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ユートピア社会主義者フーリエとドストエフスキー~なぜドストエフスキーはフーリエに惹かれたのか

目次

なぜドストエフスキーはフーリエに惹かれたのか~ユートピア社会主義者フーリエとドストエフスキー

今回の記事では前回紹介した『シャルル・フーリエ伝 幻視者とその世界』とモチューリスキー著『評伝ドストエフスキー』を参考に空想的社会主義者フーリエとドストエフスキーの関係について見ていきたいと思います。

ドストエフスキーは25歳になる1846年頃、社会主義思想に傾倒し思想サークルに入会します。そこで研究されていたのがフーリエを中心とする空想的社会主義だったのです。

しかし、当初は武力革命を考えるなどありえないという穏健なグループでしたが、後に数人が過激化し、ドストエフスキーもその中に入ってしまいました。実際に暴力事件を起こすかどうかは別として、この動きを警察に察知され彼らは逮捕。シベリア流刑となってしまいます。

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ですがこのシベリア流刑こそ、ドストエフスキーの作家人生に大きな影響を与える転機となったのでした。そのシベリア流刑での体験を小説にしたのが名作『死の家の記録』です。

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そしてシベリアから帰還したドストエフスキーは『罪と罰』を皮切りに五大長編を著すことになり、ロシアの文豪として世界中に名を轟かせることになったのでした。

では、まずは『評伝ドストエフスキー』からなぜドストエフスキーがフーリエに傾倒したのかをじっくり追っていくことにしましょう。

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ドストエフスキーの青春は、ロマンチックな「夢想」、シラー的な理想主義、フランスのユートピア的社会主義を特徴として過ぎて行った。ジョルジュ・サンドとバルザックの影響を受けて、彼の心には早くから社会的関心が目ざめた。べリンスキーは、『貧しい人びと』の作者をロシアの最初の社会小説の創始者として熱烈に歓迎した。社会的不公正への抗議と『虐げられ辱められた人びと』の擁護とは、彼の初期の全作品に一貫してついてまわっている。(中略)

ロマンチックな理想主義から社会主義へ移行するのは、ごく自然なことだった。若い作家は、神秘的な期待と、すぐに黄金時代がやってきて生活はがらりと変わってしまうはずだという確信などの雰囲気に包まれて生きていた。彼には、ヴィクトル・ユゴー、ジョルジュ・サンド、バルザックなどの新しいキリスト教芸術が世界を蘇らせ、人類を幸福にする使命を荷っていると思われた。彼は、サン・シモン、フーリエ、プルードンらの思想大系が、ロマンチシズムの約束を実現し、よりよい生活への憧れをみたしてくれると信じていた。社会的ユートピア思想は、四〇年代の人間には、キリスト教信仰の延長で、福音書の真理の実現だと見られていた。それは、キリスト教の黙示録の今日的な「社会」言語への翻訳にほかならなかった。

筑摩書房出版、モチューリスキー、松下裕・松下恭子訳、『評伝ドストエフスキー』P123-124

『フーリエ伝』を読んでから改めてこの箇所を読んでみて改めて驚いたのは、フーリエ等の社会主義思想がロシアの青年たちにとってはキリスト教信仰の延長で捉えられている点でした。

『フーリエ伝』を読んでいると、フーリエ自身は逆にキリスト教信仰から離れようとさえしています。彼が熱心にキリスト教を信仰したという事実はその著作からも見えてきません。

ですがロシアの青年たちは彼のユートピア思想にキリスト教的理想郷を見出すのでありました。そしてそのベースにはユゴー、ジョルジュ・サンド、バルザックがいるというのも興味深いですよね。

ドストエフスキーは、みずからの熱狂的な青春を回想して、一八七三年の『作家の日記』に書いている。「当時はまだこの問題が、この上なく薔薇いろの、天国のように道徳的な光をたたえたものと理解されていた。じっさい、芽生えつつあった社会主義は、そのころ、その陣営の指導者の何人かの人びとによってさえも、キリスト教と同一視され、ただそれが時代と文明に応じて修正され改良されたものだと受けとられていた。当時の新しい思想はみな、われわれぺテルブルグの仲間に大いに気に入られ、きわめて神聖かつ道徳的なものと思われ、なによりもまず人類共通のもの、例外なしに全人類のための未来の法律だと思われていたのである。われわれは、一八四八年のパリ革命よりはるか以前に、これらの思想の魅惑的な影響にとらわれていたのだ」(「現代的欺瞞のひとつ」)

ドストエフスキーは査問委員会への「弁明」で、ユートピア社会主義への傾倒を大胆に認めている。彼は書いている。「フーリエ主義は平和的な体系である。それは優美さによって魂を魅了し、フーリエがこの体系を構想する過程で彼に霊感を与えた人類愛によって心をひきつけ、理路整然たることによって理性を驚嘆させる。それが人びとをひきつけるのは、激しい攻撃によってではなく、人類愛によってである。この思想体系に憎悪はない」

ドストエフスキーは、世界変貌のユートピア、キリスト教社会主義を放棄することはけっしてなかった。黄金の世紀と世界の調和という思想は、なにより彼の熱望した「神聖な」思想だった。それは彼の世界観と創作の中心に位置している。

筑摩書房出版、モチューリスキー、松下裕・松下恭子訳、『評伝ドストエフスキー』P 124

ドストエフスキーが社会主義思想に傾倒したのはこうしたフーリエのユートピア思想があったからこそでした。

結果的には後に逮捕されてしまうことにはなりますが、ドストエフスキーがキリスト教的ユートピアを求めていたというのは非常に重要な点であると思います。

では今度は『フーリエ伝』から、フーリエがドストエフスキーを魅了したと思われる箇所を見ていきたいと思います。

フーリエの美的センスとクロード・ロラン

彼の同時代人がごつごつした岩山、ごうごうと流れ降る瀑布、荒れ狂う海の荘厳さに瞠目できたのに対して、フーリエの嗜好は静けさ、規則性、調和性へと向けられていた。彼の建築学上の希望はフランス田園の「ひしめきあうあばら家」「悪臭漂う沼地」を「規則に適った建築物」に置き換えることであり、「プロヴァンス地方の禿げ上がった山々や、恐怖でおじけづくほど醜悪なヴォクリューズの泉、シャンパーニュ地方の砂っぽい荒野」のような「醜悪な眺め」を「美しきフランスの名の下に褒めそやして」われわれの感受性を慣らさせようとしている「学者たち」へは、誰はばかることなく軽蔑を公言していた。

彼自身の理想は、ファランジュ(※フーリエの語るユートピア ブログ筆者注)の描写に縮図的に現れているとおり、四阿あずまやが点在し花々が植えられた景観であり、自然はよく手入れされきちんと配置され、視線は道に沿い木陰のもとで円柱上の建物と色鮮やかな天幕へと導かれてゆくような景観だった。プッサンとかクロード・ロラン(いずれもバロックの画家。典雅で秩序ある表現の歴史観、風景画を得意とした)のような人々の伝統につらなるヴィジョンだった。
※一部改行しました

作品社、ジョナサン・ビーチャー著、福島知己訳『シャルル・フーリエ伝 幻視者とその世界』 P 69

クロード・ロラン(1600年代~1682)といえばドストエフスキーが愛した画家です。

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ドストエフスキーは晩年まで変わらず彼の作品を愛し、『悪霊』『未成年』に強い影響を与えました。『未成年』について語られたモチューリスキーの言葉を聞いて見ましょう。

ロシアの全人類的愛は、黄金時代の夢に具体化されている。ドストエフスキーは、『悪霊』の削除された章「チーホンのところで」から、スタヴローギンの夢をそっくり書き入れている。ただその悲劇的な終わり(赤い蜘蛛)だけは省いているが。

地上の楽園の光景は、クロード・ロランの風景画「アシスとガラテア」によってもたらされたものだ。多島海の島々、青い波、沈みゆく太陽、すばらしい、幸福な人びと……。

この夢は生涯作家の心を離れなかった。黄金時代のユートピアは、そのはるかな輝きで、彼の全作品を照らしている。ヴェルシーロフは感傷をこめて言っている。「これは人類のすばらしい夢、気高い瞑想だ!黄金時代は、これまであったあらゆる夢のなかで最も法外な夢だが、人びとはそのために全生涯と全精力をささげてきた。そのために予言者たちが死んで行ったり、殺されたりした。それなくしてあらゆる民族は生きることを望まず、死んで行くことさえできないのだ!」(ニ)。

ドストエフスキー自身も、このような「法外な夢」の予言者だったし、フーリエやサン=シモンへの熱中時代だけでなく、徒刑後も―つねに変わらなかった。
※一部改行しました

筑摩書房出版、モチューリスキー、松下裕・松下恭子訳、『評伝ドストエフスキー』P 578-579

ドストエフスキーがフーリエのユートピアに惚れ込んだのも、同じような美的センスを持っていたからなのかもしれません。

フーリエのほとんど狂気じみた同情の能力

マルクスとエンゲルスとは異なり、フーリエは社会階級間の対立と同じほど両性間や世代間の対立も重視した。

彼はまたきわめて広い幅の社会悪に敏感であり、とりわけ苦痛をこうむっている当人が説明したり理解さえできないような類いの心的ないし精神的な苦難へ眼を向けていた。フーリエが関心をもっていたのは工場労働者の搾取や小規模農民の窮状ばかりでなく、主婦が毎日行う骨の折れる家事であり、会社勤めの倦怠であり、子供の虐待であり、年配者の愛も安心感もない生活であり、醜男醜女が受ける苦しみだった。彼らの階級とか地位はこの際関係なかった。なんであれ彼は見てとると即座に苦痛を理解し、他の誰も気づいていないところにも苦痛を見出す明晰な視力をもっていた。

エドマンド・ウィルソン(アメリカの評論家、エッセイスト)がフーリエについて、「ほとんと狂気じみた同情の能カ」をもっている、とまで言ったのはこのためだった。
※一部改行しました

作品社、ジョナサン・ビーチャー著、福島知己訳『シャルル・フーリエ伝 幻視者とその世界』 P 195

ここはかなり重要な点だと思います。

ドストエフスキーもひとりひとりの苦しみや共感に非常に敏感でした。

ドストエフスキーはデビュー作の『貧しき人びと』から、こうした人々の苦しみを描き、寄り添ってきた作家です。

苦しみは単なる苦しみではなく、そこには大きな意味がある。

一言でロシア正教とのつながりを述べるのは私には畏れ多くてできないのですが、苦悩の問題を大切にする点でドストエフスキーとロシア正教との関わりともつながりがあるように思われます。

この点は今後ドストエフスキーと正教のつながりを見ていく中で改めて考えていきたいと思います。

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ドストエフスキーとロシア正教についての関わりは上の本がおすすめですのでぜひ手に取って頂けたらなと思います。

フーリエの著述の才能~圧倒的なファランジュ(ユートピア)の描写力

フーリエの作品の最も印象的な特徴の一つは、ファランジュの生活を叙述する彼の筆致の魅力であり鮮やかさである。彼は「一介の無学な商店員」を名乗ってはいたが、実のところ、ロココ式の細密画家の創作の才と繊細な筆力を備えていたのだ。彼にはディテイルに語らせ、登場人物へ苦笑いのイロニーを向けるという眼識があった。そしてなによりも、驚くほど精密な想像力をもっていた。フーリエは充分おのれの想像の能力に気づいていた。晩年不遇にあっても、文壇でのうのうと過ごしている批判者たちに、自分の作品はたとえ虚構としても彼らのものよりはるかに優っていないだろうか、と訴えかけるのだった。

「まったく、お前たちはなんと気の毒な小説家たちなのだろう。私の作品の四分の一でも価値のある小説をお前たちは一本たりと書いたことがあるだろうか。こと小説に話を限り、私が小説家の役回りしか果たしていないとしたとしても、私にはたった一人で小説家たちの大波に立ち向かい、打ち負かし、その波が無能なピグミーの集まりにすぎないと証明してみせることができるのだ。」

フーリエは同時代人バルザックと同様に、想像力から世界を紡ぎ出した。けれども彼は、おのれの虚構が現実化するまで、満足することはできなかった。

作品社、ジョナサン・ビーチャー著、福島知己訳『シャルル・フーリエ伝 幻視者とその世界』 P 226

フーリエ作品の最大の魅力は彼の筆致であり、圧倒的な描写力でした。

それは他の小説家を凌ぐほどであり、著者はバルザックと並べているほどです。

文学青年だったドストエフスキーは、彼の完璧なユートピアを見せつけられてきっとうっとりしてしまうものがあったのではないでしょうか。

何せフーリエもドストエフスキーもクロード・ロラン的な美を好んでいました。理想とする世界がそもそも似ているのです。しかもそれを言葉の力で完璧に再現するフーリエにドストエフスキーが惚れ込んだのも無理はないかもしれません。

また、フーリエはそのユートピア描写において「調和」を重んじていました。

これもドストエフスキーを考える上で重要なポイントです。ドストエフスキーが「調和」を意識した時、彼が作品においてどのようにそれを落とし込んでいるかというのも今後注目していきたいと思います。

おわりに

今回の記事では『シャルル・フーリエ伝 幻視者とその世界』と『評伝ドストエフスキー』を参考にフーリエとドストエフスキーのつながりについて考えてみました。

より厳密に見ていけばさらにつながりが見えてくる箇所もあったかもしれませんが 、私の中で「これは」と思った3つのポイントを紹介致しました。

1 フーリエの美的センスとクロード・ロラン
2 フーリエのほとんど狂気じみた同情の能力
3 フーリエの著述の才能~圧倒的なファランジュ(ユートピア)の描写力

これらがドストエフスキーがフーリエに惚れ込んだ背景としてあったのではないかと私は感じました。

また、ドストエフスキーをはじめとしたロシアの青年たちがフーリエ思想をキリスト教の延長として見ているのは非常に興味深い点だと思います。

これはロシア特有の現象かもしれません。

『フーリエ伝』を読んでいてもキリスト教的なものはほとんど感じませんでしたし、たしかにその根底にはあったのかもしれませんがドストエフスキー達がそこまで熱狂的になるほどはたしてフーリエはキリスト教について考えていたのかは疑問が残ります。どちらかといえばもうひとりの空想的社会主義者サン・シモンの方が明らかにキリスト教的な世界観を全面的に打ち出しています。

フーリエが実際にどう考えていたのかはわかりませんが、ドストエフスキーにとってはフーリエこそ心にぐっとくる思想家だったようです。

マルクスを学ぶ過程でフーリエを読んでみましたが、ドストエフスキーとつながるという思わぬ収穫になりました。

シベリア流刑前のドストエフスキーを知る大きな手掛かりになりそうです。これは興味深い発見でした。

以上、「ユートピア社会主義者フーリエとドストエフスキー~なぜドストエフスキーはフーリエに惹かれたのか」でした。

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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