
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ドストエフスキーの家から真っすぐ北に向かって道を進むと、公園沿いの並木道に出る。この道を真っすぐ進めばドストエフスキーの像と出会えるらしい。しばらく私は道なりに歩き続けた。
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ん?あ・・・いた!何か立っている!あれか!あれがドストエフスキーか!!
道の真ん中で突然興奮し始める東洋人に目の前の夫婦はさぞ肝をつぶしたことだろう。
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丘の上からバーデン・バーデンの方を見つめるドストエフスキー像。視線の先はカジノだろうか。
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あぁ・・・なんと哀愁漂う姿だろう・・・
この像はモスクワの彫刻家Leonid Baranov作で2004年に建てられたものだそう。
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彼のそばに立って同じ方向を眺める。なんて悲しい景色だろう。あまりにあんまりな場所に、あんまりな置かれ方をしているではないか。せめてカジノに背を向けていてくれと思った。しかしこうでなければならないのだ。これだからこそ意味があるのだ。恐ろしい彫刻である。
そして彼の顔を見て私はハッとした。
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すがるような目つきで力なく呆然と立ちつくすドストエフスキー。哀愁と賭博への狂気が漂っている。こんな悲しい彫刻があるだろうか!ここにいるのは偉大な文豪ドストエフスキーではない。ここにいるのは人生に敗れた哀れな一人の男にすぎない。この夢遊病のような、いやまさしく悪夢の日々を過ごしたドストエフスキーをこんなに見事に捉えるなんて・・・この彫刻家はドストエフスキーにかなり愛着があるに違いない。そうでなければこんな見事に彼の姿を捉えることはできないはずだ。彼の内面を相当知っていなければ不可能だと思う。
帰り道、私はこの像を何度も何度も振り返り眺めてしまった。その度にもの悲しい思いが浮かんできた。私は完全にこの像にやられてしまった。私はバーデン・バーデンの滞在中ほぼ毎日この像を訪ねた。
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二度目にやって来たとき、私は彼が乗っている奇妙な球体がルーレットの球であることにようやく気付いた。そしてその下の台座は当然ルーレット板ということになる。卵上に押しつぶされ、ひびが入った玉、そしてひしゃげたルーレット板。狂気に沈む夢遊病者のドストエフスキーの心理がここに読み取れはしないだろうか。
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写真では見えないかもしれないが雨の日のドストエフスキーの物悲しさたるや・・・
雨の日も風の日も、春も夏も秋も冬もずっとあそこに立ち続けているのだ。カジノを眺めながら・・・
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これはまた別日の夕方に訪れた写真だが、ここでこの像の細部をじっくりと観ていくことにしよう。
まず目につくのは彼のコートだ。ボロボロになったコートの質感が見える。上着を繕う金も、新しいものを買う余裕がないことがすぐにわかる。そして両肘、右胸に入っている異様に深い「ほり」。何だこれは?たしかに折り曲げたり、動いたりすればしわになったり擦れやすい場所ではある。だがそれにしては異様に誇張されている気がする。そしてふと気づく。これはもしかして手で強く握りしめた時にできた跡ではないかと。自分を抱きしめるかのように腕を交差して服を掴むと右胸の「ほり」のようになるのではないか。
明日どうなるかわからぬ不安、抑えきれない賭博への情熱、金をすった自責の念、情けなさ、そのすべてに打ちひしがれるドストエフスキー。がたがた震える全身を抑えるが如く自分の身体を掴む。そんな姿勢で夢遊病者のようにとぼとぼカジノから遠ざかり、ふと元来た方を振り返った・・・その一瞬を切り取ったのがこの像ではないか。
まるで夢遊病者のような表情、そしてうっすら猫背気味の背中に力なく垂れた両腕。ほんの少し閉じられた両こぶしに抑えきれない感情が見えはしないだろうか。
まさしくドストエフスキーは悪夢の中にいる夢遊病者なのだ。この像を造ったLeonid Baranovは天才か!
私の中で彫刻のトップはミケランジェロの『ピエタ』、ルーブル美術館の『サモトラケのニケ』だ。
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これらと比べることはできないが、それに匹敵するほどの衝撃を受けたのは間違いない。そしてこの『バーデン・バーデンのドストエフスキー像』の劇場的効果はあのベルニーニに匹敵するのではないだろうか。
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ベルニーニはあのサンピエトロ大聖堂の内装や広場を設計した天才彫刻家だ。ベルニーニは彫刻の置かれる空間をまるで劇場のように作り変える。彫刻単体だけではなく空間そのものも芸術に取り込んでしまうのだ。詳しくはこちらの「ミケランジェロとベルニーニが設計したサン・ピエトロ大聖堂の美の秘密を解説 イタリア・バチカン編⑥」の記事を参照して頂ければその意味するところを感じて頂けるだろう。
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ローマの偉大な芸術家が生み出した劇場効果。それに匹敵するものを私はここバーデン・バーデンで感じたのである。
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ドストエフスキーのドラマが、人間性がこれほど見事に表現された像があるだろうか。
この像はバーデン・バーデンそのものを舞台空間にしているのである。像本体を超えてこの街そのものも芸術として取り込んだのだ。
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それにしても悲しい、残酷な像だ。他にどうすることもできなかったのだろうか。もっと市内に近い所でにっこりピースさせたらどうだろうか。いやいや、馬鹿を言ってはいけない。この像は、こうでなければならないのだ。これ以外には全くありえない。これがバーデン・バーデンのドストエフスキーなのだ。いやぁ本当に素晴らしい。私はこの像の虜だった。
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こうなってしまえば私はもういても立ってもいられない。夜のドストエフスキーにも会いたくなってしまった。暗い夜道を歩きドストエフスキーのもとへ。外国の夜道ということで若干の不安もあったがそんなことは言ってられない。私は会いたいのだ、夜のドストエフスキーに。
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ああ、あなたは夜もここにいるのですね・・・
誰もいない静まり返ったこの丘にドストエフスキーは相変わらずいた。ぽつんぽつんと立つ街灯のぼんやりとした光を受けてようやく彼の姿が見えるくらいだ。
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バーデン・バーデンの夜景を見守るドストエフスキー。彼はいつも一人でここにいる。そっと寄り添いたくなる姿だ。アンナ夫人が彼を守りたくなったのも少しわかる気がした。あまりに哀れで、同情を誘うのだ・・・
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後ろ髪を引かれる思いで私は宿に引き返した。
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何度でも強調するが、これほど素晴らしい彫刻は滅多にない。私がドストエフスキーに思い入れがあるというのを差し引いてもこれはものすごい傑作だと思う。
バーデン・バーデンにはものすごい傑作がある!!
このことが世界中にもっと広まることを願っている。
バーデン・バーデン最終夜、ついにカジノデビュー。ドストエフスキーが狂ったルーレットの魔力を考える
私がバーデン・バーデンに滞在したのは5日間。カジノツアーに早々に参加した私であったが、なぜか実践するにはずいぶん二の足を踏んでしまい、そのまま最終夜を迎えてしまったのである。これはいかんということで私は勇んでカジノへ向かったのであった。
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私は日本から持参した1万円札を軍資金として用意してきた。ピカピカの新札である。この日のために用意したものだ。だが、正直、私は勝つつもりはない。むしろ負けたい。ドストエフスキーのようにあっという間に負けたい。この1万円はここに納めるために持ってきたのだ。
・・・でもちょっとは勝ってみたいという邪念が頭をよぎる。いかんいかん!私は純粋に彼のように負けたいのだ!
(ちなみにであるが、普段私はギャンブルをしない。学生時代は友人に連れられスロットに通った時期もあったが私にはギャンブルは向いていなかったようである。そして今回のルーレットの軍資金は当時連載中だった新聞記事の原稿料から拠出している。その点はご容赦願いたい)
さて、若干緊張した心を抱えながら私はカジノに乗り込んだ。ガイドツアーで聞いて驚いたのだがここでは世界中のあらゆる通貨をチップに交換できるとのこと。つまり日本円をユーロに交換することなくチップを買えるというわけだ。私の持ってきた日本円の1万円札をしっかりこのカジノに置いてくることができた。日本円は珍しいのか係のダンディーなスタッフは驚いていた。ちなみにクレジットカードでも決済可能なので気軽にチップを購入できる。
オープン前の誰もいないカジノと違って夜のカジノはたくさんの人で賑わっていた。世界屈指のカジノということでドレスコードもある。男性はジャケット着用が必須でスニーカーやジーンズはご法度だ。というわけでたいそう気品溢れる雰囲気かと思いきや、意外とリラックスした雰囲気だった。もちろん、ドレスアップしている人もたくさんいたし、私のようなぎりぎりのラインの人もいた。全体としてはリラックスしたオシャレな雰囲気で皆が悠々とゲームを楽しんでいるという印象。
そして私の目的はルーレット一択。ドストエフスキーが狂ったルーレットを私も体験するのだ。
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私は玉の動きに集中できるよう、ルーレット台に近い位置を確保した。
私はルールだけはネットで予習し、勝負に臨んだ。だがよくわからないので『賭博者』にあやかって「0」に賭け続けた。
ディーラーがチップを募り、ある程度集まるとルーレットを回しボールを投入する。ボールが台の外周を回るカラカラカラカラという音が響き、目の前を赤黒のまだらが回転していく。このカラカラカラカラという音と赤黒の回転を見ていると催眠術にかかったようにぼーっとしてしまう。そして徐々に勢いを失ったボールはカタンと音を立ててマスに落ちていく。入るのか、入らないのか、赤黒の回転とボールの動きに目が離せない。時折目に入る「0」の緑色も強烈だ。そして憎らしいのがこの赤黒だけではない。ルーレットの外枠が光沢ある美しい木で作られており、さらにはルーレットを回す取っ手が銀色に輝くトロフィーのようにも見えてくる。
赤黒の回転、緑の「0」、ボールの転がる音、美しい木枠、銀色の取っ手、そして何より、この豪華な空間。ここで勝てば運命が変わるんだと本気で思えてしまう舞台だ。しかもドストエフスキーは最後の1フランまで賭けている。これに負ければ破滅だとわかって賭けている。ただの遊びで賭けた私ですらドキドキしてしまうのだ。これが人生を賭けた一投だとしたらどんなことになってしまうのか。私にはそんなことはできない。絶対にできない。だが、ドストエフスキーはそういうところまでいってしまう人間だったのだ。ドストエフスキーはまさに『賭博者』で書かれていた通りの人間だった。
それにしてもあのルーレットの回転・・・「運命の輪」なんて言葉があるがまさにこの回転には危険な魔力がある。ドストエフスキーはこれに狂わされたのだ。
私はといえば30分ももたずにすっかりすってしまった。だが私の目的は達した。この30分、ルーレットを見つめ続けた。ドストエフスキーのことを考えながらのカジノ体験は非常に刺激的だった。
こうして私はバーデン・バーデンの最後の夜を終えたのである。
続く
主要参考図書はこちら↓
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