R・ヴァナガイテ、E・ズロフ『同胞 リトアニアのホロコースト 伏せられた歴史』~歴史修正主義を考えさせられる衝撃の一冊

現代ロシアとロシア・ウクライナ戦争

R・ヴァナガイテ、E・ズロフ『同胞 リトアニアのホロコースト 伏せられた歴史』概要と感想~歴史修正主義を考えさせられる衝撃の一冊

今回ご紹介するのは2022年に3月に東洋書店新社より発行されたルータ・ヴァナガイテ、エフライム・ズロフ著、重松尚訳の『同胞 リトアニアのホロコースト 伏せられた歴史』です。

早速この本について見ていきましょう。

ナチ・ドイツ占領下のリトアニアで、20万人のユダヤ人が殺害された。実際に手を下したのが、占領軍ではなく、現地のリトアニア人であったことは、リトアニア社会で長らく直視されずに来た。「自国民の罪」を告発し、激しい論争を引き起こした問題の書。

ホロコーストにおけるリトアニア自身の罪をえぐりだした本書は、本国リトアニアでベストセラーとなったが、賛否両論を巻き起こし、最後には国内での販売停止、脅迫を受けた著者の国外退避という事態にいたった。ここに、我々日本の読者も歴史修正主義をめぐる教訓を見出すことができる。

Amazon商品ページより

この本はバルト三国の一つ、リトアニアにおけるホロコーストについて書かれた作品です。

北からエストニア、ラトビア、リトアニアというバルト三国。名前は聞いたことがあっても場所までとなるとなかなか難しいですよね。

今回ご紹介する本では、そんなリトアニアのホロコーストについて徹底的に見ていくことになります。

地図を見て頂ければわかりますように、バルト三国の中でも一番南のリトアニアはドイツとロシアのちょうど真ん中に位置しています。つまり、独ソ戦の激戦地であり、両軍の進路上の国ということでナチスとソ連の双方から支配されることになった歴史があります。

歴史家のティモシー・スナイダーは『ブラッドランド ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実』でこうしたドイツとソ連の間に挟まれた地域をブラッドランド(流血地帯)と呼んでいます。

本に出ていた地図を参考におおよそのエリアをグーグルマップで書いてみました。

私たちはホロコーストというと真っ先にアウシュヴィッツを想像しています。

2019年ブログ筆者撮影

しかしこの本でスナイダーが述べるように、それはホロコーストの中の一部に過ぎず、他にも多くの場所で大量殺害が行われていました。

『ブラッドランド ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実』ではそうした事実が詳しく語られていきます。

その一部をここで紹介します。

アウシュヴィッツは、流血地帯でもっともよく知られた殺戮場である。今日のアウシュヴィッツはホロコーストの代名詞であり、ホロコーストは世紀の罪の象徴である。

しかしアウシュヴィッツの労働者として登録された人々には、生き長らえる可能性が残されていた。生還者は回顧録や小説を書いて、アウシュヴィッツの名を広く世に知らしめた。

ドイツのほかの「死の工場」では、それよりはるかに多くのユダヤ人が―ポーランド・ユダヤ人が大半を占めた―ガス室に送られ、ほぼ全員が死亡した。

トレブリンカ、へウムノ、ソビブル、べウジェツの収容所の名は、アウシュヴィッツほど頻繁には取りあげられない。

ポーランド、ソ連、バルト諸国では、さらに多くのユダヤ人が溝や穴の上で銃殺された。そのほとんどが占領下にあったポーランド、リトアニア、ラトヴィア、ソヴィエト・ウクライナ、ソヴィエト・ベラルーシの、自宅の近くで殺されている。

ドイツ人は、ほかの国で暮らしていたユダヤ人も流血地帯へ連れてきて殺そうとした。ハンガリー、チェコスロヴァキア、フランス、オランダ、ギリシャ、ベルギー、ユーゴスラヴィア、イタリア、そしてノルウェーから、ユダヤ人が列車に乗せられて続々とアウシュヴィッツに運ばれてきた。

ドイツに定住していたユダヤ人は、ウッチ、カウナス、ミンスク、ワルシャワなどの流血地帯の都市へ強制的に送られ、銃殺またはガス殺に処された。

わたしがいま本書を執筆している、ウィーンの第九区に住んでいた人々もやはり、アウシュヴィッツ、ソビブル、トレブリンカ、リガへ送られた。
※適宜改行しました

筑摩書房、ティモシー・スナイダー著、布施由紀子訳『ブラッドランド ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実』上巻P11-12

スナイダーの著書で述べられるようにアウシュヴィッツ以外の場所でも虐殺が行われていました。

そしてその一つとしてリトアニアも挙げられます。

『同胞 リトアニアのホロコースト 伏せられた歴史』の訳者解説ではこのことについて次のように述べられています。

ホロコーストが行われた場所としては、まずはナチ・ドイツが思い浮かべられるだろう。また、アウシュヴィッツのガス室のイメージも非常に強い。しかし、リトアニアで起きたホロコーストの実態は、ドイツやアウシュヴィッツとは大きく異なっていた。

一九一八年に独立を宣言したリトアニアは、第二次世界大戦中の一九四〇年にソ連に編入され、独立を失った。四一年六月中旬には、リトアニアの住民約一万七五〇〇人がソヴィエト当局によってシべリアなどに追放され、苦難を強いられることとなった。そのような状況にあった同月ニニ日、ナチ・ドイツがソ連に侵攻し、独ソ戦が始まる。これをソヴィエトからの解放の好機と見るリトアニア人は少なくなかった。また、このとき、リトアニアは最初のユダヤ人大量殺害を経験している。戦前はニ〇万~二〇万八〇〇〇人いたリトアニア・ユダヤ人のうち、約八割が四一年末までに殺害された。

独ソ戦が始まった当初には、一部のリトアニア人が、ドイツ軍が到着するよりも前に率先してユダヤ人を殺害するという事例もあった。そして、リトアニアがドイツの占領下となったのちも、リトアニア人がさまざまな形でホロコーストに協力、加担した。当時のリトアニア人がなぜホロコーストに関与したのか―これは本書の重要な論点の一つとなっている。

ドイツでは、一九三〇年代から第二次世界大戦期にかけて、まずユダヤ人に対する差別的な法が制定され、続いてユダヤ人がゲットーに隔離されるようになり、最終的に絶滅政策へと至る、といった具合に、ホロコーストは段階的に進展していった。対照的にリトアニアでは、独ソ戦の始まりをきっかけに、いきなり殺害という段階に至ったのである。また、アウシュヴィッツのガス室のように「機械的」に殺害が行われたわけではない。ユダヤ人の多くは町の近くの森などに連行され、そこで一人ひとり射殺された。このとき実際に手を下したのは、ほとんどの場合リトアニア人だったのである。

リトアニアでは、ユダヤ人殺害の波は四二年以降一時的に収束した。ドイツ当局が、ソヴィエトとユダヤ人の労働力を最大限利用しようとしたためである。この時期までに殺害されなかったユダヤ人はゲットーに収容され、強制労働を課されるなどした。しかし、一九四三年四月以降はリトアニア各地のゲットーが解体されることとなり、そこに収容されていたユダヤ人は殺害されるか、あるいはドイツなどの収容所に送られた。最後まで生き残ることができたユダヤ人はごくわずかであり、実に九〇~九五パーセントのリトアニア・ユダヤ人が犠牲となったのである。そして、この割合は、ヨーロッパ全体のなかでも最も高かった。東欧ユダヤ文化の中心地の一つとして知られていたリトアニアのユダヤ人コミュニティは、この世から永遠に失われてしまった。

東洋書店新社、ルータ・ヴァナガイテ、エフライム・ズロフ、重松尚訳『同胞 リトアニアのホロコースト 伏せられた歴史』P442-443

リトアニア国内に約20万人いたユダヤ人の90%~95%がホロコーストで亡くなった・・・

これは衝撃的な数字ですよね・・・

この本ではそんなリトアニアのホロコーストがなぜ起こったのか、そのメカニズムは何だったのか、また、その歴史をめぐる現在のあり方について鋭いメスを入れた作品になります。

そして訳者の次の言葉も印象的でした。

ホロコーストの語りに触れるとき、私たちは自ずとその犠牲者の立場に立ち、彼らに同情してしまう。しかし、どうしてあのような悲惨なできごとが起きてしまったのかという問題に向き合うためには、私たちはむしろ加害者の立場に立ち、彼らに「共感」する必要があるように思う。それは、決して彼らが犯した罪を正当化するということではない。むしろ、彼らが犯した罪をきちんと見据えるために、彼らが置かれた状況や彼らの心情を理解し、自分が同じ立場なら加害者となってしまったかもしれないという可能性まで考える必要があるのではないだろうか。加害者の立場に限りなく接近し、次にそこからできるだけ離れて客観的に考察することで、ホロコーストの実態もより立体的に見えてくることだろう。

本書で描かれるリトアニア人の対ナチ協力やホロコーストへの関与のあり方は複雑だ。盲目的にナチに傾倒したり、心からユダヤ人を憎んだり差別したりしていた者ばかりではない。リトアニア人がドイツ人から「殺人=殺人作業」を押しつけられていることに不満を抱いていた者や、「嫌々ながら」ユダヤ人射殺を行ったりした者についても描かれている。このように、ホロコーストに関与した当時のリトアニア人の多くは「白でも黒でもない」(三九三頁)状況に置かれていたわけだが、しかし「白でも黒でもなかった」などという議論は、ユダヤ人のズロフにしてみれば、殺害に関与したリトアニア人を擁護しようとする口実でしかない。ズロフが警戒するように、当時のリトアニア人が置かれた状況を理解することが、彼らの「真っ黒」な行為の正当化などにつながらないよう、私たちも最大限注意する必要がある。

東洋書店新社、ルータ・ヴァナガイテ、エフライム・ズロフ、重松尚訳『同胞 リトアニアのホロコースト 伏せられた歴史』P443ー444

「彼らが犯した罪をきちんと見据えるために、彼らが置かれた状況や彼らの心情を理解し、自分が同じ立場なら加害者となってしまったかもしれないという可能性まで考える必要があるのではないだろうか」

これは私が独ソ戦やホロコーストを学ぼうと思った理由と重なります。

この記事の中でもお話ししましたが、私たちはどうしても被害者の視点で戦争を考えてしまいます。

ですが、それだけでは戦争のメカニズムを捉えきることはできません。

人間は状況によっては何にでもなりうるということが証明されたのがまさしく独ソ戦でした。

以下の記事で紹介している本はまさにこうした人間の本質を学ぶのに最適な作品です。ぜひおすすめしたい作品です。

そして最後にもう一つ訳者の言葉から引用します。

本書は出版後に多くの批判にさらされることとなったのだが、なによりも、自民族の加害の歴史の問題について、外国人ではなく「同胞」によって指摘されたという点が、リトアニアの人びとの神経を逆撫でした。知識人のなかには、本書に問題点があることは認めつつも問題を提起するものとして意義を認める者もいたが、多くのリトアニア人は本書を受け入れることすらできなかったのである。

これは、私たちにとっても他人事ではない。自分たちにとって不都合な歴史に向き合おうとする人たちが「裏切り者」扱いされる事例は枚挙に暇がない。歴史のなかの一部の断片のみが都合よく切りとられ、SNSなどで拡散される昨今、私たちは自分たちの歴史にどう向き合うべきなのか。「同胞」の過去に向き合おうとする原著者の姿勢から私たちが学ぶべき点は少なくないだろう。

東洋書店新社、ルータ・ヴァナガイテ、エフライム・ズロフ、重松尚訳『同胞 リトアニアのホロコースト 伏せられた歴史』P451-452

この作品はリトアニア人のホロコースト加担について書かれた本で、リトアニア国民の中に大論争を引き起こしました。

そして最終的には国内での販売が停止され、著者も国外退避を余儀なくされるほどの大問題へと発展しました。

なぜこの本がそこまで問題となったのかについてはこの本の中でも詳しく解説されています。

ここではそれらを紹介することは分量上できませんが、訳者の「これは、私たちにとっても他人事ではない」という言葉は非常に重要な意味を持つのではないでしょうか。

遠い異国であるリトアニアの出来事を通して、私たち自身のあり方が問われてくる。

私たち自身も過去の歴史に目を閉ざしていないだろうか、都合のいい歴史だけを見ようとしていないだろうか。

これは非常に難しい問題ですが、じっくりと考える必要があると思います。

この本はかなりショッキングな内容となっています。

そして昨今ヨーロッパの歴史観が新たに問題提起されています。そのひとつの例がプーチン大統領がよく述べる「ファシストを倒す」という旨の発言です。

なぜ今の時代になって「ファシスト」という言葉が戦争の口実として用いられるようになったのでしょうか。

そのことについては以下の本で詳しく語られていますが、今回ご紹介した『同胞 リトアニアのホロコースト 伏せられた歴史』ともつながってきます。

『同胞 リトアニアのホロコースト 伏せられた歴史』は世界の歴史を考えていく上でも非常に重要な視点を与えてくれる1冊です。

ぜひぜひおすすめしたい作品です。

以上、「R・ヴァナガイテ、E・ズロフ『同胞 リトアニアのホロコースト 伏せられた歴史』歴史修正主義を考えさせられる衝撃の一冊」でした。

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