小林登志子『シュメルー人類最古の文明』~メソポタミア文明初期に繁栄したシュメル人とは何者なのかを知るのにおすすめの入門書

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小林登志子『シュメルー人類最古の文明』概要と感想~メソポタミア文明初期に繁栄したシュメール人とは何者なのかを知るのにおすすめの入門書

今回ご紹介するのは2005年に中央公論新社より発行された小林登志子著『シュメルー人類最古の文明』です。

早速この本について見ていきましょう。

五千年前のイラクの地で、当時すでに文字やハンコ、学校、法律などを創り出していた民族がいる。それが、今までほとんどその実像が明らかにされてこなかったシュメル民族である。本書は、シュメル文明の遺物を一つ一つ紹介しながら、その歴史や文化を丹念に解説するものである。人類最古の文明にして現代社会の礎を築いた彼らの知られざる素顔とは―。多様かつ膨大な記録から、シュメルの人々の息づかいを今に伝える。

Amazon商品紹介ページより

この本は約5千年前、つまり紀元前3000年頃に文明を発達させていたシュメル人とは何者なのかということを解説してくれる作品になります。

上の商品紹介にもありますように、シュメル人は紀元前3000年の段階でかなり高度な文明を形成していました。

この本の巻頭ではオリエント学者の三笠宮崇仁親王様がこの本についての「はしがき」を書かれています。

このたび、小林登志子氏の著『シュメルー人類最古の文明』が、「中公新書」として刊行されました。

日本人が書いたメソポタミア文明の本はいくつもありますが、シュメル文明だけを単独に扱った本は珍しいことです。シュメル人がメソポタミアに、いつ頃、どこからやってきたかはよくわかっていません。ですから、謎の民族とさえ呼ばれています。

私がまだ子供だった頃には、ヨーロッパ文明の源泉はギリシア・ローマだと思われていました。しかし今ではシュメル文明こそが、真の源泉だったことがわかってきました。

しかも、そのシュメル文明は西方ばかりでなく、東方にも伝播し、シルクロードを経て日本にも到達しています。たとえば、シュメル人の残したデザインのモティーフが、正倉院(奈良)の宝物の中にも見られるのです。

ただ問題はシュメル文字です。ローマ字は誰でも知っていますし、ギリシア文字も少し勉強すればわかります。しかしシュメル文字となると、そう簡単にはいきません。でも、たとえシュメル文字を知らなくても、この本を読めばシュメル文明を十分理解出来ると思います。

ぜひ、ご一読をお奨めします。

中央公論新社、小林登志子『シュメルー人類最古の文明』Pⅰ-ⅱ

ここで述べられているようにシュメル文明単独で書かれた本というのは意外と少ないです。そんな中でシュメル文明とは何かということの全体像をわかりやすく語ってくれる本書は非常にありがたい作品です。

今から5000年前にこんな世界があったのかと読んでいて驚くばかりでした。

楔形文字の発明や神話というメジャーな話題だけでなく、気候や地理、政治経済などそれらが生まれてくる背景も語られるのでこれは非常に興味深いものがありました。

具体的にこの本で何が語られるのかということはこの記事ではお話しできませんが、この本の中でいくつか印象に残った箇所がありましたのでぜひご紹介したいなと思います。

まずひとつ目がこちらです。

なぜ読むか

「アッシリア学」は専門的分野に分かれて研究がおこなわれ、国際的な評価を受けている日本人研究者もふえている。だが、日本人研究者の裾野が広がっているとはいいがたい。欧米の研究者は「アッシリア学」を専門とすることに違和感はないようだ。彼らの多くが信じている『旧約聖書』から入って行ける。たとえば、「バべルの塔」からジグラトへ、「ノアの大洪水」からシュメル語版『大洪水伝説』へとさかのぼって行くことで、自らが拠って立つユダヤ教、キリスト教文化の背景をたどることができる。一方で、シュメルの歴史や文化は日本の歴史や文化と直接かかわりがあるわけではない。日本人がシュメル語の楔形文字を読む必要があるのだろうか。

前川和也先生がシュメル語をなぜ読むのか考えられたことがあり、結局、シュメル語を読むことは「シュメル人に経を上げることになる」と思うという主旨のことを話されたことがあった。心に残っている。

人間は自分のことを知ってほしいと思うものである。すべての人々にわかってもらうことはできなくても、少なくとも自分に好意的である人には等身大の自分を理解してほしいと思うものである。

シュメル人は粘土板に懸命に記録を残した。なかには明らかに後世の人間に読んでもらうことを願って書いたと思えるものもある。その心を受け止めたい。シュメル研究を志したことが縁であるならば、その縁を一生大切にしたい。シュメル人がなにをしたか、なにを考えていたかを知ること、そして次世代へ伝えることは後世の人間の務めではないだろうか。読んでやらなくては、シュメル人は往生できないのではなかろうか。

中央公論新社、小林登志子『シュメルー人類最古の文明』P280-281

『シュメル語を読むことは「シュメル人に経を上げることになる」と思う』

この言葉に私は強烈なインパクトを受けました。

私は僧侶です。今日もお経を上げています。そんな私にとって上の言葉がどれほどの驚きだったことか。

「人間は自分のことを知ってほしいと思うものである。すべての人々にわかってもらうことはできなくても、少なくとも自分に好意的である人には等身大の自分を理解してほしいと思うものである。」

「そうか、そういうことだったのか。私が日々お勤めしているお経も先人たちのそういう思いが込められたものなのだ」と深く頷いてしまいました。こういう視点で考えてみると日々の読んでいるお経や仏典がまた違って見えてくるような気がしました。お経というものについて改めて考えさせられた一節でした。

そしてもうひとつ、これは著者のあとがきに書かれていた箇所です。

私が、シュメルについて興味を持ったのは大学時代であった。私は「全共闘世代」である。同世代の女性で四年制大学に進学したのは五人に一人だった。私自身は政治活動をしなかったが、時代の空気を吸っていた。「ロックアウト」「ストライキ」が日常的にあり、大学構内には立て看板が並び、へルメットをかぶり、ゲバ棒を持った学生がアジビラを配る、熱い政治の季節だった。他の世代の学生のようには落ち着いて勉強することはできずに、あっけなく学生時代は過ぎ、卒業式も満足にできずに「惜別の歌」を歌って別れた。(中略)

本書はさまざまな世代の人に読んでほしい。なかでも「全共闘世代」の人にはぜひ読んでもらいたい。歴史は人間の営みがあってこその歴史であり、ただ時代が流れているのではない。どの人生も時代とは無縁ではありえないし、個々の人生が結集して時代を特徴づけている。我々の時代は終わろうとしている。「知命」はとうに過ぎ、「耳順」まであとわずかである。しかし「クルヌギ」に赴くまでは少し時間がある。青春時代に充分勉強できなかった人に、若い日に好きだった歴史を、単位のためではなく、長い人生経験を踏まえて再び楽しんでもらいたい。本書がそのきっかけになることを念じている。自分の人生や自分たちが担った時代を総括し、一度だけの人生の残り時間を充実させ、納得して終えてほしい。私自身はそうしたいと思っている。

そのいっぽうで、高校生や大学生がもし本書を読んでシュメル人の世界が面白いと思ったら勉強を続けてほしい。本書がきっかけとなり、「粘上板読み」が育ってくれれば本望である。さらにシュメルについて勉強したい人にはNHK学園の通信講座、日本オリエント学会監修「古代オリエント史講座」を勧めたい。世間一般すべてが軽薄になっているなかで、時代におもねらない正統派の講座である。シュメルについても学ぶことができる。

中央公論新社、小林登志子『シュメルー人類最古の文明』P282-286

「本書はさまざまな世代の人に読んでほしい。なかでも「全共闘世代」の人にはぜひ読んでもらいたい。歴史は人間の営みがあってこその歴史であり、ただ時代が流れているのではない。どの人生も時代とは無縁ではありえないし、個々の人生が結集して時代を特徴づけている。」

「青春時代に充分勉強できなかった人に、若い日に好きだった歴史を、単位のためではなく、長い人生経験を踏まえて再び楽しんでもらいたい。」

これらの言葉の中にどれだけの思いが込められているか・・・実際に自身も「全共闘世代」である著者が述べる言葉には重みがありますよね。「歴史を学ぶ」というのはどういうことなのか、改めて考えてみることの大切さをここで感じました。

さて、本書の主題であるシュメル文化についてはこの記事ではほとんどお話ししませんでしたが、それはこの本を読めばわかりやすく解説されているからでもあります。ぜひこの本で古代の驚くべき文明を学んでみてはいかがでしょうか。

とてもおすすめな入門書となっています。

以上、「小林登志子『シュメルー人類最古の文明』メソポタミア文明初期に繁栄したシュメル人とは何者なのかを知るのにおすすめの入門書」でした。

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