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【パリ旅行記】(2)パリ最初の散歩。コンコルド広場からセーヌ川へ。パリジャンのさりげないオシャレ感にたじろぐ
羽田からパリへは15時間半の長丁場。パリの宿に着いたのは現地時間19時頃、日本時間で言うならばもう深夜だ。私はすぐにベッドに入りあっという間に眠ってしまった。
翌朝、3時頃には目を覚ましてしまうが時差もあるので仕方ない。私はそのまま起きて、7時前頃の日の出時間に合わせて散歩することにした。
昨日は空港から直接ホテルに向かったのでパリの街を歩くのはこれが初めてだ。
まだ薄暗いがこれくらいなら問題なく歩ける。
コロナ禍もありアジア人がこの時間に一人で歩いていて大丈夫なのかと不安になりながらも歩き始める。
というのも私は2019年にボスニアを訪れた際、強盗に遭っている。幸いなんとか逃げることができて無事だったがあのような事態はもう御免である。(「上田隆弘、サラエボで強盗に遭う ボスニア編⑨」参照)
おぉ・・・パリだ・・・!
私が歩いたのはマドレーヌ寺院周辺からコンコルド広場、セーヌ川へと向かっていくルート。
早朝ということで人はまばらであったが、危険な雰囲気は今のところ感じていない。だがまだまだ油断はできない。
コンコルド広場が見えてきた。
コンコルド広場はパリの中心と言ってもいい場所に位置し、ここから大きな道路が各方向に真っすぐに伸びている。
その一つが有名なシャンゼリゼ通りでその視線の先にはあの凱旋門が見える。これには思わず「おぉ~!」と声が漏れてしまった。
このコンコルド広場はかつて公開処刑場としても使われていた。ルイ16世やマリーアントワネットもここでギロチン処刑されている。
これだけ大きな広場に群衆が殺到し、処刑が見世物として成立していたという歴史が現に存在していた。
『レ・ミゼラブル』で有名なヴィクトル・ユゴーはこうした死刑を強く批判し、『死刑囚最後の日』を執筆し、トルストイも実際にギロチン処刑を目にし強いショックを受けている。トルストイが見た処刑はこの広場だったかはわからないが、一万二千~五千人の人々が広場に集まっていたということでかなり大きな広場だったことは確かだろう。
そんなユゴーやトルストイのことを考えながら私はコンコルド広場を歩いていたのであった。パリ最初の散歩でいきなりギロチン処刑のことを考える観光客などいるのだろうか。
コンコルド広場からさらに真っすぐ南に歩くとセーヌ川にぶつかる。
「ほぉ・・・これがあの名高いセーヌ川か・・・」
橋の真ん中から川を眺めるとノートルダム大聖堂の塔が見えた。パリといえばセーヌ川、ノートルダム大聖堂。その二つを同時に見れるとは。
セーヌ川沿いを歩いていると自分が「あのパリ」にいるということを実感する。
そして昨夜のホテルのチェックインの時にも私は思った。
「あぁ、これがパリジャンなのか」と。
綺麗でピリッとした格好いいシャツをさらっと着こなす彼。フォーマルなユニフォームを着ているのではなく、あくまで私服。金縁の丸メガネをして柔らかくカールした金髪を揺らしながら「ボンソワール」と言った彼のさりげない笑顔。
私は一瞬で気詰まりになってしまった。
なぜ私はこんな格好をしているんだ。なぜうまく話せない?なぜ堂々とできない?
卑屈な私が一瞬で噴き出してきた。
そして、「あぁ・・・自分もいいシャツを着たい」と思ってしまった。これには自分でも驚いてしまった。
私は海外に行くとき(普段もそうなのだがそれは言わないでおこう)は徹底的に実用重視で、さらにスリや強盗に狙われないよう、あまりお金を持っていなさそうな格好をした方がいいとずっと考えてきた。そして今回もそれに準じた服装だった。そしてそれに対して何の負い目も持っていなかった。
しかしどうだろう。パリに着いていきなり「あぁ・・・いいシャツを着たい」と私は思ってしまったのである!何たることだろう!これがパリか!こうさせてしまう魔力がパリにあるのだろうか!「格好いい」人間になりたいと思わせてしまう空気がここに存在しているのか。
たったこれだけの時間で私はすっかりパリに影響を受けてしまっている。それが悔しいのだ。
だが、私はドストエフスキー的であり、トルストイ的人間である(と自分では思っている)。
そう、ふたりは決してツルゲーネフ的ではなかった。
もっと直接的に言えば、「ふたりは洒落たタイプ」ではなかったのだ・・・
このことは彼らの思想や文学において、少なからぬ意味を持っているのではないかと私は個人的に思っている。
モテる洒落男ツルゲーネフとの対比は非常に興味深い。
当意即妙のユーモアを持った洒落た男。それに対し無骨で真面目過ぎるモテないふたり・・・
このイケてない男の悲哀が特に現れているのがドストエフスキーの初期作品『分身』だ。
ドストエフスキー作品の中でもこの作品は特に私のお気に入りだ。イケてない男の悲哀と世の中をうまく渡っていく男との対比がこれでもかと描かれている名作だと私は思っている。ぜひ手に取って頂ければ私も嬉しく思う。
話は逸れたが、私はパリに来て早々その影響を被ってしまった。フロントのパリジャンのさりげないおしゃれ感と笑顔にすっかり影響されてしまったのである。
ドストエフスキーやトルストイのように「さぁパリの街よ覚悟しておくがいい」という気概で臨むはずがいきなりそれをくじかれてしまった形である。
これから1週間私はパリに滞在する。私はこの街に何を思うのだろうか。
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